「ぜんぶ嘘だ」という真実
『ぼくらは嘘でつながっている。』という本を出す。
著者は、浅生鴨。
浅生鴨さんは、よくわからない人だ。
書籍の略歴欄にはこんな文字を並べた。
読まなくてだいじょうぶです。スクロールの長さだけ体感してください。
とにかく、いろんなことをやってきたらしい。よく知らない。わたしが間違いなく知っていると言えるのは、彼がTwitterをよく使うことだ。
Twitterで浅生鴨さんは、時折こんなツイートをする。
意味はよくわからないが、なんだか厭世的にもニヒリズムにも思えるが、わたしはそのツイートに惹かれた。誰も正面から言おうとしない、本当のことを言っているような気がした。それがこの本の発端だ。
彼のツイートは3日で消去されるよう設定されているらしい。流れる河に浮かんでは消えていくうたかたのように、彼のタイムラインに流れるツイートは、本当にすぐに消えてしまう。今となっては、彼がそんなツイートをしていたかどうかもはっきりしない。
そして彼は、時折Twitterのアカウント名を変更する。「えび満月」だの「おはぎ」だの「恵方マキ」だの「カニ」だのと変化させては不審に思ったフォロワーに見離され、減ったフォロワー数に満足したようにまた「浅生鴨」に戻す。よく考えれば「浅生鴨」と「えび満月」に大した違いはない。今これを書いている2022年9月2日金曜日22:32現在のアカウント名は「つくね」だ。
端的に言って、変な人なのだ。あまりかかわらない方がいい気がする。当初は本を書いてもらおうなんてまったく思ってなかった。手違いだったと信じたいが一度Twitterでブロックされた記憶がある。著者にブロックされた編集者がいるだろうか。奇妙な人だ。そもそも彼は文藝の作家であり、わたしはビジネス書の編集者でフィールドが違うし、ダイヤモンド社から純粋な小説を出すこともないし、接点はないだろうと思っていた。読者として彼の作品を愉しんでいればいいと思っていた。
しかし、予想外のことが起きる。
2019年、わたしは田中泰延さんと『読みたいことを、書けばいい。』という本をつくった。渾身の本だったから、市場に送り出す前に何かを書き残しておきたくて、発売直前に1本のnoteを書いた。
浅生鴨さんは、このわたしのnoteを読んでいたらしい。彼は「ネコノス」という出版社の創業者でもあり、自ら責任編集を務めて同人誌を出している。ある時、その同人誌に寄稿しないか、小説を書いてみないかと彼から依頼を受け、わたしは短編小説を書いて彼に送った。
つまり、「編集者」だったわたしを「著者」にしたのが浅生鴨だった。正体不明の浅生鴨は、正体不明のまま、一切書くつもりのなかった物語を自分の中から引き出した編集者になった。
「浅生鴨」は、もちろんペンネームだ。本名は3文字よりも多いらしいが、わたしはその本名を知らない。本名だけではない。わたしは彼の極々一面しか知らない。彼はどこで会っても常に原稿用紙を持ち歩いていて、いつもわたしに関係のない原稿を書いている。常に書店やイベント会場やテレビ局や地方を飛び回っていて、意味不明なツイートを放つ。「彼」かどうかも確認したことがないし、わたしは浅生鴨のほとんど何も知らないと言っていい。知ろうと思っても知れない気がする。
そんな姿を見ているうちに、変人でしかなかった浅生鴨が、人間の人間らしさの象徴のように思えてきた。そもそもわたしたちは、望んだ名前で生きていない。わたしたちの名は、両親だの祖父母だの地元の名士だの、他人がつけたものだ。全員、望まない名前をつけられて人生がスタートし、ほとんどの人がその名を背負ったまま人生を終えていく。本名とは、望んでいなかった名前である。自分自身が意志を持ってつけた「浅生鴨」というアホっぽいペンネームが、少し羨ましく思えてくる。
そして、浅生鴨の得体の知れなさを、わたしはあらゆる他人に対して感じていることに気づいた。わたしは他の著者の、同僚の、よく行く中華料理屋の店員の、長年付き合いのある友人の、ほんの一面しか知らない。一番近くにいたはずの両親の過去すら、妻の職場での姿すら、我が子の学校生活でクラスメイトに見せる顔ですらも知らない。人は接する人の分だけ違う顔を見せる多面体であり、わたしに見せる顔しか知ることができない。
浅生鴨は、そういう人間の業を、逃れられない孤独を、意図的に体現しているように見えた。わたしが「人間とはこういうものだ」と思っている解像度の粗さを嘲笑うかのように、常に形を変えてつかめない実体を残像化する雲のように、世界を煙に巻くように、意志を持って嘘をつき続けていた。
嘘。
浅生鴨とは嘘の化身である。彼の実態がつかめないなら、それでも彼になぜか惹かれるなら、彼の存在を支えている「嘘」そのものをテーマにすればいいのではないか。
わたしは編集者として依頼し、彼は断らなかった。しかし彼は大量のバックオーダーと自社の仕事と利益を生まない何かを常に抱えていて、待てど暮らせど原稿は届かなかった。
その頃、彼は新しい同人誌の制作に取り掛かっていた。前作に寄稿したわたしは今回も執筆陣の末席に名を連ね、あの時期わたしと浅生鴨は互いに著者であり互いに編集者であるメビウスの輪の上にいた。
わたしが彼の原稿を待っているのに、彼はわたしに原稿を催促してきた。新たな同人誌のタイトルは『ココロギミック』で、原稿のテーマは「裏切り」だという。わたしはあなたに「嘘」の原稿を依頼しているんだぞ。なんだこれは。冗談なのか。
そこでわたしは暴挙に出た。わたしが彼に送った依頼文を、「依頼文」というタイトルの原稿にしてその同人誌に寄稿した。著者の皮を被り、編集者として彼に再度依頼した。
『ぼくらは嘘でつながっている。』
これは、彼と出会い、彼とかかわる中でたどり着いた、これしかないタイトルなんです。少なくとも、わたしは確実に浅生鴨と嘘でつながっている。
わたしがこの本をつくった根本的な動機は単純で、浅生鴨という変な人がいる。宙に浮くようなこの人のおもしろさを、本に閉じ込めてやりたい。
やっぱりよくわからないまま、結局全体で煙に巻かれたような気もするまま、しかし彼の魅力が存分に出た本になった気がするんです。
9月13日発売。ネット書店では9月14日以降順次発売。
書店でこの嘘みたいな表紙を見かけたら、その手にとってみてください。