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2024年5月14日 彼は天井から見ている(書きかけ)

この日、前年度最後の有給を消化して武道館にいた。大好きなキタニタツヤの10周年ライブ『彼は天井から見ている』に参加してきた。その感想を残す。


初めて武道館に来た


既にライブから5ヶ月経ち、やっとnoteに投稿した。何故こんなに遅くなったのか?

  • スマホのマイクが壊れていて、撮った動画が全て無音だった(ショックを受けYoutubeにupされた動画を見返したが、自分が座った南東V列30番からの景色ではないので悶えていた←この後何回も動画を見返しています、撮影された方ありがとうございます)

  • チマチマ書いていたnoteの下書きが吹っ飛んだ(同じ内容をまた書こうとすると、推敲が始まって全く進まなかった。落ち込む自分と「ばーかばーか!」と怒る自分、心が2つある)

  • どう愛しているか言語化することが結構しんどかった。まさか本人の目に入ることは無いだろうが、同じく愛するファンが読んで解釈が違うなど否定的な感情を持たせたくなくて、書き起こせる自信が無かった(その後公開された『監禁』でキタニタツヤが「お前に何が分かるんだよ」と言っていたので、それなら反対に自分の愛を気にせず出してみようと思った)

  • 本日『ROUNDABOUT』に参戦するので流石に出さないといけないと思った。5ヶ月経っているの本当ですか???

以上だめだめなファンである。開き直って各曲の好きなところ&ライブの感想を書きました。今更書き終えたので心優しいファンの皆様、温かい目で流し読みしてください⋯。

舞台が大きな目になっていた


I DO NOT LOVE YOU.

キタニタツヤが大画面にモノクロで写され、コンポジット(正しい用語か分からない)で赤色を差している映像が美しかった。
「頬を撫でて 僕の背をさすってくれないか」に優しい愛し方を感じる、愛する人が弱っている時にこう接したいと思わされる。
「誰も 僕を憎むことはないけど 誰も 僕を愛すこともないから」は、「愛してほしい」と願う歌詞は多いけど、憎しみも向けられていないことに言及してすごい。愛より「自分への無関心」に着目している。
「君は 君は 君だけは離れないでいて 青く冷えた僕の手を握っていてほしいんだ」という歌詞があるが、普段曲に対して「作詞者の実体験」とは考えず聴いている(創作に近く、作詞者が作り上げた作詞者以外の人間が体験した位に考えている)のだが、流石に10周年ライブでファン達に投げかけてきた威力が凄かった。

iPhone7のガビガビ写真ですみません⋯でも綺麗でした


聖者の行進

キタニタツヤにどハマりした曲。歌詞と音どちらも中毒性がある。
サビに向かうまで少しずつ音が増えていきスタジアムロックに突入するサウンドが、物語でカリスマ性を持つダークヒーローが大胆に登場するようで格好良い(そこに大勢が続いていく曲調を「スタジアムロック」と呼ぶと書く時に知った)。個人的にハ短調でダークかつクールな曲が好きです。
「全て飲み込んでしまうように」「連れ去ってしまう」「打ちのめされてしまった」「震える心臓が止まってしまうまで」の完了の言葉に力強さを感じさせられる。一番最後の「跋扈する悪魔を踏み潰して 震える心臓が止まってしまうまで」が、命尽きるまで戦い続ける汚れた勇ましさを出した歌詞で好きだ。


パノプティコン

「テレスクリーンから無数の眼」の一つがキョロキョロ武道館を見渡す演出が良かった。ライブでないと見られないことを体験できるのが嬉しかった。
パノプティコンという概念が高校の倫理で習った時から好きで、監視側として立って中を眺めていたいと思っていたのだが、曲の初っ端で「目を覚ましたら自分の番なんてさ、笑えないね」で刺してくるので初めて聴いた時ドキリとさせられたのを思い出した。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が好きなので歌詞に引用されているのが嬉しい(ジョージ・オーウェルの『1984』も入っていますよね?好きです)。詳しくなくてすまないが、他の曲にも引用されているのでキタニタツヤってもしかして芥川龍之介が好きなのでしょうか?彼が影響を受けた本を知りたい⋯。


テレスクリーンと目、すごく凝っていた

Stoned Child

曲中では馬鹿みたいな飲み方して現実逃避する、世間で言うような「生産性の無い」人間みたいな生活を送ったこと私は無い(生産性の無い、失礼なのでこの言葉を他人に使うことは無いが、この曲の「無為な生活」がそれに当てはまるのは分かる)。だがどうしようもないまま時間が無駄に過ぎていく時、いやにネガティブな感情が刺々しく溢れてくることがある深夜を何度も過ごしてきた。「もうどうでもいい」と投げやりになったところにキタニタツヤが何気なく「まぁ一息つこうぜ」「そうカリカリすんなよ」と言われたら「あ〜〜〜〜たかが自分だぜ!!!」と適当に生きればええわいと駄目な自分を許せる気がする。悲観的になることを否定しないところが良い。
あと皆で大声で「ウィーアーストーンドチルドレン!!」「人間なんて辞めちまおうぜ!」と歌うのが楽しかったです。

Cinnamon

この曲を初めて聴いた時、洒落たイントロで「白いカーテンを透かすような〜おぉ ありがとう」まで歌われて、「ところで 君はどこの誰」でツボってしまった。あのイントロと歌詞だと恋人同士が丁寧な暮らしを朝から送っていると思うじゃないですか、いや知らん奴なんかい。
ライブでこの曲が始まる前に間奏が流れたのだが、それを聴いただけで「そうか⋯これが『彼は天井から見ている』なのか⋯⋯」と特別感がやってきた。私はこの時ライブに参戦するのは2回目で経験値が無いし、1回目もキタニタツヤの『UNFADED BLUE』だったから詳しい訳ではないが、この時しか聴けない演奏が流れるのが嬉しかった。
この曲で歌われている、香りが記憶を引き起こす現象にすごく共感してしまう。私は五感の中で記憶したら一番すぐ思い出すのが嗅覚で得た情報なので、香りがやってきたら「まだ思い出せる」となるのが本当にその通りなんだよなぁ。香ることで出てくる切なさを「心がぎゅっと懐かしくて その首をもう一度嗅いでしまう」と歌われると私も切なくなる。
キタニタツヤ、香水の香りの説明を書く仕事をやってほしいよ。

化け猫

気まぐれな化け猫みたいな女が相手の破滅を招く様も、化け猫に食い殺されてもいい主人公の惚れ様も狂っていて好き。「敗北者として君に隷したい」という盲目さ、これが初恋なら今後の人生の恋愛観が壊れてしまっているなぁと思う。面白みのない群衆から抜け出し1人で夜を徘徊している女に対し、「眩しい」と形容する主人公は群衆側にいて飽きていた中で羨ましかったのだろうなぁ。
また、全体的にテンポが良い中で韻を踏んでいる。ピアノの音も猫がしなやかに飛び跳ねているみたい。ここの歌詞の語感が心地良い。
気まぐれ(gure)に夜と戯れ(mure)
灰色(gure)の人の群れ(mure)からはぐれ(gure)
誰にも懐かない(i)君の大きなあくび(bi)
僕には眩しい(i)
書き出したらキリが無いが、キタニタツヤの歌詞って語感が揃っていて計算されているのがすごくないですか?

Moonthief

ライブの同行者がこの曲が好きなので、始まった瞬間「良かったねぇ!」と言った。
アップテンポとスローな不規則さが楽しく、一方で冷たくて低体温な歌詞のトリッキーな組み合わせが好きだ。それでサビで「月を盗み出してしまおうぜ」はピカレスクロマンで格好良い。 「僕らはMoonthief」という歌詞だが、thievesにならないのは何でだろうと考えている。僕らそれぞれにとって眩しい月を盗むってことなのかな、書いた本人しか分からないけれどそれだと何かいいなと思った(話が変わるが、森見登美彦『有頂天家族 二代目の帰朝』で、登場人物が「主人公の」月を盗んでしまうというくだりがあり、それを思い出した)
「Moonthief」をピカレスクロマンとして本でも読みたいなぁ!

ラブソング

Eveさんcoverが嬰ハ短調で、キタニcoverがハ短調と半音低いだけで曲の雰囲気が変わるのが面白い。キタニ coverの方は重くてより執着を感じて好き(Eveさんcoverは軽やかに狂っていてお洒落)
歌詞がドツボで大好きだ。本当は一貫して「僕」が「きみ」に狂って加虐心、自虐心を歌っているが、1番と2番で「僕らみたいなクズ」がお互いの中毒症状を歌っていると個人的に考えてしまう。「優しい地獄」と「眩しい常闇」は同じようで少し違うと私は感じていて、「化け猫」でも「眩しい」という言葉が出てくるように、この言葉がキタニタツヤの曲では攻撃的に扱われていて「優しい」とは違う形容詞ではないかと思っている(「眩しい」に対し世間ではキラキラ/魅力的と肯定的な意味を持っているが、彼の曲の中では眩しいと感じる対象に良くも悪くも傷付けられた時に添えられている気がする。考え過ぎかもしれない)。
1番は逢瀬で相手を傷付けながら愛していて色っぽい。「陶器のようで柔いその頬」をもつ「優しい地獄」な「きみ」、クズというより無垢ゆえに倒錯して傷付けてくる人間なのかなぁと思っている。「汚し合って」「舐め合って」と2人の存在を感じるが、2番は「きみ」と離れ早朝まで1人で孤独に苛まれている。
1番の拍子が急かしてくるのに対し2番はスローで悪夢の時間が少しずつしか進まず終われない感じが上手いと思う(1番がタンタンタンタンで2番がターンタタンッと鳴っている←分かりにくくてごめんなさい)。一瞬で過ぎ去る悪夢なんて無くて、スローだからより傷付けてくるのだよなぁ。
2番の「僕」は、「消えかけの月明かり」に安心して朝日を恐れているが、キタニタツヤの曲に出てくる光は特徴的だと思う。月明かりは太陽を反射して光るから、月光も日光でありそれすらも弱くないと孤独に耐えられないのかなぁ。
そして曲を通してキタニタツヤの歌声が色っぽくて「僕の」絶望を感じさせてくる刹那的な声が大好きだ。サビもだが「僕らみたいなクズのためのラブソングはどこ?」を現地で聴いてやられた。


壊れたスマホの動画のスクショ、これは最後の「愛だ恋だ〜」を歌っているところかもしれない⋯


ハイドアンドシーク

この曲、キタニタツヤの曲を3曲しか知らない時にInstagramで流れてきて本格的に聴くようになったので自分の中で「分岐点」の曲だと勝手に思っている(当時King Gnu繋がりでperimetronのアカウントを見ていたら「ハイドアンドシーク」MVの投稿が出てきて、「このinunohoneって人、「悪魔の踊り方」の人だ〜」とキタニタツヤのアカウントをフォローしたことで、「聖者の行進」と運命的な出会いをした。今調べたら「ハイドアンドシーク」の投稿が見つからなくて、perimetron関係無かったかも)。
この曲の音が凝っていて好き。当時「燃えるピアノ 破られた絵画」の歌詞と歌い方にすごくハマり、今回のライブで「息を潜めて」の後のピアノに急き立てられてキタニタツヤがサビを歌い上げるのを聴きながら「あのコロナの時からキタニタツヤを追っているんだなぁ」としみじみした。個人的に歌詞が鏡文字に映されて背景の映像がアートやんと見とれていました。


『DEMAGOG』でも使われていた文字の名前を忘れた

落下ウサギと寡黙な傍観者の手記

キタニタツヤを知ってから「こんにちは谷田さん」の曲を知った人間だが、谷田さんの中で1番好きな曲が「落下ウサギと寡黙な傍観者の手記」なので聴けて嬉しかった。私は慣れていなくてファンクラブに入会していないけれど、ファンの投票で1位になり演奏されたそうでファンクラブの方々に感謝しました、ありがとうございます。
大好きなイントロが流れて小さく叫んでしまった。演奏しているキタニタツヤが飄々とベースを弾いていて格好良かった。セルフカバーを初めて聴けて最高だった⋯。

悪魔の踊り方

キタニタツヤを初めて知った曲で、その6年後にライブに参加しているとは思わなかった(曲を知った時期が浪人生の秋で、元からの家庭状況に加え色々辛かったので、そこから半年はこの曲以外キタニタツヤを知らなかった。そもそも当時の自分ならキタニタツヤに限らず、ライブに参加するなんて一生できないと諦めていた人生だった)。滅茶苦茶自分勝手だが、10年活動してきたキタニタツヤは勿論偉いし、6年いや生きてきて25年ほんの少しは頑張ってきた自分も何とかここまで漕ぎ着けたんだなぁと感動してしまった。
改めて大好きな曲を興奮して聴いていたら、2番目から鏡音リンと歌い出した時は思わず絶叫してしまった。同じく大好きなボカロ、それも初めて好きになったのが鏡音リンで彼女とデュエットするの、何て表現すればいいのか分からないくらい最高だった。鏡音リンも生きて舞台に立っていたんだよ。幻覚で彼女がいたのが見えた気がする。

或るキリスト者は告解室を去る、唯だ信仰のみを抱えて

この曲2分にも満たないので、「これもやるんだ!」と喜んで興奮している内に終わってしまった。興奮し過ぎは良くない、十分味わえていなかったぞ私。
「「真っ白なままで息ができたなら」 悍ましいこと 積もる雪は濁っていく」の歌詞が美しくて好きで、キタニタツヤの声で聴くと心の中に冬の冷たさが流れてくるようだった。

よろこびのうた

武道館公演のアレンジが、特にピアノの音が綺麗で感動した。
歌詞とともに音が寂しくて冷たくて、歌い終わった後の演奏が天上の音楽みたいで孤独と諦観を感じるけれど心地好く感じる。天上の音楽、何て言えば分からないけれど、宗教音楽らしさも感じる。名前も「よろこびのうた」だし、自分の終わる場所にこの曲が流れていたらいいなと思った。

振り子の上で

と思っていたらキタニタツヤが激しくヘドバンしてギターをかき鳴らし、「よろこびのうた」と対の「振り子の上で」が来ると思わなんだ。
「振り子の上で」で「消えてしまいたいと願う朝が 生きていてよかったと咽ぶ夜に塗り潰され」と歌うところ、「よろこびのうた」の冷たさと対称的で冷め始めているけど仄かな温かさが少し感じられてこっちも好きです。

次回予告

曲が面白い。「始業のベルで僕は舞台に立たされ〜る」から同音を4回続けて歌うので音の滑稽さとインパクトがある。それに合わせるようにファンが「いけ、たたかえ、まけないで! せいぎはかつ、まけたらわるもの〜〜?」とあえて原曲のように無邪気に大声で歌ったら、変ニ長調でキタニタツヤが「何故こんなにも許せない? 受け入れたこれまでの日々を」と落ち着かせた後、ハ短調き変わり「来週の君は負け犬です! 20年後の君も以下同文です!!」とファンによって勢いが戻り、ハ長調に変わってキタニが「また同じオープニングテーマが鳴る」とぶちかます流れが最高だった。

スカー

この曲の疾走感に置いてかれないようにクラップして盛り上がった。
2番のサビが終わった後の歌詞が、キタニタツヤの歌い方が歌詞と相まって希う感じが私は好きなんだ。

私が明日死ぬなら

キタニタツヤの中で透き通った曲で初めて聴いた時珍しいなぁと思った。ニ長調で曇り空から日差しが零れるような綺麗な曲で、何回も繰り返される「ラミファ#レ」の音が最初はピアノで、その後ヴァイオリンで繋がっている演奏が心地好い。
音楽(≒キタニタツヤ)の優しさが一貫している。私は押し付けがましく励まされるより、暗さを持ち苦しさを見つめる曲の方が気が紛れて好きだが、この曲は「どうにかあなたにこの世界にまだ居てほしいなぁ」と語りかけてくるから苦手でない。あと「にわか雨の寂しさ」に引っかかっていて、私はにわか雨に負のイメージを持っていなかったのだが(何なら好きな天気だ)、にわか雨は一発でびしょ濡れにならないが少しずつ染みてくる→知らない内に寂しさが溜まってしまって戻れなくなることを伝えたかったのかと気付かされた。けれども「私に見向きもしないでいてくれてありがとう!」を始め、明日死ぬならどうするかという仮定を聴くと「じゃあ『私』はどうするの?」と少し切なくなる(重かったらすみません)

ずうっといっしょ!

この日に解禁された曲で、すぐに聴いてライブの同行者と「カマしてきたなぁ〜〜〜」と言ってしまった。
ひらがなだけの曲名を見た時点で不穏そうと思ったが(「素敵なしゅうまつを!」に近いものを感じた)、「沈殿した思い出でずうっといっしょ!」で殺しに来ている。
「あなたの一生の後悔として添い遂げるよ」なんて、ファンへの殺し文句だと思った。

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