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正義より美学で生きていきたい

誰かの正義は立場が変われば悪にもなり得る。

唯一絶対の正義はない。

だから、正義をもとに考えると、エゴの押し付けになりがちだ。

たとえば、子供には優しくしようという正義があったとする。

ある場面では、勝手に人の子に声をかけるなんてけしからん、となったりする。

あるいは、可愛い子には旅をさせよ、なんて諺もある。

優しくするより突き放して、自ら学ばせようという話である。

これもこれで、こちらの側面からは正義だ。

だから、やっぱり正義というのは立場や場面によって、最も簡単に悪になり得る。

美学はどうか。

美学もやはり人それぞれ異なるものがある。

美学とは、ロジックや理屈では説明できない、あるいは説明する必要がないが、自分の中では確かにこうだと決めているものだと思っている。

それが何のメリットになるかわからない。

人から見たら無駄なこだわりかもしれない。

でも、自分がこうと決めたことを、こうと貫き通すことが美学だと思う。

美学は、すなわち、その人の生き方や生き様、在り方を表現しているものだと思う。

自分はこうこうこういう者です。

というのを、具体的な行動や言葉、考えによって表現する一つの方法であると思う。

だから、正義とは方向性が全く異なる。

正義は、社会にとってはこのようにあるべきだ(と自分は思っている)ということを誰か他人、あるいは自分に要請するものだ。

子供には優しくしよう。

老人には手を差し伸べよう。

泥棒は絶対にしてはいけない。

嘘をついてはいけない。

悪口を言ってはいけない。

など、それはルールやマナーとして具体的に表されるものに近い。

客観的に見てどうであれ、当の本人にとってはその正義は世間的に、一般的に、社会的に正しいと思っているし、あるいは正しいと認められるべきだと思っている。

しかし、美学はそうではない。

一般的に正しいかどうかは全く関係がない。

どころか、当の本人が一般的にも、社会的にも、通年的にも正しくないことは理解した上で貫き通していることすらある。

例えば、キングカズこと三浦知良選手は、御歳57歳で現役のプロとして活動し続けているサッカー選手だ。

世間では、引き際なのではないか、辞めるべきではないか、プロではないなど、風当たりの厳しい言葉が上がっている。

それに対し、キングカズはこう語る。

「やっぱりサッカーが好きだ、ということに尽きると思う。子どものころから僕はサッカーしか知らないし、サッカーしかやってこなかった。だからこそサッカーには心から感謝しているし、サッカーに対して失礼のないように全力を尽くしたい。自分の体と情熱が続く限りプレーしたい」

https://diamond.jp/articles/-/326534?page=3

カズにとっては、そういった外野の声は関係がない。

世間一般的にプロサッカー選手とはどうあるべきかという議論から、完全に外れたところで話している。

つまり、これは「サッカーが好きだから体と情熱が続く限り続けたい」という、個人的な美学を貫いているだけなのだ。

僕は、こういった人をとてもかっこいいと思う。

それが正しいか間違っているかというのは完全に置いておいて、自分の美学を世間の目や声に晒されながらも貫き通せる強さ、が心底かっこいい。

正義の観点から語ると、それに対して悪が存在することを含意する。

どんなに正しそうに思われる正義も、必ずその陰に悪は存在する。

正義と悪は表裏一体だ。

戦争は絶対にしてはならない、というのは僕らの中ではほぼほぼ紛れもない正義だが、しかし、世界から戦争がなくならない現状をみるに、どうやら戦争は必要ならしてもいいという正義が存在するようである。

これほどの正義でも、そういった立場の人からすれば悪になり得る。

当然、僕も100%戦争は反対だ。

そういった具体の話をしているのではなく、人間という、あるいは人間社会という性質上、正義の裏には悪が必然的に存在するという、仕組みの話をしている。

つまり、正義を語ると、自然に敵対関係ができてしまう。

しかし、美学はそうではない。

その人の美学、あの人の美学、この人の美学と、別々に個々に存在しているだけで、お互いに敵対関係にはない。

それぞれの美学を、それぞれの人生において貫き通すだけである。

変な話、実際に貫き通せなくても、それは美学には関係がない。

例えば、キングカズが明日、治療が不可能な怪我を負ってプレーができなくなったとして、カズの美学が曇ることはない。

そのように思って、プロであり続けた。

その姿勢こそが美学であり、その人の生き方や生き様、在り方を体現する核なのである。

実際に実現したかどうかは大した問題ではない。

だから対立することがない。

それぞれの美学を、それぞれに価値あるものとして肯定し、認め合える道がそこには開けている。

だから、僕は正義よりも美学で生きたい。

そして、何よりかっこいい。

いろいろ言葉を並べてみたが、結局は「なんかかっこいい」というのが、本心である。

僕は、かっこいいと思われたい。

そんなことを言っているやつは、あまりかっこよくないと思うが。

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今野直倫
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