主人公の気持ちを考えさせるな、マジで。
「このときの太郎の気持ちに最も近いものを選べ」問題。お前のことだ。
物語はつくりもので、そこに自分でアテレコみたいに感情を付けて「読んで」いるのに、まるで架空の人物に定まった人格があるかのように言わないでほしい。うわっ…てなる。
だいいち、感情や性格って「この人はこういう性格をしていて、今こういう理由でこういう感情です」みたいにはっきり決められるものじゃないですよね。
え?自分のことなら分かってるって?
謎に調子が出なくて意味もなく人にムカついたりとかなんか気分が良いので普段より人に優しくなったりとかないの?ほんとに?
確固とした性格を持っていて常に信念に従って行動する自己完全コントロールマンだけが私に石を投げなさい。
痛っ!
流石だ。石のコントロールも良い。
本当に何を聞きたいのか分からない
自己完全コントロールマンは現実世界に(多分)いないはずなのに、物語にはそれを許している。登場人物に人格と感情があるという前提を一旦飲み込むとしたら、それは誰が作ったんでしょう。作者ですよね。
だとすると冒頭の問いをされて私たちが考えなければならないことは、
「作者はこのときの太郎はどんな気持ちだということにしたんだろう」
になってしまいます。何十年も前のおじさんの、ましてや心の中を読める人はいません。そうなるとしょうがないので、
「このとき私が太郎ならどういう気持ちだろう」
と予想するしかありません。なんだか小学校でやる道徳みたいですね。もちろんこの答えは人によってバラバラになるでしょう。これでは問題が成り立ちません。
私は何食わぬ顔で問題を解いている人が不思議でなりません。どうやっているのかコメントで教えて下さい。
物語の楽しみ
ところで最初の方に書いた「登場人物にそもそも感情なんか無くて、自分が勝手に想像でアテレコしているだけだ」説、意外といい考えだと思いませんか?なんだか冷たく感じるかもしれませんがむしろ逆です。
私は物語を読む楽しさには、ほかならぬ自分が、想像力によって、つくりものを感情のある現実世界に引っ張ってこれることにあると思っています。解釈はいくつあっても良いし、それぞれの読み手がそれぞれ違った唯一の物語をつくっている。わくわくしませんか?
そうやってわくわくしているときに、太郎の気持ちなんかもう決まってるんだ。この中から選べ!さあ答えろ!と言われるんです。本当に止めてくれ。
以上が私の訴えです。賛同してくださる方はこういう問題を見つけたら「この中に答えは無い」と回答する運動に参加してください。
私はこれから心を殺して参考書と向き合おうと思います。さようなら!