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読書メモ「サピエンス全史 上」第1章『唯一生き延びた人類種』
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人類が誕生した250万年前〜200万年前、人間はゴリラやホタルやクラゲと大差ない、取るに足らない動物に過ぎなかった。
我々も元を正せば、ただの動物である。
我々は、ライオンが学名「パンテラ・レオ(ヒョウ属のライオン)」と呼ばれるのと同じように、「ホモ・サピエンス(ヒト属の賢いやつ)」と呼ばれるだけである。
ただの動物の一種であり、他の動物と何も変わらない並列な存在である。
我々は意識の上で、他の動物とは全く別の存在で、ともすれば高尚な存在であると認識しがちであるが、ただの動物であり他の種と兄弟姉妹いとこであるというのは変えられない事実である。
まずはその事実を事実として飲み込んで、自覚しなければならない。
そして、ホモ "属" というからには、ヒョウ属にライオンやトラやヒョウやジャガーという種が存在するのと同じように、「兄弟」たちが存在した。
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ホモ・ルドルフェンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス(=ネアンデルタール人)、ホモ・エレクトス。
そのほかにも何種かいたらしい。
ここでもまた我々はいくつもある種のただの1つに過ぎず、何も特別な存在ではないことを自覚しなければいけない。
10万年前の地球には、なんと6種の異なるヒトの種が存在していたというから驚きだ。
ただの10万年前の話である。
私たちが私たちを特別視してしまう歪んだ見方は、他の動物よりも知能が発達しているところにあると思う。
知能が優れている種が、種としても優れているという錯覚を持っている。
しかし、あくまで種として優れているというのは、"どれだけ種を存続しやすいか" ということに尽き、その点ではある点ではチンパンジーよりもホモ・サピエンスのほうが劣っているといえる。
チンパンジーは我々を言い負かすことはできないが、縫いぐるみのように引き裂くことができる。
僕も飼っている猫に引っ掻かれて、しょっちゅうみみず腫れになったり、切り傷ができたりしているが、僕は飼い猫を引っ掻いて傷を負わせることはできない。
ヒトにはヒトの、チンパンジーにはチンパンジーの、猫には猫の個性があり、個性があるというただそれだけで、それには優も劣もないということである。
しかし、我々ヒトは他の動物と大きく異なり、そして欠点ともなり得る重大な欠陥がある。
それは、洗脳を受け易いということである。
ヒトは二足歩行をするように進化し、そして前述のように賢くあるために大きな脳みそを持つようにも進化した。
その結果、その大きな頭(頭蓋骨)を支えて二足歩行を行うために腰回りが細くなり、それに従って産道が細くなった。
そのため、ヒトは身体的にも精神的(=脳の発達に比例するため)にも未発達な状態で生まれなければならなくなった。
結果として、我々は子供をキリスト教信者にしようと思えばキリスト教信者に、仏教徒にしようとすれば仏教徒にできる。
当然、我々大人もかつては子供だったわけで、脳と身体の成長過程で多くの教育、誤解を恐れずに言えば洗脳を受けて育っている。
その事実を自覚する必要がある。
それに比べて、小馬は生後間も無く駆け回れるし、子猫は生後数週間で単独で食べ物を探し回るれる。
人間はそれに約20年も要する。
未熟な状態で長い時間をかけて、教育と保護を受けて一人前になるので、社会や他者の影響を受けやす過ぎる。
我々が大きな強みだと思っている「大きな脳」「高い学習能力」「複雑な社会構造」は、裏を返せば大きな弱みでもある。
子は教育次第で平和を愛する子にもなり、戦争を好む子にもなる。
これが社会構造と結び付けば、世界はたちまち平和にも、戦争にも突き進んでいく可能性がある。
もう一つ、我々が大きな強みだと認識しているものに、「道具の使用」がある。
しかしこの道具の使用すらも、100万年前には道具は大型動物を捕食するための武器として使っていたわけではなく、死肉を漁り骨を割り骨髄をすすれるようにするためだった。
我々は地球最強どころか、ハイエナやもっといえば蛆虫のような存在であった。
我々が他の動物よりも優れ、動物とは別の存在の "人間" であると特別視するのは、甚だおこがましいというものだ。
大きな動物を狩るようになるのは40万年前になってようやくであり、食物連鎖の頂点に立つのはわずか10万年前の出来事だ。
この間たったの数十万年の時間であり、あまりに性急にスターダムに頂点に駆け上ったため、生態系はその変化について行けず、バランスを崩すことになった。
人類とはそういう弱くてちっぽけで、それでいて地球にとってとんでもない輩だということだ。
そんな人類にも、褒められたところがある。
それは火を扱えるようになり、そして調理をできるようになったことだ。
調理ができる動物は、我々人類だけだ。
衛生的な観点(これは本書に書かれていること)からはもちろん、のちの文化的な発展(これは僕が思ったこと)にも大きく寄与する。
しかし、火を扱えるようになったことで、より自然に対する全能感が生まれてしまったことは、人類にとって良くなかったかもしれない。
それが、自然破壊や環境汚染といった人類のエゴによって引き起こされる負のスパイラルの始まりだったかもしれない。
約1万3000年前に、我々以外で最後の人類がこの世から姿を消し、ホモ・サピエンスのみが生き残った。
これも、上記の負のスパイラルが引き起こした産物なのかもしれない。
つまり、我々ホモ・サピエンスは他の人類種と遭遇するたびに、その種を根絶やしにしてしまったかもしれないということだ。
他の種と交わり種として一体化したという説があるが、近代や現代の差別的な思想を思うに、他の種を尊重することなど我々にできたのだろうか?
姿形も大きく異なり、しかし同じホモ属であるネアンデルタール人やデニソワ人を迫害しなかったと、胸を張って言い切れるだろうか?
僕はホモ・サピエンスは、それほど寛容ではなかったと思う。
悲しきかな。
その真偽のほどは定かではないが、かくして他の種は滅んで我々ホモ・サピエンスのみがたった一種の人類として世界を席巻した。
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