ミニマルで雑なくらし
私はミニマルな暮らしにあこがれていた。
幼少のころから、スッキリしたインテリア、何も置いてないテーブル、誰も座ってないソファーのイメージに憧れがあった。
そう、インテリアの通販カタログのような風景だ。
しかしながら幸せなことに、私の実家は自営業で常に誰かが家にいるにぎやかな家庭だった。
故に、家はいつも雑然としていたように思う。
決して散らかってはいないが、理想とする「インテリアカタログのような」部屋のイメージとは似ても似つかなかった。いつもお爺さんがリビングで相撲見てるし
テーブルの上には新聞と灰皿があるし、何かとお客様が来るのでそのたびにお茶を出したりしまったりで、理想のミニマルな感じではなかった。
私は夢見たまま大人になった。
いざ就職して一人暮らしとなった時、夢のインテリアを今こそ実現できる・・・!と私は意気込んだ。
一人暮らしのワンルーム部屋に荷物を運びこみ、節約のため実家からベッドを運んだ。
ベッドは大きいので、設置するとそこはもう素敵なワンルームというより実家みたいになった。
しかしインテリアの夢はここからだ!私は胸が高鳴った。
だが何をするにも金はかかる。新卒の私にとって初めての一人暮らしで何もかもそろえるには手が届かないものも多かった。
経済状況に見合うものを、自分の中でアリと思えるデザインのものを、シンプルに、質実剛健に、ミニマルに・・・自分の理想と主義に従って慎ましくそろえていった。
そして出来上がったのがおよそ20代の乙女が暮らしているとは想像もつかない逃亡犯のねぐらみたいな殺風景な部屋だった。
理想のミニマルを追求して無駄を省いた結果、どシンプルな無彩色の壁と床、グレーに近い水色のカーテンとベッドリネン、どうせ終の棲家というわけでもないし家具は不要と判断した結果の、無印で購入した段ボール製の引き出し・・・
壁にはなぜが日本の古地図を貼っていた。戦国武将の領地がかいてあるやつ。
カレンダーだけフランフランかどこかで買った、妙にポップなやつだった。
なんか微妙だなと自分でもうすうすわかっていた。
オシャレなミニマルさというのは、「ていねいな暮らし」と多分セットになるものである。
私が追求していたのは、「ドケチでざつな暮らし」である。
なんか違うのは理解しているのに、もっと理想に近づけよう!とはならないのが自分自身不思議なのだが、「最低限暮らせれば別に良くない?」とも思ってしまって、結局殺風景なまま暮らしていた。
一人用のホットプレートで焼きそばを作って、小さいちゃぶ台で食べていた。水を入れるグラスだけ、ベトナム製のカワイイやつを表参道で買ってきて、レモンを浮かべたりして、そのコップだけを接写した写真をとっておしゃれな気がしていた。
なんなら殺風景な暮らししてる自分かっこいいまで思っていたかもしれない。
改めて思うのは自分はセンスが無いんだなという事実である。
終わり。