読書メモ「サピエンス全史 上」第5章『農耕がもたらした繁栄と悲劇』
約一万年前、人類は動植物種の生命をコントロールすることに躍起になり始めた。
それまで植物を採集し、動物を狩りこそしていたものの、人類もまた地球という生態系の一部に過ぎなかった。
それが、農耕化・家畜化を押し進めるにあたって、動物や植物を人類のコントロール下に置いていったのである。
紀元前3500年頃までには、現在栽培化・家畜化している動植物のほとんどが出揃い今日に至る。
しかし、これは幸福とは程遠く、むしろ人類にとっての悪夢の始まりであった。
実際は狩猟採集民のほうが刺激に満ち溢れた豊かな毎日を送り、飢えや病気の危険が少なかった。
逆に農耕民は苦労して働いた割に見返りとして得られる食料は、狩猟採集民より劣っていた。
ではなぜ人類は、自ら進んで不幸になる道を選んだのか。
それは、人類が動植物をコントロールしたのではなく、実は動植物が人類をコントロールしていたからだった。
具体的には、小麦や稲やじゃがいもといった植物種である。
人類は小麦を作り育てることに躍起になり、生活は以前よりも過酷で苦しくなり、個々人の幸福度は農耕時代に突入しむしろ下がった。
人類を牧畜化し、むしろ繁栄のために利用したのは小麦のほうであり、人類が農耕民となったことで小麦は全世界に広がった。
農耕による暮らしを始めた人類は小麦を育てるために定住しなければならず、病原菌の温床となる土地に長く住み続けた。
また、田畑を確保するために狩猟採集民を追い払い、農耕民の間でも土地を巡る争いが起こった。
人類は農耕を始めたことで幸せにはならず、むしろ小麦の奴隷となって小麦という種を全世界に反映させるために働かされた。
では、人類にとって良かったことは何か、というとこれもまた人類種の存続にとっては良かった。
農耕を行うことで1つの村落で1,000人程度の食料を賄うことができるようになり、人類の個体数は増えた。
しかし、先述のように個々人の生活水準は落ち、個々人にとって生活はより苦しくなった。
種の繁栄を成し遂げたのは、小麦や稲などの植物種だけではない。
牛や豚、羊、鶏といった人類に家畜化された動物たちもまた、世界中に広がっていった。
今日、広範に分布した大型哺乳動物の順位は一位がホモ・サピエンス、二位が家畜化された牛、三位が家畜化された豚で、四位が家畜化された羊となる。
しかし、これらの家畜化された動物種もまた頭数は増えたものの、個々の命の幸福度という観点からみればこれもまた幸福とはいえなかった。
人類にとって都合の悪い個体は殺され、逃げ出さないように檻に囲まれたり鼻をもがれたりし、生殖さえコントロールされた。
それぞれの動物種は、種の存続というゲームからすれば最適解を選んだかもしれない。
しかし、我々ホモ・サピエンスも、牛や豚や羊も高度な感情を持つ生命である。
それぞれの個体の幸福について顧みない種全体の繁栄は、果たして正解だったといえるだろうか。