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期待の方向(068)

こんにちは、紺野うみです。

私は昔、「期待」をするのが苦手でした。

過去に、うっかり誰かや何か「外側」に対して「期待」をしてみたものの、それが裏切られてしまったことが何度かあったからです。

でも、今ならわかるのは、本当に期待を向けるべきだったのは「内側」……すなわち自分自身に対してだったということ。

満たされない心に悩む人が、少しでも減ることを願って……。


期待が外れたときの失望と怒り

人は誰でも、純粋に「こうだったらいいな」「こうなるかもしれないな」と、明るい未来を無邪気に思い描いてしまうことがあります。

それこそが、外側に向けた「期待」の正体ですね。

でも、それは案外「無防備な心の状態」を作りやすいようにも思えます。

なぜなら、その時は「そうならなかった時のこと」をあまり想定しないことが多いですから。

外側に期待を抱いて、もちろんそれがその通りに叶えられた場合はいいのです。

問題はそれが叶わなかったとき、裏切られてしまったときのこと。

そうなると、途端にその「期待」は、大きな失望や哀しみに姿を変えてしまうから。

期待が大きければ大きいほど、そのダメージや喪失感は膨れ上がり自分の心に刃を向けてきます。

それが、怒りに姿を変えることも珍しいことではありません。

相手のあることなら相手に、さらには軽々しく期待をしてしまった自分自身に対しても、猛烈に腹が立ったりするわけです。

それはそれで、苦しい時間を過ごさなくてはならなくなってしまう……。

ただでさえ傷ついているのに、これ以上心を痛めつけるのは、やめてあげたいですよね。

本当は「期待すること」そのものをやめてしまえば、楽なのかもしれません。

でも、そんなことって、生きている限り上手くコントロールできるものではありません。

明るい未来や可能性にドキドキわくわくしない人生なんて、切ないじゃぁないですか。


期待は他人や環境ではなく自分に委ねる

私は「期待」って、本当は「信頼」というもののひとつの姿だと思うんですよね。

「きっと、○○できるはず!」
「必ず、○○してみせよう!」
「いつかは、できるはずだ!」

想像してみてください、こういう言葉を誰か大切な人からかけられたときの気持ちを。

不思議な高揚感や、勇気に変わる想い、少しは怖いような気持ちもあるけれど、信じられていると思うとできるような気がしてくる……そんな感覚です。

これらが、いつだって外側から得られる環境なら、あなたはとっても恵まれています。

でも、必ずしも「いつでもそんな人がそばにいる」とは限らない。

それも世の理(ことわり)です。

だからこそ、まずは誰か他人に向けるよりも、自分自身の心や可能性に対して、向けてあげて欲しいんです!

「信頼」は、ものすごい力になります。

それは自分自身に対する「信頼」も同じ。……もうわかりますよね、「自信」なんです、それこそが。


自分の人生に賭けてみる

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