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世間体や親の目を気にせずに生きられたのは、環境と少しの努力のおかげ
僕は結構めちゃくちゃに生きてるなと思う。
どれくらいめちゃくちゃかというと、教員を辞めて月収3万のフリーランスに転身した。
そして、さらにめちゃくちゃなことに、それを一年間親に黙っていた。
たぶんその一年の間、親は僕が教員を続けていると思ってたと思う。
その間、一切実家には帰らなかったし、もちろん連絡も取らなかった。
そんな僕がなぜ親から勘当されていないかというと、一年後にフリーランスとして生活できるようになっていたからだ。
「実は一年前に教員辞めてました。今は生活できています。」
という完全な事後報告をかまして、半ば親が認めざるを得ない状況を作ったのだ。
今振り返れば、とんでもなく恐ろしい。
冷や汗ものである。
運良くたまたまフリーランスとしてそれなりに生きていけるようになったからいいものの、結果論でしかない。
もし、一年経っても月収3万底辺フリーランスだったなら、親に泣きつくしかなった。
ただ、そうならない自信があったことも事実だった。
と同時に、その自信は根拠のない自信だったこともまた事実だった。
詰まるところ、僕はめちゃくちゃに生きていたし、今もめちゃくちゃに生きている。
僕は恵まれているな、とつくづく思う。
世の中には僕が想像した以上に、世間体や親の目を気にしている人がいる。
なぜそんなに気にするのだろう?
と不思議で仕方ないのだが、それは僕の感覚のほうが不思議だということに気付く。
そしてそれは、やはり恵まれている環境なのだろうと思う。
第一に、僕は親から物理的にも心理的にもかなり離れている。
冒頭で話したフリーランス転身事後報告事案があったことにより、それが僕と親の間でデフォルトになった。
もちろん、親は心配していると思うが、そんな中でも放置しておいてくれている。
かと言って突き放すわけでもなく、たまに電話もくれるし関係が悪いわけではない。
付かず離れているが、たまに近接するという感じで、僕は自由にやらせてもらっている。
これは感謝すべき環境なのだろう、と世間一般というものを見て思う。
「世間や親の目なんて気にするな!」
と簡単に言うが、やはり物理的な距離というのは大いに関係していて、実家暮らしだとここまでめちゃくちゃはできなかったと思う。
かつ、実家に頻繁に出入りしていたら、状況も事細かに把握されるわけで、やっぱりめちゃくちゃはできなかっただろうなと思う。
だから、僕は両親には本当に感謝したい。
教員である両親からしたら、たぶん田舎でカフェをやっている息子なんて意味わからないし、心配にもなるだろうと思う。
生きてきた時代も違う。
やっぱり「安定」みたいな価値観は両親には僕よりも強くあるだろうし、一緒に住んでいたらフリーランス転身なんて止めていたと思う。
だから、地元を離れる選択を許してくれたのもまた両親なので、それには感謝しかない。
僕は愛知県に生まれて、高校まで愛知県で過ごした。
いずれも公立の学校で、絵に描いたような普通の学生だった。
そんな僕は地元を離れたくて、大学は富山大学に進学した。
大学なんてどこでもよくて、学費の高い私立なら県内だと言われていたので、学費の低い国公立大学を目指した。
場所は富山でも沖縄でも北海道でも東京でもどこでもよかった。
地元以外であれば。
県外の大学に進学したことで、その後の人生を地元以外で生きることは、その延長になった。
だからやっぱり、実家を離れる選択をさせてくれたことに感謝しなければいけない。
ありがとう。
その後はもうめちゃくちゃに生きてきたと思う。
神戸大学(国立)の大学院と日本大学(私立)の大学院に受かったが、「東京に一度は住んでみたい」という理由で日本大学の大学院を選んだ。
親的には神戸大学の大学院に進んでほしかったかもしれない。
世間的に見れば、圧倒的に神戸大学のほうが学歴は上なので、たぶんこの選択もめちゃくちゃだ。
その後は、冒頭で話した通りだ。
とにかくめちゃくちゃに生きてきて、今もめちゃくちゃに生きている。
そして、たぶんこれからもめちゃくちゃに生きていく。
それはやっぱり環境のおかげで、世間体や親の目を気にせず生きるということは、誰にとっても簡単ということではないのかもしれない。
けれども、僕自身の人生を肯定するために言うのであれば、ターニングポイントごとに努力をしたことは認めてあげたい。
高校3年の夏まで野球部だった僕は、その後半年死ぬ気で勉強して、国公立の大学に入れるだけの学力を付けた。
フリーランスに転身し月収3万からスタートしたが、その一年間は休む暇もなく一日中働いたし、貧乏にも耐えた。
環境にはもちろん感謝している。
でも、その環境はすべて運によって与えられたというわけではないし、ほんの少しは自分の努力によって掴み取ってきたものでもある。
ほとんどは環境のおかげだ。
ただ、僕が僕自身を認めてあげるために、僕の努力もあったという事実だけは、ほんの少しでも書き記させていただければ嬉しい。
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