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僕が一番欲しいもの

僕が一番欲しいもの、そんなものはない。

終わり。

というのは半分本当で、半分嘘だ。

ものを物質として捉えると本当だし、概念まで含めると嘘になる。

誕生日が近づくと、妻や友人に「何か欲しいものはある?」と聞かれる。

その質問はとても困る。

なぜなら、僕が一番欲しいものは、どこにも売っていないからだ。

もちろん、日常生活に必要なものはある。

しかし、そんなものは欲しいときに自分で買う。

わざわざ誕生日に買ってもらうようなものでもない。

地球上のどこに、誕生日にトイレットペーパーを買ってもらう人がいるのか。

どう考えても変である。

だからと言って、自分の欲しいものは自分で買うと言うのは角が立つ。

だから、「一緒に美味しいご飯でも食べに行こう」と答えることにしている。

これは本心である。

僕は食べることが大好きだし、大切な人と食事に行くのはもっと好きだ。

我ながら、この回答はとても良いなと思っている。

ところで、僕の一番欲しいものは "時間" だ。

なんだありきたりな答えだな、と思うかもしれない。

ただ、僕の時間に対する拘りはかなりのものだ。

執着と言ってもいいかもしれない。

僕は人生において、物よりもお金よりも何よりも時間が大切だと思っている。

人の時間を奪うことは凶悪な犯罪である。

お金はなくなったら稼げばいいし、物は壊れたら直せばいいが、時間だけは取り返せない。

奪われたその時間は戻ってこない。

時間はお金で買うこともできない。

時間を作ると言うが時間は作れない。

ただそこにあって流れていくものだから、常にやって来ては過ぎ去っている。

どんぶらこどんぶらこと川上から流れてくる桃に、「もう一回、川上に戻ってやり直してくれ!」とは言えない。

そんなことを言われたら、桃太郎もびっくりである。

当たり前のことだが、時間は有限だ。

人それぞれ人生の長さは違うけれども、有限であることだけは共通である。

また、1日が24時間であるということもまた人類普遍である。

その限られた時間を奪うということが、どれだけ罪深いことか。

奪われた時間は永遠に取り返せない。

とくに要件をなかなか言わないで、何かもったいつけたような言い回しをする営業電話には、この文章をメールで送りつけたくなる。

営業活動はビジネスで重要なので、その行為自体に何か文句を言うつもりはない。

営業なら営業と、第一声で言ってくれということである。

Googleの公式ですよ感を出して、Googleの情報提供云々という切口でなかなか本題に入らない営業には呆れてしまった。

そんな営業から、何かを買う気になんてならないと何故わからないのだろうか。

この手の事例は無限にあるが、書き出すとキリがないので、この辺にしておく。

とにかく相手の時間を無駄に奪うことは、殺人並みの罪である。

実際、命の一部を奪っているのだから、部分的な殺人である。

だから、僕はバイトの子に入ってもらう時も、自分の都合優先で良いというスタンスで伝える。

実際、自分の都合を優先してほしい。

僕は僕の周りの人にイキイキと生活をしていてほしい。

僕が時間を拘束することでテンションが下がるのなら、僕は全く本望ではない。

バイトなんて自分の時間を犠牲にして入るものではない。

楽しいな、やりがいがあるな、一緒に働きたいな、そんなふうに思ってくれるのなら、ぜひ入ってほしい。

それは、素敵な時間のプレゼントになるからだ。

時間を奪うのではなく、有意義な時間を提供できる人でありたい。

それは、友人に対しても、お客さんに対しても、仕事仲間に対しても。

ちょっと殺人だの凶悪な犯罪だの確かに言い過ぎた部分はあるが、こういった価値観になったのにはそれなりの理由がある。

僕は、大学生〜教員一年目の間に、ちょっとした心の病気を患った。

心気症という病気である。

心気症とは、医学的な診察や検査では明らかな器質的身体疾患がないにもかかわらず、ちょっとした身体的不調に対して自分が重篤な病気にかかる(かかっている)のではないかと恐れたり、既に重篤な病気にかかってしまっているという強い思い込み(専門用語で観念と言います)にとらわれる精神疾患の一つです。そして、そのとらわれは、いくら医学的な診察で異常がないと保証されても長く持続します。そのため、本人には強い不安や恐怖心などの著しい苦痛をもたらし、学校や仕事、家族関係などの日常生活にさまざまな支障をきたすことになります。

https://www.jisinsin.jp/detail/detail_10/#:~:text=%E5%BF%83%E6%B0%97%E7%97%87%E3%81%A8%E3%81%AF,%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

側から見たら滑稽だろうが、僕はこのとき本気で死んでしまうのではないかと思っていた。

(心療内科への通院、薬物療法により、その後、完治することになる。)

この期間、僕は死について嫌というほど考えた。

そして、タイミングの悪いことに、通勤中に意識を失って倒れるということが起こった。

満員電車で泡を吹いて倒れ、救急車で病院に運ばれた。

精神的にとかではなく、本当に死にかけたのだ。

あまり説明する必要も無いと思うが、人生という時間が有限であることを知った。

知ったというか、実感を持って理解した。

そんな僕からすると、人の時間を奪うということは、あり得ない所業なのである。

もちろん、全く人の時間を奪わないで生きることはできない。

だから最大限に配慮(メールでは必ずお忙しいところ恐縮です、と添える)したり、できる限り有意義な時間になるように努める。

たぶん、こういうことを書くから、遊びに誘われなくなる。

でも安心してほしい。

僕と遊ぶような仲の人は、僕にとってとても心地の良い間柄の人だ。

だから、そういった人から遊びに誘われるのは時間のプレゼントである。

お金よりも、物よりも、こういったプレゼントが一番嬉しい。

何が言いたいかというと、いつも仲良くしてくださっている皆さん、ぜひご飯に誘ってください。

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今野直倫 Naomichi Konno
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