結婚に最小限必要なものの話
結婚で「これは欠かせない」要素とは何か
前回に引き続き、社会学者・山田昌弘先生の『パラサイト難婚社会』で感銘を受けた内容の話です。
この本の最後の部分では、日本において「結婚」という「契約」を伴う長期的な関係が何をもったら終わるのか、すなわち結婚で最も重視すべき、欠かせない、エッセンシャルな何かとは何なのか考察を試みています。
私個人としても、この部分は非常に印象に残りました。なぜなら結婚相手に性的魅力・経済力・家柄・安定性など様々なものを求めようとする、または求めなければならないと思わせる社会的風潮に半ば辟易していたからです。
拙い文章ではありますが、以前私が「詰め込みすぎな日本の結婚は何とかならないだろうか、もっと最小化できないだろうか」と考察した時の文章はこちらです↓
山田先生のまとめは哲学的な文章を引用しているためちょっと抽象的で小難しい内容も含みますが、非常に美しい内容だったので噛み砕いて紹介したいと思います。
性愛関係の終わり=結婚の終わりではない
山田先生はまず、西洋の様々な哲学的考察を引用しながら、子どもを産み育てる期間や相手と性的に愛し合う期間の終わりが結婚の終わりではないと述べています。
日本ではいわゆる「セックスレス」と呼ばれる関係であっても、相手を家族として思い遣り生活している夫婦はたくさんいます。また、生殖を伴わない高齢者同士の結婚や、友情に基づく結婚もあります。そして、法律婚ではありませんが生殖を伴わない同性愛者同士の結婚もあります。これら夫婦として暮らしているカップルに、お互いへの愛情の心がないといえば嘘になるでしょう。
このようなカップルに言及しながら二人が夫婦(家族)として暮らしていくのに欠かせないエッセンシャルな何かとは、性愛に限定されるものではない、と山田先生は続けています。
「ケア」という概念から二人の関係を整理する
ではその「何か」とは何か。山田先生はここで海外のブレイクという哲学者の著書にある「ケア」という概念に言及しています。
ここでの「ケア」とは、介護等の身体的なケアに限らず、日常的に生活を共にする者同士が、愛情を示して行動したり、その結果として妊娠・出産をすることを含む、親密性土台とした概念であるといいます。
日本語で言うと「慈しむ」「思いやり」といった行動や概念がそれにあたり、別の言葉で言うと「コミットメント」(相手の人生に責任を持って関わる意志)と表現しています。
結婚におけるコミットメントとは
そして、現代社会において代替可能なものは多くない、すなわち、お金を払えば家事や料理、精神的な癒し(推し活やペット、性風俗など)などもいくらでも手に入る、医療的なケアも病院で受けられる、と言及した上で、
だからこそ、「夫または妻でないと満たせないものは何か」と言う問いを立てています。
そして、それに対する山田先生の答えが「コミットメント」だと言うのです。
以下、少し長くなりますが本文を引用します。
感想とまとめ
いかがでしたでしょうか?
私は上記の「結婚に最小限必要なものはコミットメントである」というまとめを非常に美しく感じました。その時感じたことが伝わらないとしたらそれは私の表現力不足です。
37歳で2回目の婚活をするために婚活市場に戻ってきて最初に感じたことは、乱暴な言い方にはなりますが、
「何でみんな結婚相手にあれもこれも求めるの?」
でした。
その後いろいろ勉強をして、「あれやこれや沢山求めないと不安」になってしまう、そうさせる社会的要因がたくさんあることは理解しましたが、
それでも1回目の結婚の失敗の経験から、
「どんなに富や社会的名声のある相手と結婚しても、若い美人やエスコート力のある男性と結婚しても、結婚生活が幸せになるとは限らない」
という思いは消えず、いろいろと探していた中で出会ったのがこちらの文章でした。
改めて私の拙い言葉で書きたいと思いますが、結婚なんて「この人と一緒ににたら人生楽しそう」「この人となら人生の苦難も一緒に乗り越えられる」「老後はこの人と一緒にお茶を飲みたい」という相手とするのが一番だと思います。というよりも、それ以外の理由、例えば条件面でうまくいく可能性は低いのではと考えてしまいます。
でも、そういった結婚を成立させるためにはあれが必要でこれも必要で…といろいろと条件を考えてしまうのでしたら、不安になってしまう原因は何なのか、一度肩の荷を降ろして考えてみるのも良いかもしれません。
もうすぐ爽やかな5月、皆様の心にも爽やかな風が流れていきますように…