見出し画像

ゴジラとの生活

【あなたも幸せになれます!私のプロフィール -1- 】


あなたも幸せになれます

以前、9つの法則で

「あなたにとって幸せってどんなことですか?」
とお聞きしました。


あなたにとっての幸せを
できるだけ具体的にイメージすることが

幸せに成功する第一歩。


どうなりたいかという「目的地」がしっかり定まったら
あとは突き進むだけです!!


大丈夫、あなたなら幸せになれます!!


なぜって!?


それは
こんな私が幸せになれたからです・・・


「オギャー」と生まれたときから
仕事、恋愛、結婚、そして風水との出会い、など

自他ともに認める
「ジェットコースター並みの人生」

私のプロフィールを
何回かに分けてお話ししますね。^^


怪獣ゴジラとの生活・・・

公務員として働くガッチガチに真面目な父と、
同じく公務員の母のもとに生まれた私は、

14歳上の兄、11歳上の姉とともに、
何不自由ない幼少期を過ごしてきました。


そんな
温和な私の生活に悲劇が起きたのは、

ちょうどピッカピカの小学1年生になって
半年も経たない7歳の夏。

高校を卒業し、
専門学校で英語を学んでいた姉が

過度のストレスから重度の摂食障害になり、
入退院を繰り返すようになったのです。


退院してくれば
家の中で怪獣ゴジラ並みに暴れまくる姉・・・。


そんな姉に
踏みつぶされないように、

階段の下によくある
段々天井のちっちゃな倉庫の片隅で

怪獣ゴジラが
寝静まるのを待つという日々でした。


姉が入院しているときは、
母は病院に寝泊まりしていたので、

お酒を飲んでは、文句や愚痴を言う父親の横で
夕食を食べる毎日だったような記憶があります。

実家は駅から遠かったので、
姉が入院するときは、

いつも父が
車で病院まで送っていました。


いつも病院に入っていく
姉と母の背中に向かって放つ父の決め台詞は


「バカは死ななきゃ治らない・・・」


そうか、お姉ちゃんはバカで、
死なないと治らないんだ……。


お姉ちゃんのせいで
パパとママはケンカばっかりだし、

この地獄絵巻のような毎日は
お姉ちゃんのせいだ。

お姉ちゃんさえいなければ
私の人生はバラ色なんだ・・・


小学1年生にして、
真剣に姉の完全殺人計画を考える毎日でした。

14歳上の兄はすでに独立していたため、
このような地獄絵巻のような光景は見たことないと思います。



そして、
5年の歳月が経ったころ

そんなゴジラ、、いや、、、
姉がお見合い結婚をしました。


「これで安泰!神様は私を見捨てなかったのね~」

と思うのもつかの間、


娘を連れた姉夫婦は
実家に居候することになったのです・・・。


この私が拒食症だなんて・・・

こんな家、早く出たい。
家を出るために早くお金を稼がなきゃ……

中学生の頃から
新聞配達や、知り合いの美容師さんにお願いして

アルバイトをさせてもたっらりしていた私。


今思えば、その頃から

「自分の人生は、自分でつくる!」という
回路図ができ上がっていたのかもしれません。


一日でも早く稼いで、
実家を出たかった私は

中学校を卒業したら
美容学校に行って美容師として働くことを決めました。

高校に進学したら
3年も稼ぎはじめる時期が遅くなると思ったからです。

今の時代だったら、
ネットや何かで稼ごうと考えたかもしれないけど

当時はまだ携帯電話もない時代。

高校生はスーパーでのアルバイトが
やっとといった感じだったのです。


でも
ガチガチ頭の両親、大学院卒の兄、

ゴジラになっちゃったけど一応、高卒の姉という智瀬家では
中卒は許されなかったのです。


女だらけの高校時代

美容師を目指していた私は、
商業高校に進学しました。

入学式が終わり、
入学式会場である体育館から教室に向かう
廊下を見て私は驚愕しました。


ギョエェェェ~、

当たり前だけど見渡す限り女、おんな、オンナ、ONNA・・・


私は初日から、
高校、いや女子の人数が圧倒的に多い商業高校の

あの女ばかりの世界に全くなじめなかったのです。


ゲゲゲェーッ、
なんで、なんでみんなでトイレに行くんだーっ!?



女子高生なら当たり前のことが、
私には当たり前じゃなかった。

そんな日々を過ごしていたある日、
今度は私が摂食障害になってしまったのです。


体重が40kgを切ったころ、
体力も気力も持たなくなった私。

そんな私を見かねた母が
あるときこう言ったのです。


「学校は行かなくてもいいから
カラダを動かすこと、なんかやったら」――。



私は
小学生のときバレエが大好きで

忙しい両親にお願いして
週2回、近所のバレエ教室に通っていました。

今思えば、
唯一のストレス発散だったのかもしれません。


基本練習は厳しかったけど

踊っているときだけは、
姉のことも父親の愚痴もすべて忘れることができた。


でも、バレエは決して華やかな世界だけではない。

同じクラスのお母さんたちは
毎回練習を見に来ては先生と仲良くおしゃべりしたりしてるけど、

私のお母さんはゴジラの対応で忙しく

練習を見に来ることも、
先生とお話しすることもなかったのです。


練習ではみんなのお手本になるのに、
発表会では主役になれない……

主役はいつもお金持ちの家の子たちでした。


“裏金”とはいわないけど、やっぱりあるんだよね~
大人の事情ってやつが・・・。


踊るのは
楽しくて大好きだったけど

子どもながらに
ドロドロとした汚い世界を見たような気がして

小学6年のときにバレエはやめたんです。


「運動かぁ、なにしよっかなぁ~」


当時は
空前のアロービックダンスブームでした。


堺正章さんが主役を務めていた
実写版「孫悟空」に出てくる

沙悟浄(カッパ)の役だった
岸部四郎さんが司会のワイドショー番組、

「ルックルックこんにちは」の人気コーナーだった。


「これしかない!!!」


私はアルバイトで稼いだお金でレオタードを買い
アロービックダンス教室に通い始めました。


「ヤバッ、
アロービックダンス、チョー楽しい!!」


アロービックダンスの効果はてきめんでした。

私は少しずつ元気を取り戻し


それに比例するかのように
体重もどんどん増加していったのです・・・。


いいなと思ったら応援しよう!

ちえ【婚活プロデューサー/開運鑑定士】
🌟良かったらぜひサポートお願いします🌟 めっちゃ励みになります😆💕 いただいたサポートは活動費として大切に使わせていただきます。

この記事が参加している募集