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ドラマシナリオ『謝罪否認症』

【あらすじ】
2035年。橋本圭吾(43)はかつてネットで「謝ったら死ぬ病」と呼ばれていた自分の非を認めず謝罪を拒否する病気「謝罪否認症」と診断され、クリニックに通院することになる。
2年後、橋本は就業するための「謝罪可能証明書」を取得するため、看護師の谷村加奈(35)同行のもと、かつて謝れなかった人たちに謝罪実践に向かう。

【登場人物】
橋本圭吾(42)(43)(45)建築家/患者
谷村加奈(35)看護師/謝罪仲介師
河野賢一(45)橋本の友人
桐生紗代子(40)(43)橋本の元妻
桐生直輝(10)橋本の息子
岡山雅史(26)(29)橋本の元部下
高杉弘樹(25)患者
竹田紀夫(60)(62)橋本の担当医
三井明(48)臨床心理士
陰山裕太(30)患者
美香(40)患者
鈴木(50)患者

【本文】
◯竹田クリニック・外観
テロップ「2035年」
 
◯同・診察室
医師の竹田紀夫(60)の前にイライラした様子で座る橋本圭吾(43)。
竹田「最後に確認します。あなたの部下が会社のハラスメント相談窓口にあなたからのパワハラを訴えたところ、そのような発言はなかったと主張。その後、部下がスマホで録音していた音声を出したら、発言自体は認めたが、パワハラではないと主張し、部下に謝るのを拒否し続けた。間違いないですか」
橋本「実際パワハラではないですから」
竹田「仕事向いてないよ、普通やめるだろ、才能なさすぎ、早くやれよバカ、死ねなどの発言があってもですか?」
橋本「その、文脈がありますからね」
竹田「パワハラはですねー、行為者や被害者の認識がどうだったかではなく、行為そのものや表現の仕方が不適切かどうかなんです」
橋本「(不服そうに)不適切かな」
竹田「では……ハラスメント窓口の報告と診察をもとに橋本さんを謝罪否認症と診断しましたので、通院して社会復帰をめざしましょう」
橋本「いやいやいや、謝罪否認症っていわゆるあれでしょ」
竹田「ええ。かつてネットなどでは『謝ったら死ぬ病』と言われていた、自分の非を認めず謝罪を拒否する病気です」 
 
◯タイトル『謝罪否認症』
 
◯橋本が住むマンション・外観(朝)
割と築年数が経った建物。
テロップ「2年後」
 
◯同・榎本の寝室(朝)
パジャマ姿の橋本(45)がカーテンを開ける。よく晴れている。
✕   ✕   ✕(時間経過の意)
橋本が春物のジャケットを羽織り、腕時計をつける。すべて高級品である。
その顔は晴れ晴れしい。
 
◯竹田クリニック・診察室(朝)
竹田(62)と橋本がイスに座って向き合っている。看護師の谷村加奈(35)が竹田の横に立っている。
竹田「気分はどうですか」
橋本「うれしいです。人に謝罪できるということが」
竹田「ずいぶんがんばりましたもんね」
橋本「はじめは先生にも失礼な態度で、申し訳なかったです」
竹田「いやー、急に病院連れてこられたらそうなりますよ」
橋本「ああ、まあ」
竹田「で! 今日から謝罪仲介師の資格をもつ谷村さんと一緒に、橋本さんが謝りたい相手に謝罪実践に行ってもらいます」
橋本「はい、よろしくお願いします」
加奈「こちらこそよろしくお願いします」
竹田「では、確認ですが謝罪の5つの要素をあげてください」
橋本「はい。1、謝罪の内容となる出来事の認識を明らかにし、2、自分の責任に言及し、3、後悔や自責の念を表明し、4、被害者への償いを考え、5、未来への約束を果たす」
竹田「完璧です。谷村さんにいまの要素や謝罪の様子などチェックしてもらい、謝罪可能証明書を渡せるか判定しますね」
橋本「承知しました(頭を下げる)」
 
◯同・レクリエーションルーム(朝)
高杉弘樹(25)と将棋を指している橋本。
高杉「国もなー、性犯罪じゃないんだから」
橋本「え?」
高杉「データベースつくって、謝罪否認症か確認できるってそれやりすぎでしょ」
橋本「ああ、でも怖いんだよ、謝らない人って」
高杉、なんだかなあという表情で盤上を見つめる。
高杉「謝罪可能証明書取れば、また働けるんだから」
高杉「今日はパワハラした相手ですか?」
橋本「いや、その相手は最後にさせてもらった。今日は中学からの親友なんだけどね、俺がいくら遅刻しても謝らないから疎遠になっちゃって」
高杉「遅刻なら楽勝ですね」
橋本「まあパワハラに比べたらね」
高杉「でも橋本さんってナチュラルに上から目線で人をいらつかせるんで気をつけてください」
橋本「失礼だな、謝ってよ」
高杉「なんでですか? 事実じゃないですか」
橋本、不満げにぴしゃりとコマを盤にうつ。

◯駅の改札
ICカードでタッチして構内に入る橋本と加奈。
 
◯電車の中
橋本と加奈が手すりにつかまっている。
橋本がノートを読んでいるのを加奈が見て、
加奈「緊張しますか」
橋本「ああ、それはもう」
加奈「実際の相手は練習通りにいかないので」
橋本「それはもちろん。何がきても受け止める気持ちです」
加奈「そうですか」
 
◯駅のホーム
電車が止まっている。
アナウンス「ただいま次の駅で人身事故発生のため、発車を見合わせております」
橋本が腕時計を見る。
加奈「タクシーで行きましょう」
橋本と加奈、電車を降りる。
 
◯タクシーの中
渋滞である。
橋本「あの、急いでるんですけど」
運転手「見ればわかるでしょ」
橋本「そんな言い方ないでしょ、こっちは客ですよ」
加奈「橋本さん」
橋本「あ、すみません」
運転手「(舌打ちし)大変だね、お姉さん」
加奈「少し遅れるとメールしますね」
橋本「最悪だよ(髪をぐしゃぐしゃにする)」
 
◯カフェ・外観
タクシーを急いで降りる橋本と加奈。
 
◯同・店内
橋本が見回すと、河野賢一(45)が手を挙げているのが見える。河野はくたびれた服装をしている。
橋本と加奈が近づき、
橋本「ごめん、渋滞しちゃっててさ」
河野「しょうがないしょうがない」
加奈「すみません、お待ちいただきありがとうございます」
橋本と加奈がイスに座る。加奈は手をあげ、店員を呼ぶ。
店員「(加奈のもとに来て)はい」
加奈「ホットコーヒーを」
橋本がじっくりメニューを見る。加奈、早くしてくれという目。
橋本「……カフェモカのホットで」
✕   ✕   ✕
橋本と加奈の前に飲み物がある。
加奈「私は橋本さんの加担、代弁はしません。橋本さんに謝罪をしてもらい、河野さんは自由にご返答ください。なお、今回は許可をいただけたので録音させていただきます(録音機を置く)」
河野「はい」
加奈「では、はじめてください」
橋本「(うなづく)今日は来てくれてありがとう。本当に助かる」
河野「病気なったって知らなかったから、びっくりした」
橋本「そうだよな」
河野「大変だったな」
橋本「いや、仕方ない。恥ずかしいけどパワハラしたのに謝れなかったんだ。この病気は治さないと迷惑かけるし」
河野「(迷惑という言葉に若干違和感もつ)……」
橋本「(ドリンクをのみ)まずは謝らせてくれ。これまで散々遅刻して本当に申し訳ない。謝罪もできずごめん」
河野「まあ、うん」
橋本「待つがわの気持ちを無視していた。本当に申し訳ない」
河野「うん、謝ってくれるのは良かったよ。自分が思うに」
橋本「(河野の言葉を待たず)なんで遅刻していたか振り返った。まず、早く来て待つとか先に来るのはイライラしちゃうから避けてた。で、遅刻を謝らなかったのは、自己中で待つ人のことを考えてなかったのと、自分が来ないと始まらないみたいな感じに思いあがっていたからかもしれない」
河野「ああ(苦笑し)、主役が待たせて登場みたいな?」
橋本「そうそう、ほんとやばいよな。そのことで迷惑かけたのも、疎遠になったのもすべて自分の責任、後悔してる」
河野「ちょっと言うと、しつけーよとか言ってたもんな」
橋本「本当におかしかった。時間は償えないけど、今後のつきあいで信頼を回復していきたいと思ってる」
河野「まあ(苦笑い)」
橋本「今後は、今日は本当に申し訳なかったけど、30分前行動で誰よりも早く着くつもり」
河野「ああ、いいんじゃない」
加奈「河野さんからなにか聞きたいことや言いたいことがあったら」
河野「あー……」
橋本「何でも言って。変わりたいから」
河野「……気持ちわかったって言うけど、どういう気持ちだと思ったの」
橋本「それはやっぱり、嫌な気持ち? 無駄な時間過ごさせてとか怒りとか裏切られたとか」
河野「そういうのもあるけど。ここ来るとき何がそんな嫌だったか考えたんだけど、結局好きじゃなかったんだよね、橋本のことが」
橋本「えっと、え?」
河野「好きな人のこと待つのは楽しいもん、割と。でも、そうでもない人を待つのはねえ」
橋本「いや、うん」
河野「(手元のカップを見つめ)まあ尊厳っていうと大げさだけど」
橋本「いや」
河野「待たされる、しかも謝らないって、尊厳削られるよ。俺のことをどっかなめてる」
橋本「なめてはないよ」
河野「(視線を上げ)いや、待たせて登場の主役なんだから、俺は下なのよ。そういう友だちと付き合うというのは、ねえ」
橋本「……そうか、ごめん」
河野「そんな感じかなー」
河野、コーヒーを飲む。
 
◯カフェの外(夕)
橋本と加奈が並び、目の前に河野がいる。
加奈「本日はありがとうございました」
河野「いや、謝れるようなってよかったです」
橋本「ほんと忙しいなかごめんね、編集者だもんな」
河野「(目線逸らし)いや、転職した」
橋本「あ、そっか。今度飲みに行っていろいろ話そうよ」
河野「(笑い)まあ、うん」
加奈「あ、ちゃんと言ってあげてください。橋本さんのためにも」
橋本「え、うん、なんでも言って」
河野「じゃああの……飲むとかないから」
橋本「え?」
河野「遅刻以外にもあるから。大学のとき貸した金全然返さないの逆ギレされたりとか、覚えてるもん。『返すよ、2万くらいのはした金』って」
橋本「そんなこと」
河野「言ったよ。俺……俺そのころ病んでたから、稼ぐのもきつかったんだよ」
橋本「ごめん」
河野「あと、お前も事故で困ってた時期だったけど、駅の階段降りながら言われたの覚えてる。『俺はお前みたいに病気に逃げるほど弱くないんだよ』って」
橋本「……ひどいな」
河野「あのころは傷ついて何も言えなかったけど、遅刻だけじゃないから」
橋本「ごめん、俺」
河野「お前とは生きてる世界が違うから、会うの止めたんだよ」
橋本「そんなこと(河野に近づこうとする)」
河野、数歩下がる。加奈、橋本の腕を掴む。
加奈「ありがとうございました」
河野、足早に去る。
加奈「……大丈夫ですか?」
橋本「ああ」
加奈「ちょっと寄り道して帰りません?」

◯神社・鳥居(夕)
一礼する橋本と加奈。
加奈「また頭下げちゃいましたね」
橋本「いや」
 
◯同・拝殿(夕)
お賽銭を入れる加奈と橋本。
橋本「謝罪、できてました?」
加奈「できてましたよ。最後もできるとさらによかったですけど」
二礼二拍手する橋本と加奈。
加奈「ちゃんと相手の声を聞くことができて、よかったと思います」
一礼する加奈と橋本。

◯橋本の家・外観(夜)

◯同・リビング(夜)
机に向かい、橋本が真剣な表情でノートをとっている。

◯竹田クリニック・デイルーム(翌朝)
橋本の手元にはノートがある。
橋本を含む患者数名や加奈を含む看護師や臨床心理士の三井明(48)が車座になっている。橋本の手元にはノートがある。
三井「では橋本さん、昨日の体験をシェアしてもらえますか」
橋本「はい。昨日、中学時代からの友人に遅刻の謝罪に行きました。謝罪自体はまあできたんですが、相手の感情をわかってないことがわかりました」
三井「どういった感情でしょうか」
橋本「……そもそも、自分のことを好きじゃなかったようで」
患者数名から笑いが起きる。
橋本「あと、相手は待たされて謝られないと尊厳が削られる気持ちがしたと言っていて、そこまでは考えてませんでした」
三井「そうですか。相手の話で想像を広げていけるといいですね」
橋本「はい」
三井「ショックでした?」
橋本「もうへこんでへこんで。最後、遅刻以外でも自分がやらかしてたこと指摘されて……反省しました」
三井「お疲れ様でした。では同行した谷村さんからフィードバックをもらいましょう」
加奈「はい。まず、電車のトラブルや渋滞で遅刻してしまったんですね」
三井「あら、遅刻を謝るのに」
加奈「そうなんです。お相手は寛容でよかったんですけど、そのカフェに着いて注文するときに、橋本さんが何を頼むか時間をかけてしまいまして」
三井「遅れたのに」
橋本「気になります?」
加奈「カフェが目的じゃなくて、謝罪が目的ですから」
三井「まあそうですね。自分のことしか考えてないように見えますね」
橋本「すみません」
加奈「謝罪については5つの要素を漏れなく言えていました。ただ、言う事に集中するあまり、相手の話を抑えてしまうところがありました」
橋本「え? そんなことないですよ」
加奈「録音を再生しますね(録音機出して再生する)」
橋本の声「本当に申し訳ない」
河野の声「うん、謝ってくれるのは良かったよ。自分が思うに」
橋本の声「なんで遅刻していたか振り返った」
患者から笑いが起きる。
橋本「……おかしいな、なんで」
三井「まあそういう傾向があると把握すると、ぐっと我慢もできるようになってくるので」
橋本「はい」
加奈「それ以外はよくこらえていたなと思います」
三井「じゃあ橋本さんお疲れ様でしたー」
皆、拍手する。橋本は会釈する。

◯クリニックの日々についてのモンタージュ
デイルームで橋本を含む患者たちが看護師たちとともにラジオ体操している。橋本は女性の看護師と目が合うと微笑む。
✕   ✕   ✕
ミーティングルームで三井が橋本を含む患者たちに講義している。
ホワイトボードには「正当化や弁解との違いを明確にする」とある。
✕   ✕   ✕
キッチンで橋本や患者たちが協力して調理している。
✕   ✕   ✕
面談室で橋本と加奈がノートを広げて打ち合わせをしている。
✕   ✕   ✕
ミーティングルームで「自分史10歳〜20歳」と書かれたホワイトボードを背に橋本が患者たちに向かって発表している。
✕   ✕   ✕
食堂で患者たちと喋りながら食事をしている橋本。
✕   ✕   ✕
デイルームで患者たちが看護師たちにならい90度に頭を下げる。
卓球の玉を打つ音が混ざってきてーー。
 
◯同・卓球ルーム
高杉と橋本がダブルスで美香(40)と鈴木(50)と卓球をしている。
橋本のスマッシュが決まる。陰山裕太(30)が試合を見ている。
高杉「おし!」
橋本「よしよしよし、楽勝だな」
陰山「ちょっと! 今なんて言いました」
橋本「え?」
陰山「楽勝って失礼じゃないですか!」
高杉「いや、10点差ついてるし」
陰山「一生懸命な人間をバカにするんですか」
橋本「そもそもあなたに言ってないし」
鈴木「申し訳ない! この人ね、SNSのやりすぎで謝罪依存症なの」
橋本「あ〜、謝らせないと死ぬ病ね」
陰山「その言い方は禁止されてますよ!」
鈴木「申し訳ない!」
橋本「あなたが謝る必要ないでしょ」
美香「この人、謝罪強迫症なんです」
橋本「あ〜」
美香「いったん逃げてください」
橋本と高杉、部屋から逃げる。
陰山「ねえ、2人に謝りなさいよ!」
鈴木「申し訳ない! ほんと申し訳ない!」
 
◯同・レクリエーションルーム
将棋を指している橋本と高杉。
高杉「俺、はじめて謝罪否認症でよかったと思ったよ」
橋本「そう?」
高杉「……次は誰に謝りに行くの?」
橋本「次は、元妻」
高杉「ヘビー」
橋本、将棋を差す手を止めて考える。
 
◯橋本が住んでいたマンション(回想・夜)
瀟洒なつくりである。
橋本の声「自分が何をしたかわかっているのか」 

◯同・橋本家のリビング(回想・夜)
橋本(42)の横に紗代子(40)が座り、正面に直輝(10)がいる。
橋本「返事をしなきゃわかんないだろ!」
紗代子「そんな怒鳴ったら、答えられないでしょ」
橋本「いじめだぞ、一生の傷を与えたんだぞ」
紗代子「たしかに悪いことはしたけど」
橋本「相手の子、学校に来れなくなってるんだろ。よくそんなことできたな」
直輝、泣く。
橋本「泣きたいのは被害者の子だよ」
紗代子、ティッシュを直輝に差し出す。
橋本「……こういうの内申に書かれるのかな(スマホ出して検索しようとする)」
紗代子「え?」
橋本「いや、受験」
紗代子「今そんな話いいでしょ」
橋本「あー、たしかにそうだね。とりあえず、明日お母さんと一緒に相手の家に謝りに行ってこい」
紗代子「え、来ないの?」
橋本「言ってなかったっけ? 明日俺が設計したマンションの内覧会だよ。いいか、お母さんと一緒に誠心誠意謝るんだぞ。部屋に戻って、何をしてしまったか反省しなさい(立ち上がる)」
紗代子「(立ち上がり)ちょっと待って。なんでいじめちゃったか、聞かないと」
橋本「え、それ聞く?」
紗代子「聞くでしょ。聞いたうえでなんでだめか話さないと」
橋本「どうせ相手のせいに」
直輝「ごめんなさい」
紗代子「うん」
直輝「ごめんなさいごめんなさい。僕が……僕が」
橋本「悪いと思ってるならいじめるなよ」
紗代子「黙ってよ。(直輝のそばに駆けより)受けとめないと壊れちゃうでしょ」
橋本、苦虫をかみ殺したような顔。
紗代子「お母さんが聞くから、行こう」
紗代子と直輝がリビングを出ていくのを橋本が忌々しげに見る。
    
◯総合病院・レクリエーションルーム(回想戻り)
高杉「いじめは悪いけど、あれですね、(橋本を指さして)親ガチャのハズレですね」
橋本「……明日息子は来ないって」
高杉「会いたくないよな、そんな父親」
橋本「ずけずけと。人の気持ちをもっと」
高杉「事実じゃないですか。謝らないですよ」
橋本「……手紙は渡そうと思う」
高杉「俺なら燃やすなー、腹立つもん今更」
高杉がぱしっと将棋を指す。
橋本が渋い顔で考え込む。
雨がザーザー降る音がしてーー。

 ◯同・橋本の部屋(1週間後・朝)
窓の外は雨。
橋本が着替えをしている。真剣な面持ち。

◯都内の道
横断歩道を橋本と加奈が傘をさして歩いている。

◯ファミレス・座席
窓際の席に橋本と加奈が並んで座っている。橋本は窓側。目の前にはドリンクがある。
加奈「いつぶりですか?」
橋本「1年、半くらいですかね……」
橋本、窓の外を歩く1つの傘に2人で入っているカップルと1人小走りする男を見る。
橋本「そのとき離婚届にサインして」
加奈「すみません、つらいことを」
橋本「いえいえ。あ(立ち上がり手をあげる)」
紗代子(43)が来る。
紗代子「お待たせしました」
加奈「(立ち上がり)いえいえ、今着いたところなので、どうぞ」
橋本「来てくれてありがとう」
紗代子「うん(席に座る)」
橋本「……俺、すまんトイレ(ノートを後ろ手に持って行く)」
加奈「あ、ご注文は(タブレットを紗代子に示す)」

◯同・トイレ
橋本が鏡を見て緊張した顔をほぐそうとしてから、ノートを出して見る。

◯同・座席
橋本が席に戻っており、紗代子の前にドリンクがある。加奈は目の前にパソコンを広げている。
加奈「今回は桐生さんの希望により録音はしません。それでは、はじめてください」
橋本「いろいろあるけど、まずは直輝のいじめの話を聞いた日のことを謝りたいと思う。本当にすまなかった(頭を下げる)」
紗代子「……」
橋本「振り返ると、別に俺は被害者の子に申し訳ないとか、直輝が傷つけてしまったことを真剣に悔やんでなかったと思う」
紗代子「そうだね」
橋本「世間での評判とかを気にしただけで、本当の意味で叱ることをしなかった。他人のように悪いと言った」
紗代子「あの子もだけど、私も傷ついたよ」
橋本「申し訳ない。謝罪自体も直輝と紗代子に任せて逃げた。自分が謝る義理はないと思ってた」
紗代子「ほんと、あのとき思ったよ。よく今まで一緒にいたなって」
橋本「……うん、すべて自分が悪い。なぜあんなことをしたのか……あと、あとなんだ。ちょっとごめん、確認させて(ノートを出す)」
びっしり書かれた文字を紗代子が見る。
橋本「いちばん大事なことだ。直輝がなぜいじめたか聞くこと。それをはねつけた。親失格だと思う」
紗代子「うん」
橋本「理由はなんであれ聞かないとはじまらない。寄り添わないと、だめだと説得もできない。それができなかったのは、偉そうでもともと人の話を聞かないのもあるけど(紗代子、少し笑う)、怖かったのかもしれない。直輝の違う、知らない面を見るのが」
紗代子「そっか」
橋本「でも紗代子はそれができたんだよね。すごいと思う。で、あの日のあと、いじめの原因は親子関係にあることが多いって聞かされてケンカになったよね」
紗代子「うん」
橋本「俺に理解しやすいようにプリントしたのを見せてくれたけど、それもはねつけた。自分の過ちを認められなかった。今では俺が、ハラスメント体質だったのが、直輝のストレスになってたとわかる」
紗代子「やっと理解してくれたんだ(じわっと涙が出る)」
橋本「全面的に俺が悪かった。本当に申し訳ない。仕事再開したらもちろん養育費は払わせてもらうし、親としてできることはないか考え続ける。頼りないだろうけど頼って欲しい」
加奈「……ここまでのことで、桐生さんのほうでなにか」
紗代子「すいません、お手洗いに」
紗代子が立ち上がってハンカチを出しつつトイレに向かう。
橋本、コーヒーを飲んで息をつく。
加奈「謝罪は出来不出来を競うものではないですが」
橋本「はい」
加奈「よかったと思います。真率さが私にも伝わりました」
橋本「ならよかった」

◯同・窓の外
雨が小降りになっている。

◯同・ドリンクバー
橋本がソフトドリンクを何種類か混ぜて入れる。
紗代子が橋本に近づき、コーヒーのボタンを押す。
紗代子「直輝も、そういうふうにする」
橋本「ああ」
紗代子「あの子、まだ難しいみたいで」
橋本「しょうがないよ」
紗代子「うん」
橋本「先戻るね」
橋本は、どこか意気揚々と席に戻る。

◯同・座席
橋本は女性の店員を目で追い、加奈は橋本の派手な色のドリンクを見て、
加奈「(信じがたいというように)これなんですか?」
橋本「これ? グレープと」
加奈「いえ、中身が知りたいのではなく」
橋本「え?」
加奈「もういいです、帰ってきましたよ」
紗代子がコーヒーをもって戻ってくる。
紗代子「すみません、お待たせして」
加奈「いえ。ではここまでで言いたいことがありましたら」
橋本「あ、忘れないうちに、直輝に渡してくれる?(ジャケットの内側から手紙出す)」
紗代子「わかった……ここまで反省して謝れると思ってなかったんで、わだかまりがある程度とれたっていうか」
橋本「よかった」
紗代子「……すっきりした?」
橋本「え?」
紗代子「言いたいこと言えて、すっきりしたでしょ」
橋本「いや、これからどう償っていくか考えてるし、そんなすっきりなんか」
紗代子「前と比べたらまともに見えるけど。そのなんだろ、謝れるようになるのに2年も必要なの?」
橋本「それはね申し訳ないけど、(教えるように)長年の認知の歪みを修正するのには時間がかかって」
紗代子「そもそも謝れないのが病気っていうのが受け入れられないから」
橋本「あのね、病気の概念って時代によって違ってね。あ、こういう解説もマウントか。でも、一緒に暮らしてて、謝れてなかったでしょ」
紗代子「なかったでしょって……医学のことはわからないけど私の気持ちとしてはそうで。っていうのも、養育費のことなんだけど」
橋本「ああ、さっきも言ったように」
紗代子「うん、もちろん払ってもらうんだけど。2年も待たせるのかって思うわけ」
橋本「うん、うん、わかる」
紗代子「あのときのことは謝ったけど、それからが大変なの。直輝の転校も、またいじめたりしないかなって不安も全部ひとりで受けて」
橋本「ごめん、考えてはいたんだけど」
紗代子「うそ。じゃあなんで謝るのに2年もかけるの」
橋本「一旦整理しよう。ただ謝るんじゃないからね。謝罪ができない心の動きを観察して、何が阻害しているのかを分析して、そういう思考のフレームをね、第三者から見てどう思うかフィードバックしてもらううちに」
紗代子「そんなかっこつけるようなものじゃないでしょ。謝罪だよ、普通にできない?」
橋本「(腕を組み)いや、難しいよ。というよりも奥深い。世の中を見るとさ、謝罪できないことで企業が危機に陥ったり」
紗代子「なんでほんと結婚したんだろ」
橋本「今それ言う?」
紗代子「あなたにとってはあの日の間違いでしかないんでしょうけど」
橋本「いやいや、それ以降もそれ以前も謝りたいよ。本当にごめん」
紗代子「……なんで結婚したんだろって自分を嫌いになるんだよ」
橋本「……」
✕   ✕   ✕
紗代子は席におらず、橋本と加奈は向かい合って座っているが無言。雨は再び激しく降っている。
加奈「なんか、ドリンク持ってきましょうか」
橋本「いや」
加奈「……ちょっとお金出てるんで、なんか食べます(タブレットもつ)」
橋本「今日俺、謝罪できました?」
加奈「できてましたよ。言い返しすぎですけど、ちゃんと言われてました」
橋本「ちゃんとって」
加奈「謝罪がめざすのはよりよく負けることだと思うんです。橋本さんは今日、ちゃんと負けてました」
橋本「……結婚したことまで責任負えませんよ」
加奈「ええ。でもわたしもシングルなので、桐生さんの気持ちもわかります」
橋本、メニューを手に取って開くがパラパラ見て閉じる。

◯橋本の家・リビング(夜)
橋本がノートを開いているが、ペンは進まず、ノートを乱暴に閉じる。

◯竹田クリニック・デイルーム(翌朝)
橋本を含む患者や加奈を含む看護師や三井が車座になっている。橋本は手元にノート、加奈はパソコンを開いている。
三井「では橋本さん、体験をシェアしてもらえますか」
橋本「元妻に会って、色々謝ってきたんですが、うーん……口が重いといいますか」
三井「今日はパスしますか」
橋本「いや、1つだけ吐き出させてください。僕の謝罪で元妻は泣いたんです、感動して。なのにそのあと、不満をばーっと。いや、いいんですよ、言うのは。その涙のあとに言える神経が正直わからない」
三井「これは実際見ていた谷村さんはどう思います?」
加奈「難しいですけど、感動の涙というより、やっと理解してくれたかという涙かなと」
橋本「やっとなんて言ってました? 音声ないですよね」
加奈「メモとってます」
「紗代子さん、やっと理解してくれたんだと泣く」と赤字で書かれたパソコンの画面見せる。
患者が数人笑う。
橋本「(笑いを気にして)感動もあったと思うけど」
三井「ええ、感情はね、いろいろ混じり合ってますから」
橋本「今言えるのはそれくらいです」
三井「お疲れ様でした。谷村さんからなにかあれば」
加奈「謝罪は手順を踏まえていましたし、お相手もある程度つかえがとれたとおっしゃっていました」
三井「すばらしいですね」
加奈「……1点気になったのは、謝罪したあとドリンクバーでソフトドリンクを混ぜて飲んでいて」
橋本「何がいけないんですか」
加奈「謝罪がうまくできて、少しはしゃいでるように見えて」
患者が数人笑う。
橋本「なんかさ、あなたチクるよね、こないだも」
三井「こないだっていうのは」
橋本「注文に時間かけてって。謝罪と関係ないでしょ」
加奈「言葉よりも態度に謝罪の気持ちは出るんです」
橋本、ばっと立ち上がり部屋を出ていく。
三井「進めててください」
三井、橋本を追いかける。

◯同・廊下(朝)
橋本がどすどす歩いていると、三井が並んでしばらく一緒に歩く。やがて橋本は走り出し三井は追いかけるが、橋本は遠ざかっていく。
マイケル・ジャクソンの「Beat It」の前奏が先行してーー

◯カラオケ屋・部屋
橋本が「Beat It」を音程を外しながら大声で歌っている。スマホに着信があるが橋本は無視する。

◯橋本の家・リビング(夜)
橋本がしょんぼりしながら静かに酒を飲んでいる。いくつか空き缶がテーブルの上にある。
橋本の脳内に流れる河野の声「好きじゃなかったんだよね、橋本のことが」「飲むとかないから」「お前とは生きてる世界が違うから、会うの止めたんだよ」。紗代子の声「すっきりした?」「謝れるようになるのに2年も必要なの?」「なんでほんと結婚したんだろ」「なんで結婚したんだろって自分を嫌いになるんだよ」
スマホが鳴る。橋本が見ると「竹田クリニック」と表示されている。橋本は憂鬱そうにとる。
加奈の声「橋本さん?」
橋本、どきっとした表情をする。
加奈の声「よかったー、つながって。心配しました」
橋本「……」
加奈の声「あの、謝らせてください。ごめんなさい」
橋本は身体を起こす。

◯竹田クリニック・ナースステーション(夜)
加奈「わたしは愛想がないし杓子定規で、橋本さんの心境を想像できてませんでした」
橋本の声「いや」
加奈「橋本さんが病院に来てから努力していることを私達は知っています。誰かから見て2年は長くても、人はそれぞれ自分を変える時間が違って当然です。真っ先にそれを伝えるべきでした。ごめんなさい……担当を変えることは可能ですが、橋本さんの謝罪実践を見届けたいです。次回、発言の仕方とタイミングに注意します。今回は本当にすみませんでした」

◯橋本の家・リビング(夜)
橋本「……謝る必要ないですよ」
加奈の声「え?」
橋本「杓子定規でもないですよ。神社行ったり、何か食べるかって気遣ってくれたじゃないですか」
加奈の声「あれくらいは当然というか」
橋本「キャパが小さいんです。人が笑うとバカにされたと思って、自分で自分を笑えない……自分の父親もそうで、そういうところが嫌いだったのに。いや、また親のせいにしてるな」

◯竹田クリニック・ナースステーション(夜)
加奈「……生意気ですが、橋本さんは愛おしい人だと思います」
橋本の声「どこが」
加奈「少しずれているところが。昔はずれが大きくて怖かったかもしれないけど、今は笑えるんです」
橋本の声「そうなんですかね」
加奈「苦手な人はけっこういるかもしれませんが」
橋本の声「どっちなんですか」
加奈「いやいや。それで、次回も一週間後ですが大丈夫ですか。延期してもらうことも」

◯橋本の家・リビング(夜)
橋本「いや、それは向こうに悪いので。予定通り」
加奈の声「わかりました。お疲れでしょうし、ゆっくり休んでください」
橋本はソファに寝転びうつぶせになる。
✕   ✕   ✕
(フラッシュ)
仕事場で周りの人間がいるなか、橋本が岡山雅史(26)を叱責している。
✕   ✕   ✕
(フラッシュ)
居酒屋で橋本が岡山に小言を言っている。岡山は正座で聞いている。
✕   ✕   ✕
(フラッシュ)
仕事場で誰も座っていないデスクを見おろす橋本。デスクに岡山が城をバックに笑顔で映る写真がある。
✕   ✕   ✕
スマホが鳴る。
橋本「また?」
橋本がスマホをとると、河野と表示されている。
橋本「もしもし、うん、どうした? うん、まだ通院中。なんかあったの……うん、そうまだ。あ、いいの? なんかあれば全然、行くしどこでも……ありがとう。あのさ、いろいろほんとごめん……また、気が向いたらっていうかよかったら電話して。こっちからは、しないから。うん、じゃあ」
橋本は電話を切ると、寝室に入ってドアを閉める。

◯橋本の夢
夜。河野の実家のアパートの屋上。
河野や紗代子や加奈や高杉や三井がいて花火をしている。
橋本は座って機嫌よく酒を飲む。
直輝が橋本の前に来て、手紙を出す。
橋本「読んでくれたか?」
直輝は首を横に振り、手紙にライターで火をつける。手紙はあっという間に燃え滓となる。
橋本「(怒り)直輝」
河野と紗代子が橋本の両隣に来て、橋本の耳に口を寄せ
河野と紗代子「謝れ」
橋本が正座して頭を下げると、直輝が橋本の顔を下から覗き込み、
直輝「悪いと思ってるならいじめるなよ」

◯橋本の家・寝室(深夜)
橋本がベッドの上で声をあげて目覚める。橋本は目をこすり、頭を抱える。

◯同・リビング(深夜)
閉じたノート。
うろうろしている橋本は覚悟を決めた様子で座り、ノートを開き書き始めるがその表情は沈痛である。

◯大きな公園(1週間後)
どんよりとした曇り空。

◯同・滝
橋本が滝を見ている。加奈は心配そうに橋本を見ている。
加奈の視線の向こうに岡山(29)が現れ、会釈する。

◯同・あずま屋
長椅子の90度のところに加奈は座り、彼女を挟んで橋本と岡山が座っている。
加奈「それでは橋本さん、お願いします」
橋本、岡山の顔を見たあと視線を落とす。
橋本「今日は、来ていただきありがとうございます」
岡山「いえ」
橋本「……あの、本当に申し訳なく思ってます(頭を下げる)」
橋本がなかなか頭を上げないので岡山は困惑しつつ、
岡山「何を、ですか」
橋本「それは、わたしが岡山さんに対して暴言を吐き、尊厳を傷つけ……すべて自分のせいです(滑り落ちるように土下座する)」
岡山「あの、土下座とかいいので」
橋本「申し訳ありません。なぜあんなことをしたのか、というと……暴言で支配することで……要は自分やプライドを守り……その、わたしが自信がないからです。すみません」
岡山「土下座はやめてください」
橋本「申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
岡山、困惑して加奈を見るが、加奈は橋本を見つめるだけである。
岡山「……頭が真っ白なんじゃないですか?」
橋本「……」
岡山「自分は橋本さんに詰められてるときそうでした。何を言っても怒られると思うと、何も浮かばなくなる。何も言わないと怒られるので、ひたすら謝る。謝ってばかりいると……自分が本当に、言われたみたいに馬鹿に思える」
橋本、土下座したまま顔をあげる。
岡山、しゃがんで橋本に視線を合わす。
岡山「でも、僕はおびえてる人を謝らせたくないです」

◯同・木々の間の道
空が晴れて陽光が照らす中、橋本と加奈が歩いている。
加奈「こういうことをしてて矛盾してるようですけど、謝罪は言葉にできるだけがすべてではないと思います」
橋本「……」
加奈「言葉にするのが苦手な人が反省してないかといったらそうではないと思うし、罪悪感にかられて言葉が出なくなることもあるし」
橋本「まあ。でも、補償のこともあるし、今日言えなかったことは手紙で伝えたいです」
加奈「いいと思います。手紙を受け取ってもらえるかの確認が必要ですが」
橋本「……でも図々しいんですよ」
加奈「え?」
橋本「一時的な落ち込みで、うつ病とかにはならないんです」
加奈「わからないですよ」
橋本「いや、持ちこたえてしまい、すぐ女性のこととか考えるようになる」
加奈「(笑い)健康的でいいじゃないですか」
橋本「どうですかね」
橋本、石につまずき派手に転ぶ。
加奈「(駆け寄り)大丈夫ですか?」
橋本「……こけたー」
橋本が加奈に目を合わせて力なく笑う。

◯橋本の家・外観(朝)
テロップ「3週間後」
セミの鳴き声が聞こえる。

◯同・寝室(朝)
橋本が穏やかな顔で着替えている。
竹田の声「おめでとうございます」

◯竹田クリニック・診察室(朝)
竹田「受付で謝罪可能証明書を受け取ってください」
橋本「はい。本当にお世話になりました」

◯同・レクリエーションルーム(朝)
橋本と高杉が将棋を指している。
高杉「あの、今まで失礼なこと言ってすみませんでした」
橋本「急にどうした」
高杉「あんなどうしようもない橋本さんでも謝罪できたなら、そろそろ俺もやらなきゃって(コマをぴしっとうつ)」
橋本「……参りました」

◯同・エントランス(朝)
免許証のような謝罪可能証明書を見る橋本。加奈がそれをのぞき
加奈「いい表情ですね」
橋本「ありがとうございます」
加奈「これからどうするんですか」
橋本「知り合いに仕事回してもらおうかなと」
加奈「いいですね。応援してます」
橋本「(うなづき)……あのときキレて、すみません」
加奈「いえいえ、わたしこそ。きっとうまくいきます。仕事も、女性とも?」
橋本「だといいですけど(スマホが鳴って取り出す)失礼します、あ」
スマホに河野と表示。

◯河野の実家のアパート・階段〜屋上
橋本が屋上まで駆け上がる。
橋本が屋上に着くと、柵の外に河野がいて缶ビールを飲んでいる。足元にビールが多数入った袋がある。
河野から5メートル離れて警官が2名いる。
橋本「(警官のところまで来て)河野」
河野「おおきたか」
警官1「お知り合いですか」
橋本「まあ、友人です」
河野「(笑って)飲めよ」
河野、缶ビールを投げてきて、橋本はそれを拾う。
橋本「おい、なあ、どうした」
河野「懐かしいだろ、うちの屋上。花火したり、花火見たり」
橋本「ああ」
河野「飲めよ、飲みたかったんだろ」
警官2「あまり刺激せず、話してもらえますか。こちらも対応を考えるので」
橋本うなづいて、缶を開けると泡が吹き出る。
河野「ごめんごめん」
橋本「いいよ」
河野「俺はすぐ謝るんだよな(ビールを飲む)」
橋本「こっちで飲もうよ、なあ」
河野「こういうとき、彼女とか妻と別れて〜とか仕事クビになってとかだけど、もう8年彼女いない。仕事も非正規だし」
橋本「仕事、変えたんだよな」
河野「ま変えたっていうか、今はビジネスホテルのフロント。ストレス貯まるぞ〜」
橋本「そうか……なにかあったのか?」
河野「(缶を握りつぶし)、この間母親が亡くなった」
橋本「そっか……それは大変だったな」
河野「過剰に愛が強くて、俺にとってでかいんだよ。なにやってんだ俺ずっと」
橋本「俺だってそうだよ」
河野「お前は結婚して子どももつくったし、建築家でしょ? (下見て空き缶を捨てる)どうせいい家住んで」
缶が地面に落ちた音がする。
橋本「それを全部失ってるから」
河野「俺は失う価値のあるものを一回も手にしてないんだよ。いや、ぜんぶ自分のせいなんだけどね」
橋本「これからかもしれないだろ」
河野「もう疲れたよ。なんも手元に残らないし(新しいビール開けて飲む)」
橋本「……河野はいい奴だよ。優しいし」
河野、鼻で笑う。
橋本「……また電話くれてうれしかったよ。でもなんでその」
河野「な、飲むの断ったのにな。でもあのあと、いろいろ思い出して……」
橋本「言ってくれよ、なんでも」
河野「(ビールを飲み)俺も謝りたかった人いるよ、できなかったけど」
橋本「そうか」
河野「でも罪悪感で苦しんだし、今更嫌かなとか思って。悪いと認めないからじゃない」
橋本「そうだよな」
河野「お前こそ病気に『逃げられて』羨ましいよ」
橋本「ごめん。ひどいこと言った。弱さとか関係ないし、病気って逃げじゃない、苦しいよな(河野に近づく)」
河野「来るなよ(橋本にビールが入った缶投げる)。お前みたいのがいなければメンタルの病人も減るよ」
橋本「ああ」
河野「お前が死にたくなればいいのに」
橋本「……」
河野「(下を見て)正直怖い。でも、そっちに戻る意欲がない」
橋本「お母さんのことは残念だけど」
河野、新しいビール開ける。
橋本「一回休もう、なあ」
河野「お前くらい顔がよければなあ」
橋本「そんなこと」
河野「もう〜負けるの飽きた」
橋本「勝負じゃないだろ人生は」
河野「(笑ったあと缶で頭の横を叩き)死ね、もう早く死ねって言われてるんだよ」
橋本「誰も言わないよ」
河野「言うよ。お前だっていうだろ。仕事できないと、結果出さないと死ねって、部下とかに」
橋本「……ああ、昔は」
河野「結婚できないのはキモい、メンタル病むやつは面倒、自己責任、1人で死ね、ね?」
橋本「今は違うけど」
河野「もう楽になりたいんだって。(ビールを置き)そんな感じかなー(背を向けて縁に立つ)」
警官1「落ち着け!」
橋本「……ごめん」
河野「(首だけ振り返り)え?」
橋本「(頭を下げる)ごめん。申し訳ない。謝る」
河野「なんで?」
橋本「今言った価値観の、代表みたいなもんだったから俺は」
河野「なに、お前が代表して謝るの?」
橋本「ああ。河野が死にたくなるような声を出してた。ごめん」
河野「図々しいよ」
橋本「背負い込ませるような思いさせて悪かった」
河野「(振り返り)お前が社会を代表すんなよ!」
橋本「人の声を聞かなくて、みんなにしんどい思いさせてきた」
河野「その言い方さ、また主人公なの? お前、悪役だぞ」
橋本「ああ、そうだろうけど」
河野「お前は人の声を聞ける器ないだろ」
橋本「……」
河野「すぐ自分の声で汚すでしょ、かき消すでしょ」
橋本「なら、それも込みで謝らせてくれ」
河野「どういうこと? ぜんぶ謝ればすむの」
橋本「いや……とにかく、とにかく生きてくれよ」
河野「だから主役ぶるなよ(背中を向ける)」
橋本「でもちょっとはわかったんだよ、謝って負けることで。河野の尊厳とか言えなかった悔しさとか。元妻の怒りとか取り返しつかない時間とか。パワハラされた部下の恐怖、言葉がでない苦しさ。ちょっとは」
河野「……」
橋本「そんな強い結びつきじゃなくていいよ。でも一緒に飲みたいよ、そっち行くなよ、落ちるなよ、こっち向いてくれよ」
河野「……友だちじゃなくても?」
橋本「ああ。生きてる世界が違くても、俺も受けとめたいんだよ」
河野「(振り返り)……詩でも読んだの?」
×   ×   ×
快晴。
橋本と河野の片手には缶ビール。
河野「どう? 冷めた安〜い缶ビールは」
橋本「うまい。謝ったあとの酒はうまい」
橋本と河野がためらいがちに缶ビールを合わせる。                                                                                                                                            (了)


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