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Threadsで目にしたCanva論争について


Canva使ってるやつはどーのこーの

最近、Threadsでやたらデザイナーさんたちの呟きが目についていた。
私は近頃WEBデザインの勉強をかじっていたので、検索履歴などなどから最適化されてそういった話題が上位に表示されるのかな、と思って当初はスルーしていた。
でもどうやらただ単純にバズっていたようだ。。

論争の内容はざっくり言うとこうだ。
「熟練Adobe使いベテランデザイナー」による、「デザインを舐めるんじゃねえ!」

過渡期のカオス

最近はAIだの、Canvaだの、みんな持ってるスマホでなんでも出来てしまうので、デザインへのハードルが低くなっているのもあり、いろ~んな人が参入して稼ごうとしている。故に単純な案件の価格破壊がおきており、ベテランデザイナーからすれば迷惑極まりないらしい。
さらに新規参入組が低単価で請け負った作品について、ベテランから見ると基本がなってないように見受けられるものも多く、このクオリティで金とるの・・・?となんとも腹立たしい気持ちにもなっているようだ。

どうもCanvaとCanvaを使うニワカどもを敵視したような論調のものを散見する。

私も多くのニワカどもと同じく、前職でCanvaを使った雑務をやるうちに、「あれ、もうこれWEBデザインやってるわ私。」となったクチである。副業くらいならできるんじゃなかろうか。。と盛り上がり始めていた矢先にこのムーブメントを目にした訳である。
個人的に、プロのデザイナーさんには憧れまじりのリスペクトしかない。天の上の手の届かない存在のような気さえする。故に、プロをくさしたりとか、ご迷惑をおかけするとか、そういう気持ちは毛頭無い。

でもSNSで本音の意見を垣間見たことで、既存デザイナーにとってCanvaの脅威が凄まじいことを理解した。

私は前職でWEBデザイン的な雑務をこなしていたと書いたが、地方の中小・零細企業においてもデジタルトランスフォーメーションの波はかすかに来ていて、何かと情報発信はSNSやらHPやらでしなくてはならないという焦燥感で溢れている。しかしながらそういった小規模の職場というのは資金も人材も常に不足しており、いちいち外部のデザイナーに依頼するのはハードルが高かったりする。そういう小さな会社で、ちょっとしたデザイン的業務をするとなった場合に彗星のごとく現れたのがCanvaなのだと思う。
今までAdobe使いでなければ作れなかったようなものが、無料でできるんだから、そりゃみんな使うよね。

今って、急激なデジタル化によって何から何までデザインシンキングが必要になってきていて、激動の最中なのかもしれない。

生き残るためには

デザインとはそもそもなんだろう。

デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。
つまりデザインとは、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。

デザイン - Wikipedia

つまり何か問題があって、それを「わかりやすく」「使いやすく」するものだ。であればその根底にあるのは思いやりである。
本来稼ぎの手段にする概念では無いのかもしれない・・・。

Canva論争が今後どのような決着になるのか、私にはまだわからないけど
個人的な意見としては、プロにはプロにしかない技術があるわけで、そのへんの野良デザイナーとは一線を画す、別物だろうと思っている。
要するに住み分けが大事だと思う。
上手に共存できる道がきっとあるし、そのほうがハッピーだ。
AdobeでもCanvaでもどちらを使ってもいい。
適材適所で必要な場所で必要な人が使う。ツールなんだから。

今、小学校の課題発表でもCanvaを使用していたりするので、これから大人になる子たちはみんなデザインスキルを持ち合わせるようになる。そうなると今後どんな人間が生き残るのかといえば、やっぱりテンプレートや素材に頼らず、完全オリジナル作品が作れる人なのかも。
AI出力画像が今後もどんどん増えていったら、アナログで絵が描ける人が最強になっていくのかも。
そうなるとやっぱり作家性の強い芸術家タイプが強いのかな。

『デザインに芸術的センスは必要ありません』
Webデザインスクールでよく聞くセリフ。
まずは理論。ルールに乗っ取ればある程度だれでもそれなりのものが作れるだろう。でもやはり圧倒的なクオリティの差を産み出すにはセンスも必要かもしれないとも思う。

これから先、カオスをどうやって生き残ろうか。
まじで思案中。

おわり。



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