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自分のものさしの作り方

自分のものさし、判断基準って、どうやって決めていますか?メンター的な存在、いますか?

大前提として、ふと何かに気づけるって一つのステップだと思うんです。

例えば私の場合、妊娠中に気づいた、「食べたものが身体を作る」ということ。考えるまでも当たり前だったことに改めてフォーカスしたら、自然派の考え方、オーガニックや無添加というキーワードに行き着いた。

そして"気づいた"ことによって、これまでなかった新しい世界がぱぁぁっと、扉が開く感じがしました。同時に闇も拡がりました。

その瞬間は、添加物ってどう危険なの?有機野菜を食べるメリットって?といった具合に知識はゼロからのスタートです。そしてそこから、膨大な量の発信の中からの情報収集、情報の精査が始まります。

今はとても便利な時代で、セミナーのようなものを受けなくてもある程度さささっとWebで解決してしまいます。

SNSを見れば誰でもインフルエンサー。"講師”と呼ぶ?呼ばれる?自称?な人から賢いアイデア主婦の発信まで。内容が真実かどうかはさておき、良くも悪くもいくらでも情報収集できますよね。

で、私、その沼にハマることが多いんです笑

誰の、何を信じるか?

これがもっぱら私の頭を悩ませています。商品を売ろうとする販売者が発信する情報、それを疑ってかかる情報。論理立てて解説しているもの、要約、説得力のある正しく”聞こえる”意見。

その中で、誰の、何を信じて自分の知識の引き出しにしまうべきでしょうか?

知りたい事象について身近に詳しい人がいれば、その人を基準にしてしまうのが手っ取り早いかもしれません。でも、人柄を知った上で情報に触れるので、言い方は悪いですが、”正しい”と思い込んでしまうかも。(人柄だけでこの人が言うなら正しい!と思うのは困りものですね)

一方で、身近に○○博士がいなければ、自分で調べる、情報を”取りにいく”しかないですよね。

それが、私はとても苦手です。
情報が正しいかどうか、信じるかどうか、判断するのがとーっても苦手です。

先ほど述べたオーガニック系の話に関して言えば、添加物等の闇は深いものの、比較的訴える方々の言い分は同じであったりします。結構情報として調べやすい。でも時々胡散臭い笑

私にとって問題なのは、時々、科学的な要素が入ってくる時。あっちではA,こっちではBという答え、その信憑性を確かめるためのこんな研究結果がありますよ。いやいや、それは間違ってますよ、といったような、小難しい科学や数字の話は、読もうとするも、脱落しがち。。(泣) 私の場合数字が大の苦手、勉強が苦手だったので触りの部分で目が点です(最近ではワ○チン反対説とかめっちゃ調べまくっているのですが…難しすぎて)

そんなわけで自分の頭で理論的に理解できない場合(悲しい・・)、結局頼るのは要約してくれている記事や文章、ということになるんですが、

じゃあいったい誰を信じればいいの?と。
この人、まっとうそうなこと言っているけど本当かな?と。

発信者が偉い人であればあるほどなんか疑ってかかってしまったり、実際、政治家や国が嘘ついていることも多いだろうなぁと思うんです。

リソースの出典元はどこか?を調べるのも苦手。

メンターの存在は必要?

さまざまなところから得た情報を、最終的に「信じよう」と思えるようになるためのポイントってどこでしょうか?この人信用できる、って思える瞬間はどこでしょうか?

時々、こうあって欲しい、という色メガネがかかって信じることがあるかもしれないし、わからないけどなんか真実っぽいとか、

たくさんの視点から一つの意見を掘り下げていって、ああ、この人の言っていることは信用できるかもしれない。っていう、ある種メンターのような人が必要かどうか。メンター的な存在があればそれはそれはラクかと思います。従うだけだから。というより、疑う余地もなく信じちゃう。

例えば私には中学の頃からずっと大好きなアーティストがいて、その人の生き様を何年も追いかけて見てきて、さまざまなインタビュー、コメント、発信を通して、その人の考え方、価値観が好きだ、と心底思えます。

そんな大尊敬する人が一言、例えば私が今気になっていること、一般人が簡単に答えは出せないようなことに対して持論を展開してくれたら、私は一瞬で信じてしまうかもしれません。(その人の専門外でも)

大人になってから、こんな生き方していきたいなぁって密かに思っている、いわば理想!、という著名人もいます。その理想像なる人物が「こうだよ」と言えば、わからないけど右にならえ、的な心理が生まれるかもしれません。

そういう意味で、テレビじゃメディアでは教えてくれないような「世論の闇」笑に対して自分なりに結論を出す時、メンター的存在がいたら。気付かぬうちに色メガネをたくさんかけてしまうかもしれないですよね。

幸い、私の尊敬する方々は専門外のことについて持論を展開するタイプではないので、平和ですが。

メンター的な、絶対神、みたいな思想、人物の存在は必ずしもよいとも限らないのかなと感じます。


結局、こういう意見もあるよね、で留める。

というのは、私の夫のいつもの一言。

いつでも冷静沈着、発信を鵜呑みにしない、そして分析家である彼は、ある意味私の指針にもなっています。

そう、結局白黒ハッキリさせるような自分のものさしにはならないのですが、一つの意見に対して正反対の意見も知った上で、答えを出し切らないこと。

白黒ハッキリさせたいタイプの私にとってはこれはもういつもモヤモヤしか残らないのですが!笑

結局、特に専門的な知見が必要な時。専門家でもなんでもない自分に、これはこうだから!と言い切ることはできないんです。とんでもなく頭が良ければできるかもしれないけど。私は無理。

さまざまな情報を見聞きしてなんとなく理解できたとしても、それを人に説明することができない場合は、あまり話さないように気をつけています。説明できない、ってことは理解しきれていない、ってことですもんね。反論されても論破できないので!

こうした方がいいよ、これはやめた方がいいよ、ってつい色々言いたくなっちゃうけど、きちんと説明できない悲しさ。。

なので結局、自分のものさしはいつだってぐらぐらなんです笑

それでもやっぱり情報収集

それでも。

どんなに難しくても、100%はわからなくても、「さまざまな意見を拾いにいく」、という行動は大事だと思っています。そもそも我が家の場合はテレビも新聞も見ないので、自分たちのものさしを持って情報を集める必要がありますし。

胡散臭い情報に惑わされないようなリテラシーは重要だし、理解力は自信ないですが笑、でもそれなりにこのご時世、テレビって嘘ばっかりだな、ということぐらいは理解しています。

結論の出し方はどうであれ、世論の多数意見に流されない、自分の意思を持って立ち止まって考える、難しくても自分なりに解釈する。

きっとこれが一番大事なんですね。自分で考えること。

今回はちょっと、モヤモヤを吐き出してしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます^^

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