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一周回って物々交換が最強なのではないか

どうも、物々交換推進党の今野です。

日本全国に物々交換を広めることが、物々交換推進党の政治理念である。

その党首が僕である。

なお、みなさまお気づきの通りだが、そんな政治政党はない。

僕が今勝手に作って、勝手に名乗り出した。

そして、今解散した。

何かのリーダーやトップというのは、僕の性に合わないからだ。

党首なんてやってられるか。

とはいえ、である。

僕は、物々交換という文化を広めていきたい。

いや、そんな、僕が今さら言わなくたって物々交換なんてものは全国津々浦々広がっていると思うのだが、そんなことは関係なく言いたいのである。

一周回って物々交換が最強。

これである。

僕は物々交換によって、このようなものを手に入れたことがある。

さつまいも、栗、みかん、ゆず、カレー、パウンドケーキ、とうもろこし、労働力、などなど。

物々交換だけで食っていけるのではないか、と思ったくらいだ。

もちろん、現時点でそんなことはできないのだが。

だからこそ、物々交換が広まれば、物々交換だけで食っていくことができる世界線も可能になるのではないかと思っている。

第一に、物々交換では税金が取られない。

もし仮に僕が農家さんから500円で米を買い、農家さんが僕から500円で珈琲を買ったとする。

そうすると、お互いに500円は売上となり、そこから住民税や所得税が引かれていく。

しかし、直接的に米と珈琲を交換すれば、そこに税金は発生しない。

なんというライフハックだろうか。

どちらのケースでも得ているものは一緒なのに、お金を介するか介さないかの違いで、手元に残るお金が大きく変わってくる。

また、僕は物々交換にて労働力を手に入れたことがある。

これは言ってしまえば、現物支給でカフェのお手伝いをしてもらったということである。

たとえば、お手伝いさんが5時間働いてくれて、こちらから5時間分の珈琲とスイーツを差し上げるとする。

そうすると、なんと手伝いをしてもらったおかげで売上も上がり、さらにこちらからは給料を払っていない(かかったのは珈琲とスイーツの原価だけ)ので、売上分のお金が単純に増えたということになる。

無からお金を生み出す。

これは、錬金術ではないか。

税金が取られず、お金は生み出される、これが物々交換による効能である。

まさに最強だ。

と、ここまで聞いたあなたは、「なんかセコいな」と思ったかもしれない。

そう、この話はセコいのだ。

コスいと言ってもいい。

ともすれば、人間の器の小ささを疑われかねない主張をだらだらと1,000文字もしてしまった。

労力をかけて、自分の器が小さいことをインターネットという大海に公開してしまった。

大丈夫、この話には続きがある。

物々交換、貨幣、というものをテーマとして話すときに、よく「物々交換が非効率的だから、貨幣経済に以降した」と語られることがある。

古代には魚と米を直接交換していたのだが、「わしは米は今要らん!」というようなことが頻発し、「えぇ……この米どうしたらええねん。魚欲しいのに」と困り果てる人が出てきたため、貨幣のようなものができた、と。

つまり、魚1匹は300円ですよ、米1kgは300円ですよと決めておけば、「わし、今は米要らんから300円よこしてくれ〜」と言って、「あざます!この300円で魚くれ!」という取引が成立するということだ。

確かに、物々交換から貨幣経済に移行するのは確かに頷けるなという感じがする。

でも、どうやら最近の研究では、【そもそも物々交換経済なんてなかった】とする説が濃厚だそうである。

よく考えてみれば、魚がほしい農家が米を持って漁師のところに行くものの「わし、今は米要らんねん」と言われ続けたら、農家は一向に魚にありつけない。

タンパク質不足でどうにかなってしまいそうだ。

ベジタリアンでもあるまいし。

では本当はどうだったかというと、「わし、今は米要らんねん。でも、一週間後くらいに米無くなりそうだから、とりあえずこの魚はあげるわ〜。その代わり、来週米持ってきてね?」という感じだったらしい。

これを『互酬』という。

互酬(ごしゅう、英: reciprocity レシプロシティ)は、「ある人がある相手を助ければ、助けられた相手も必ずこれに応えて、お返しとして助けてくれるだろう」という期待によって成立する相互作用[1]。あるいは、何らかの贈り物を贈られた場合に、一種の社会規範により[注釈 1]、何らかの形で "お返しの贈り物" (日本語で言う「返礼(品)」[注釈 2])を贈ること。主に文化人類学、経済学、社会学などにおいて用いられる概念[注釈 3]で、互酬性(ごしゅうせい)とも言う。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E9%85%AC

僕も分かりやすいからタイトルで「物々交換」と言ったが、僕が行ってきたものには互酬であるものも多い。

つまり、「これあげたから、これくらいのお返しはいつかしてくれるよね?」という信頼のもとに成り立つ取引ということだ。

だいたい僕たちは互酬という言葉は知らなくても、これを感覚的に日常で使っている。

「あの人って、いつも『一口だけちょうだい!』とか言うけど、人にはあげないよね」

「あの人いつもお土産くれるから、今度旅行に行ったら自分もお土産買っていこう!」

とか。

そういう感じで、数値化こそしていないが、お互いにどれくらいの貸し借りがあるのかというのを感覚として持っている。

そして、バランスを保つ(できる限り貸し借りができない)ように動いている。

そうでない人ももちろんいるが、そうでない人は後ろめたさを感じているか、あるいは感覚がバグっている。

善良な市民であれば、基本的には互酬の感覚を持って人と接している。

これが貨幣でのやり取りだとその場で清算されるから、あまり意識することがない。

例えば、「あのコンビニには恩があるからな〜。今度行ったらお礼しよう」とはならない。

なぜなら、コンビニでおにぎりを買ったら、その場で100円なり200円なりを払うからである。

そこで、コンビニとの貸し借りは±0である。

しかし、物によってやり取りを行うと、互酬の感覚が強く意識される。

例えば、「私ばっかりあんなに良いものもらっちゃって本当申し訳ないわァ……」というような感情が生まれる。

そして、いつかお返しをしようと思う。

この感覚が僕はめちゃくちゃ大事だと思っていて、これが意識されない相手とはうまく付き合っていけないと思う。

物々交換をすると単純に物が交換されるだけでなく、その人と感覚が一致しているかみたいなことも何となくわかる。

だから、物々交換は最強なのである。

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今野直倫
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