困ったものだ
このnoteを始めたのは大学1年生の時だったのに、今や大学4年だ。時の流れが早くて困る。怖い。とても。すぐにでも死んでしまう気がする。
過去の私、結局私は公務員を目指して頑張っているよ。民間就活はちょっとよく分かんなくて。選考フローが単純なのが公務員のいい所だよね。受かるといいな。公務員試験って遅いから、まだ終わってない。民間就活だと早い人だと3年の冬に終わってるのやばいよね。まぁ、全然人の進捗見て焦るタイプじゃないから大丈夫なんだけど。公務員全落ちして、10月とかになっても、内定なかったら流石に焦るかも。大変だね。
それで、どうして突然このnoteを書こうと思ったのかというと、また泣いちゃったからなんだよね。メンヘラだから、よく泣く。基本的に私は、希死念慮と長い付き合いで、いつでも死にたいし、生きている意味が分からないし、存在価値が分からなくて、なぜ生きているのだろう……。ってなってる。死にたいというより、生きている意味が分からない。ずっとそう。自分に価値があるとは思えない。自分のやることなすこと無駄だと思うし、無駄なことのために自分が苦労したり、傷つくなんてバカみたいだとも思う。正直その開き直りが、怠惰に見える、というか実際怠惰なんだけど。別に、死にたいからって怠惰であることが許されるわけじゃない。それはそう。でも、死にたいのだから何もしたくないというのもまた本当で。人生に価値を見出している人には分からないかもしれないけれど。生きていてもなんの意味もないのに必死で生きている。褒められたい。褒められないけど。
死にたい。生きている意味が無い。存在している価値がない。でも生きているからしょうがない。死ぬまで生きるしか道がない。そう思うのは別に悲しくない。だって、ただそう思うから。でも、みんなはそうじゃないと言われると途端に悲しくなる。どうやら、普通は死にたいとは思わない、らしい、自分に何らかの価値があると信じている、らしい。そんな、馬鹿な。信じられない。この世に生まれて死にたいと思わないで生きる?そんなことが可能?こんなどうでもいいことばっかりがあるこの世で、自分に何か価値があると、本気で思える?なぜ?そんなわけが無いのに。ちっぽけな人間風情がなにか行動を起こすことで影響を与えることが可能?そんなわけ。でも、本当に、本当に、”普通”の人は、死にたいとも自分が無価値だとも思わないのだろうか。それはなんて、素敵なんだろう。そして私はなんて、可哀想なのだろう。どうして。私は、なぜ死にたいのか。なぜ自分が無価値だと思うのか。死にたいと思わないようにはならない。自分に価値があると思えるようにはならない。なぜなら、私はそうだから。そう思ってしまうから。でも、私が死にたいと思うのを止められないように、普通の人は、自分に価値があると思って、ずっと生きているのだと思うと、悲しくて、恨めしくて、私は、なぜ、私だけが。死にたいのに、生きていて、褒められもしないのに、死なないように頑張っていて、どうせ死ぬのに、我慢して、どうせなんの価値もないのに、辛い思いをしている。なぜ。どうして。悲しい。私は、私は生まれてしまった。私はそう生まれついてしまった。そんな、先天性のことで、私の人生の幸福度が変わるのだと思うと、やるせなくて。運なのだ。結局。どうせ、人生の全ては運だ。
悲しい。私は生きていいのだろうか。