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『勝利至上主義』という言葉について考える

選手を引退してから指導をする立場として、育成世代の子どもたちの現場を見たり経験をして、最近つくづく思うことがある。

僕がヘッドコーチをしている
CLUB SPIRITS U12とU15では
『勝利至上主義』と言われる指導はしない。
じゃあその『勝利至上主義』の指導って何なのか。

個人的な結論を先に言うと

『主体性を失った指導』

です。

くだけていうと

『指導者にやらされているバスケットボール』

『指導者におさえつけられているバスケットボール』


といった感じです。

コーチが勝利を追求し、『厳しいチーム』という意味を履き違い威圧的・高圧的に怒鳴ったり、干したり、走らせまくる指導をすることっていうのは

主体が【コーチ】になっている。


コーチのやりたい事・やらせたい事をただやってるように見える。見えてしまう。

もちろん勝ちだけにこだわってるのではなく、本当に子どものことを想い信頼関係があり、あえて突き放すようにしてその後、個々にしっかり心のフォローや説明を丁寧にされているスタイルの指導者さんもいるとは思うので全てではありません。


僕が

『勝利至上主義の指導はしません』


と掲げたり、言ったりするとたまに

「勝利至上主義じゃないってことは今野は勝ちたくないのか?勝つ気がないチームなのか?」

「練習は厳しくないのか?そんなんで大丈夫なのか?」

「笑って楽しむだけのバスケなのか?」

とそんな風に聞こえてくる気がする。



そんなわけないですよね。


競技として競い合うスポーツだから勝ちを目指すのは普通のこと。
子どもやコーチも誰でも勝ちたいに決まってるし負けてハッピーな人間なんてどこにもいないと思ってる。上手くなるにはハードな練習は当然必要。

勝ちを目指すのは悪いことでもなんでもない。

でも、指導者がチームが勝つため・上手くなるための行動を子どもたちに強制することは、指導としてどうだろうか。


高圧的な厳しい言い方や叱責
ただただしんどい練習。
ミスを怒鳴り散らす。
などなど...

このように子どもをおさえつけるような指導は僕の中では


『厳しさ』
『チームを強くする』
『子どもを成長させる』
『勝つため』


ということではない。



勝つため・上手くするために子どもたちの直面する課題をコーチだけで解決してたら、ただコーチに言われるがまま、怒られるがままになる。
ミスを高圧的に責められると自分で考えてプレーが出来ず試合中に萎縮する選手になってしまう。
最悪の場合、その指導が正しいのだとある種の洗脳のような状態に陥る可能性すらあるように思う。

そのような指導がまさしく

【勝利至上主義の指導】

【主体性を失った指導】


ではないのか。

主体性を失った指導は本当に闇が深い。
今でも信頼関係もないままに高圧的な指導をする指導者は沢山いる。
子どもだけでなく、時にはご両親までを巻き込み盲目にする。
チームで子どもが生き残るため・活躍するため・勝つためには高圧的に怒られる環境が『厳しさ』であり『子どものため』だと認識してしまう。


でもそれが本当の『厳しさ』なんだろうか?


主役は紛れもなく、子どもたち。
それはどんな人でも理解してる。

指導者は選手を勝たせたり、良い学校に行かせて自分のステータスを上げることがゴールではなく、目指すべきところではない。

子どもたちの将来はもっと先にある。その先の人生に繋がるようにバスケットボールを通して伝えていかないといけない。


子どもたちの『主体性』を失わせる指導は
子どもたちの『考える力』をとにかく低下させてしまっていると思ってる。

現時点でのバスケットボールが上手なメンバーを集めて『主体性』を失い強いチームをつくったとしても、僕は何も魅力に感じない。そんな指導をしていたら

『ただバスケットボールが上手い選手・チーム』


になってしまうのではないのか。


高圧的な言い方・やり方のコーチに耐え、
我慢強い精神を得たとしても、『主体性』を持たないまま成長する

【ただの我慢強い人間】


になってしまうのではないのか。

コーチに言われたことをやるだけ、将来的には上司に言われたことをやるだけの人間になってしまうと思う。

我慢強さを学ぶことはとても大事だけど、それだけでは成長は出来ないし、そうやって我慢強さを学ぶべきではないと思う。


『自ら課題に向き合って考え、行動を起こして解決しようとしていく力』


のある選手が最後には伸びる。
その『主体性』の中で『我慢』だったり『競争』などの良い悩みが出てくる。

その課題を自らクリアしようとすると絶対に成長する。
現時点ではまだまだでも最後には立派な大人や選手になる。

僕はその力

【主体性】


を持って行動することを身につけさせてあげたい。


勝ちたい!上手くなりたい!活躍したい!と思ってハードワークするのは選手たち。
それを強要するのではなく、その熱い気持ちに対してのサポートを全力でするのが指導者ではないのだろうか。

または、その気がなくてもその気になるように導いてあげるのが指導者ではないのだろうか。

例えばでいうと

■コート上で声が出てないのなら言われるのではなく、自分で気付き考えて声をだす。周りに声をかける。

■周りより体力がないのなら自分で時間を作って走りこむ。

■「集中しろ!」と言われて集中するのではなく、自分で気づき集中する。

■「手を抜くな!もっと本気出してやれ!」と言われてやるのではなく、上手くなりたいのならこれは自分の限界ではないことに気付き自分をプッシュする。

など。

指導者がこれを導くこと、子どもが実行することもとても難しいことかもしれないけど、本当に大事なこと。

コーチに言われたことを言われた通りにいつもやってたら進歩しない。
コーチが子どもたちの課題を高圧的にやらせて解決しているだけで、人としての成長が難しくなる。思考を停止させている。

それでは子どもたちが大人になってもいずれ大きな壁にぶち当たって乗り越えれなくなる。社会人になってもずっと一緒。

バスケットボールが上手くなるだけではスポーツのもつ意味は何も伝えれていない。

バスケットボールを通して、バスケットボールから様々なことを学べるようにしていかなければいけない。

【主体性】


を持った個人・チームこそが本当の意味での
『厳しさ』であり、そこにこそ本当の
『競争』があると思っている。


『子どもたちが主体性をもち勝ちをとことん目指す』
ということは勝利至上主義ではなく素晴らしいこと。

『子どもの主体性を失わせ、勝ちを追求し高圧的な言葉で選手を追い込みコントロールしようとする』
ということは勝利至上主義。


少しでも少しずつでも、子どもが主体性を持ち未来に進んでいけるように子どもたちを導きたいと考えている。そんなチームを創っていきたいと思う。
それはとても難しく時間のかかることかもしれないけどブレない。

「あのコーチは厳しいで有名」
「あのコーチは厳しいで人気」

そんな話を聞いて実際見ると、子どもを何だと思っているのかといった指導をしている。

『厳しい』とは何なのか。


厳しい環境というのは指導者が創るものではない。

育成世代のチーム創りというのは最初から勝ちを目指すのではなく、主体性を持てるように取り組むことから始める必要があると思う。
そこで初めて

勝負の舞台に立つことができる

と思っている。
主体性を失ったやらされてるバスケットボールなんて勝ち負け以前に、勝負の舞台にも立たせてあげれてないように感じてしまう。

指導者は子どもたちの思考を停止させてはいけない。

バスケットボールを通して主体性を持ち、バスケも心も成長させることがコーチの役目であり、それが本来のこの世代の『育成』ではないのだろうか。



❶「自分なりに考え、自分なりに一生懸命練習に取り組んで努力してその過程に後悔はない!」

❷「厳しい指導のコーチのもとで俺はよく我慢して一生懸命頑張った!」

どちらも頑張ってると思う。
でもこの2つだと人として大きく成長できるのは圧倒的に❶だと思ってる。


自分の話になってしまうけど、常に自分で考え、トレーニングやランニング、自主練や練習の取り組み方も自問自答して行動してきたから上手になれたし、プロになれたし、長く続けてこれたと思ってる。

プロになれなかったとしても胸を張ってやり切った!と言えたと思う。
当時プロを目指してなかったとしても胸張ってバスケットボールに取り組んだ!と言えたと思う。 

だから全然バスケが上手じゃなかった自分が、当時むちゃくちゃ上手だった選手たちを『最終的』に追い越して上手になることが出来たのは周りとの

『主体性の差』だけ

だと思ってる。

『継続は力なり』は主体性があってこそできることだと感じている。


自分にはとにかく厳しかった。
自分に厳しいと、周りに厳しくしなくても周りがついてきてくれるようになる。そうするとどんどん連鎖で良い仲間が出来てくる。

僕は指導者にも恵まれ、バスケットを始めた5年生から主体性をもち、やらされてると感じたバスケットボールなんて1度もなかった。
やらされてるバスケほど面白くないものなんてないと今でも思ってる。

コーチが高圧的に押さえつけてプレーさせて、そこから歯を食いしばった選手が生き残り、その選手は讃えられる...

そんな美学は僕には、無い。

きっと勝利至上主義の指導をする指導者とは、そもそもそういった指導のもとで育ったのかもしれない。主体性がないまま育ったのでその他の指導の選択肢がないのかもしれない。
なので一概にその方々を否定するつもりはないが、僕の引き出しには無い。


CLUB SPIRITSが勝利至上主義と言われる指導をしない理由。

『主体性を持った子どもを育てたい』から。


バスケットボールの技術・戦術・考え方はもちろん指導します。
僕の持つ知識や経験を子どもたちに注ぎ込みたい!
でもそこがファーストじゃない。

何度もしつこいぐらい書いていますが、まずは選手が


『主体性を持つこと』がファースト


なんです。

例えば、勝つこと・全力で走ること・コート上で声を出すことなどは強要しないし、怒鳴り散らすことも高圧的な指導など絶対にしない。


『なんで必要なのか』
『なぜやるべきなのか』
『なにをすべきなのか』

などを考えられるように導いて『主体性』を持たせることがコーチの仕事だと思っているから。

もちろん小・中学の世代で完全に主体性を持てるかと言えばなかなか難しいかもしれないけれど、少しでも身につけて次の世代に送り出す必要があると考えている。

僕がヘッドコーチだから、僕から答えは出さないし解決はしないので子どもたちはある意味で厳しいと思う子もいるかもしれない。
(良い意味でだと嬉しいけど。笑)


楽しさの中に厳しさあり。
厳しさの中に楽しさあり。

指導者に「楽しめ!」「楽しんでプレーしておいで!」と言われても何を楽しめばいいのか分からない子も沢山いると思う。
すごくいい言葉なんだけど、子どもに主体性がなければただニコニコしてバスケットボールを楽しんだらいいと思いがちに思う。

でも主体性のレベルが高くなればなるほど


「しんどいことも、辛いことも、負けてる状況でも全てひっくるめてバスケットボールって楽しい!!」

そんな感覚になってくる。
どんな状況も楽しむことが出来るようになってくる。
それがバスケットボールを『楽しむ』こと。スポーツを愛すること。 


どうか子どもたちが納得のいく良いチームでプレー出来ますように。


長くなりましたが

CLUB SPIRITSは
楽しくも厳しく!
厳しくも楽しく!

みんなで頑張ってます(^^)
本当に頑張ってくれてる。

そんなCLUB SPIRITSですがこれからも子どもたちと共に僕自身も成長していきたいと思っています。

CLUB SPIRITSに是非チャレンジしにきてください!

『主体性』を持って一緒に成長しよう!

今野翔太





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