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娘が編み出した、自分を守る方法

4月1日から、娘が新しい保育園に通い始めた。

自分のことを言えば、新しい環境に慣れるまでに2年かかる。新しい人と文化の中で「自分」として振る舞えるようになるまでに、どうしてもそれくらいの時間がかかってしまう。

少なくともその遺伝子を半分受け継ぐ小さな生き物が、3歳10ヶ月で、1日の大半を過ごす環境が、ごっそり、まるごと変わるというのは、ものすごいストレスがかかることだろう。登園拒否も当然だろうと思っていた。

しかし、娘はいま、耐えている。というより、対応しようとしている。現実を受け容れようとしている。その姿は、かわいいという次元を超えて、敬う対象のように見える。

たとえば、妻、つまり母が朝、仕事に出かける時、行かないでくれと言う。玄関先で「あっと(母の愛称)がいい! やだ!」と泣き叫ぶ。帰って来れば、ずっと母のそばにいる。ずっとそばに居たいから、風呂もメシもうっとうしくて、1ミリでも1秒でも近くにいたがる。メシが食いたくないわけではない。風呂が嫌いなわけでもない。少しでも近く長く母のそばにいたいだけだ。

あるときは、ままごと遊びに没頭する。イチローが打席に入る前の屈伸とバッターボックスに入った後に円を描き肩裾をつまみ上げるルーティンのように、ままごとに無心になることで心を落ち着かせようとする。あるいは、100回は観た『アナと雪の女王』を観たいと言う。500回は歌って踊った『パプリカ』を流してほしいという。ずっと前に観たアンパンマンの「かつぶしマン」の回が観たいと言う。祖母が腕によりをかけた料理を出しても、いつも食べている茶漬けやみかんやきゅうりが食べたいと言う。帰りがけにお土産に何がいいかとLINEビデオで聞くと、もう100個は食べた「アンパンマンチョコー」と言う。

これらは全部、「いつもの生活」や「あの頃の生活」に戻ってエネルギーを回復し、新しい環境に立ち向かうために、自分で編み出した「方法」なのだ。これに気づいた時、涙が出そうになった。

父(俺)のこともまだ好きでいてくれているようだから、母が居ないときは、俺のそばに来る時もある。母といるときと同じように、着替えもごはんも嫌がる。わがままのように見える。でも、その視線とまっすぐに向き合うとわかる。

「わかってくれ」と言っている。
「お母さん、お父さんなら、わかってくれるはずだ」と訴えている。

生きることは思い通りにいかないものであると知っている年長者は、世界の理不尽に対してどうにか折り合いをつける術を身につけている。でも、たった4年弱、世界と出会い始めて間もない人間に、そんなことできるはずがない。今まさに、その方法を探っている現場に立ち会っているのだと感じる。

昔なら成長スピードの誤差の範囲と見なされていたことが「発達障害」の範疇に飲み込まれる今では、そういう「自分を守るために編み出した方法」さえもが「症状」や「障害」だと見なされてしまうことが多い。チックでも、爪を噛むでも、指をしゃぶるでも、髪を抜くでも、性器を触るでも。

子どもが自分なりに編み出した方法を、「障害」であるとして取り去ってしまって良いはずがない。娘の姿を見て、それは暴力なんだと自分に言い聞かせる。

そして、朝、保育園に徒歩で向かう途中、道端で日毎に開いていくチューリップを定点観測しながら、空を舞う鳥の姿を追いながら、娘は心を整えようとする。そして、教室の前で別れるとき、覚悟を決めたように手を振る。

家では思いっきり母に甘え、登園時は覚悟を決めたように教室に入るのだ。いっしょうけんめいバランスをとっている。4歳手前にして、自分のことをよく知っている。これはすごいことだ。俺だって、誰だって、きっとこうやって世界と折り合いをつけてきて今がある。

玄関前で泣き叫ぶ姿は、一見「わがまま」や「だだをこねる」姿に映る。でも、それはわがままを言っているのではなく、思い通りにいかない現実を受け容れようとして受け容れられない過程だ。

その「方法」は、これから娘の身の回りで起こることに対応する形で、変化していくだろう。その時、一見不可解に見える行動を、「これは娘が必要に迫られて自ら編み出した方法なのかもしれない」と思える視点を、自分の中に持っておきたいと思う。

#子育て #育児 #エッセイ  

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