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古いものを使うという美学

昨日のnoteで美学について書いた。

それでちょっと思ったのだが、僕の美学の一つに「古いものを使う」というのがある。

美学である。

美学だから、とくに誰かに強要するものでもないし、そうあるべきだとも思わない。

僕が、僕自身の人生において貫きたいと思っているという単純な話だ。

僕は古いものが好きだ。

古い街並み。

老舗のお店屋さん。

おさがり。

そういったものが好きだったから、この町がより好きになったというのは確実にある。

また、今思い出したのだが、小さい頃は母親のおさがりを好んで着ていた。

それは母のことが好きだったというよりは、何か母が重ねてきた年齢とともにある、この服が刻んできた歴史への愛着だ。

新品の綺麗なファストファッションブランドの服より、なぜか "いい感じ" がしていた。

その頃は、なぜかわからなかった。

ただ、そういうものを好んで着ている自分が好きだったし、誇れる感じもした。

今思えば、この美学がその気持ちの中心にあったのかもしれない。

そして、今、まさに僕は店舗の移転グランドオープンに向けて動いている。

いろんな選択肢があった。

でも、今はシャッターが降りてしまった寂れた商店街に、古い時計屋さんの跡地物件が見つかったとき。

僕の気持ちは固まっていた。

ここでやりたい。

立地や条件以上に、この商店街そしてこの建物でやることに意義を感じていた。

売上がどうとか。

客入りがどうとか。

そんなものは二の次で、僕の美学がこの商店街、この建物で店をやることを切望していた。

それもやっぱり、僕の中にある古いものを使うという美学に依っていたなと、今振り返れば思う。

それがその年頃の少年のファッションとして、正しかったかどうかはわからない。

この物件に移転することが、経営的にベストな判断なのかはわからない。

しかし、正しさとか客観的に優れているとか、そういう打算的な考え方とは、この美学というやつは全くの無縁である。

そういう自分でありたい。

貫き通すことが目的。

その先に何かリターンがあるわけではない。

そういう感情や価値観、世界観と直接繋がっているものこそが、美学と言える。

なぜだかわからないが僕が人生で無意味に拘泥してきたことのいくつかが、この美学によって説明できた。

これに気付いたのは、あるYouTube動画を見たことがきっかけだ。

ファストファッションブランドの衣類生産の裏側に迫った、個人YouTuberさんの発信だ。

ファストファッションブランドの衣類が安く購入できるのは、発展途上国の人々が低賃金で働かされて作られているからだ、というのはそれほど驚く話ではない。

もはや一般的に知られている事実だと思う。

劣悪な環境で、長時間労働させられているというのも想像には難くないだろう。

では、なぜそういった発展途上国の人々が、劣悪な環境で低賃金で長時間労働しなければならないのかというと、ファストファッションブランドは大量に生産をすることで "損をしない" 仕組みになっているからだという。

大量生産すれば、場合によっては大量に売れ残り在庫を抱えることになる。

それを廃棄する。

廃棄が出る可能性も見越して、大量生産するのである。

なぜかというと、アパレル業界の需要は季節や気候、その年の流行などにも左右され、予想することが難しい。

その中で、需要に対して供給が間に合わないことによる機会損失を防ぐために、減価率を下げて大量生産をしているとのこと。

そして、作り過ぎてしまった場合に廃棄が出ることを考えても、そちらのほうが得という状況になってしまっているからだという。

つまり、廃棄する前提である。

発展途上国の女性や子どもたちが、廃棄される(かもしれない)衣服を低賃金で、過酷な労働環境で作らされている。

それによって、僕たちが衣服を安く買えているのである。

安く新しいものを買いたい、という需要がある。

できるだけ安く新しいものをつくりたい、と企業が思う。

安価で長時間の労働をさせられる人が出てくる。

という仕組みである。

企業は利益を出さなければ存続できない。

だから、需要があればそれに対して、より原価を下げてモノを作らなければいけない。

だとすれば、その劣悪な環境を努力によって改善しろというのは酷な話だ。

なにしろ、その需要を作り出しているのは、紛れもなく僕たち一般消費者だからである。

僕はそこに出来るだけ加担したくないと思った。

そして、これまでも思っていたのだと思う。

言語化されてはいなかったが、無意識レベルで感じていて、古いものを使う美学として実際の行動に現れていたのだと実感する。

一度買ったものを長く使う。

古いものを再利用する形で使う。

そういった一般消費者の心がけが、世界をより良い方向に動かしていくのだと信じているし、そのように行動したいと思う。

ただ、冒頭でも言ったように、これはあくまで僕自身の美学だ。

誰かに強要するつもりもないし、そうであるべきだとも言わない。

ただただ、こういった現実を知った僕は、その現実に個人的に抗うことを貫きたいという、貫く自分でありたいという、ごく個人的な思いである。

当然、反対の意見もあるだろう。

無関心だということもあるだろう。

それはそれで人それぞれの価値観や美学があり、その価値観や美学を変容させることは容易でないし、僕には僕の美学があるように、そうでない美学も認められるべきだと思う。

賛成とか反対とかではなく。

ただそこに別の美学があると認識する。

存在を存在として認めるだけ。

その上で、僕は僕の美学として、古いものを使うという考え、行動を貫いて生きていきたい。

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