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居場所の見つけ方

地元の町会(子ども会のようなもの)が解散の危機に瀕しているらしい。
校区の親子がそもそも入りたがらず、祭事を行うのにも一苦労のようだ。
また、改革を志して乗り込んだある一団も、仕事を全て押し付けられて失敗に終わっている。
悲しいかな、こういった居場所の喪失、コミュニティの崩壊はどうして起こるのだろう…。

地元の町会が解散の危機にある一方で、囲い込むようなビジネスの台頭や、コミュニティの乱立のような、「第3の場所」が日に日に増えている。
ポイントポイント、会員会員、と店員が責め立てるのは、この店を君の居場所にしてくれという気持ちの現れだろうか。
また、会員になってもカードだけが貯まって通わなくなってしまうのは、他にもその手のお誘いが沢山あり、ひとつひとつの付き合いが薄くなってしまうからだろう。

「第3の場所」が薄くなってしまったのは、もっと大きな代役が現れたからで、これはやはりSNSだと思う。
SNS、を固有名詞的に一つの居場所として括れるわけもなく、それはInstagramやX、オンラインサロンなどを孕んでいる。
マトリョーシカ人形のように、あるSNSはあるSNSの入れ子になっている。


(物理的に)いつでも腰を下ろせるような、素の自分で居られるような居場所は、本当にあるのだろうか?

良い場所は、行けば行くほど楽しくなるし、きっとそこが居場所になる。
ただ居場所として根を張れるようになるには時間を要する。
私の毎回の散歩の舞台として選ばれる大泉緑地でさえ、安心を覚えるのには半年ほどかかった。
2年ほど通い詰めたある海岸は、自室並みの優しさが、やっと芽生えてきた。

足を運ぶごとに拾い上げるフィーリングを頼りに、アナログな、実地としての居場所を見つけていきたい。

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こにたん
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