23歳、両親が離婚したって話

お久しぶりです。
社会人になって3ヶ月が経ちました。
早すぎます。

母の誕生日を祝ったラインに対し電話があり、
「引っ越す先は決まった、お父さんに話す」
1番に心配になった祖母に電話したところ、
号泣の祖母。
翌日、父から、
「お母さんが出ててったわ」

まあこんなところです。

話だけ見ると父が可哀想ですが、
僕は息子なので言わせていただくと、
どっちも悪いです。

人生ゲームも、最後の決算を終えたらもう戻れません。
もうゴールまでルーレットを1回回せばゴールできる状況でした。

この話を聞いた時、
僕は少し安心しましたし嬉しかったです。

やっと別れてくれるなと。

その方が2人とも楽だと思っていたからです。
しかも実際そうです。
ものすごい成長痛と引き換えに。

安堵が勝っていたのですが、
両親のLINEグループに、
長文のラインをしたためていました。

涙が止まりませんでした。

振り返れば振り返るほど楽しかった思い出やし、
でもそこには戻れるわけもないし、
もう戻れないのもわかってるし、
でももう帰省してもあの実家はないんやなと。

ただ号泣しました。
溢れ出ました。
涙とフリックが止まりませんでした。
悲しいです。
僕にとってはあんなに大好きな両親が、
お互いは歪みあってる。
本質的に合わない。

僕が生まれてから確かに仲は悪かったです。
ずっと思っていました。
僕が縛っているんだなと。
お互いはあんまりやけど、
僕が繋いでいるんやなと。

子は鎹はその通りです。

しかしそうなると悲しいです。

世界のどんなこと、
仕事のこと、
全てがちっぽけに見えてしまいます。

仕事で色々言われましたが、
あれから何日経っても、
何もかもがどうでもいいです。

身が入っていないわけでもないです。
ただ全て他人事です。
心が壊れそうです。

ここまで育て上げてくれた両親に感謝しかありません。大好きです。
一旦は、ふとした瞬間に息をつく暇もなく悲しみが襲ってくるので悲しむだけ悲しもうと思います。

幸い僕には、そばで支えてくれる同居人と程々の友達と1匹の猫がいます。

両親には、
いつか3人が心から会いたいと思った時、
3人で飲みに行こうと伝えました。
僕も今は3人では会いたくないです。

2日前に同居人と作りすぎたコロッケを帰って食べたいと思います。
本当になってみないとこの気持ちはわからないと思います。
安易に人の悲しみに寄り添ってきたなと反省しています。

しょうがないやん、
しょうがなくないんよ。

あの日のあいつの言葉が身に染みます。

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