精神と部屋の変遷
引っ越して(実家に戻って来て)から、部屋の居心地について考えることが多くなった。
心からリラックス出来、慰めを請う事ができ、それでいて面倒臭さ、雑事が最低限に済む部屋づくりの試行錯誤が始まった。
引越ししたて
2023年の冬になる。
家具などの移動の際は、コンパクトカー一台に丁度納まる荷物量だったので、搬入自体には難儀しなかった。
以前の家のベランダにひしめいていた観葉植物が、その荷物の大半だった。
室内だと育ちにくい樹木系や果樹系のものは、友人を口説き落として引き渡したり、祖父に管理してもらったり、実家の花壇に植える事で、散り散りになったものの成長は良好なようだ。
また新たな習慣として、近くの公園へ向かう頻度が露骨に増え、そのたびに精神が回復した。
回復した精神のおかげで、以前までしきりに集めていた雑貨や器の数々については、単にストレス発散のために購入していたものを、"趣味"という実態のない梱包材でごまかしていたに過ぎないことを悟った。
これを機に、持ち物の最適化を図るようになった。
試行錯誤と意趣性
この五畳ほどの部屋でどう暮らしていくか。
とは言っても実家ゆえ、炊事場や浴室は外へはじき出されているが、普段使う洗剤や鍋を限定することで、コンパクトな暮らしのデモンストレーションを別枠で行っていた。
となればこの部屋は娯楽の部屋であり、趣味の部屋になった。
ただ、鉢植えを無限に増殖させれば、お世話だけで疲弊してしまい、読みたい本が読めない。
また心に響いた本を並べ続けても、結局この本たちによって、自分は何を得たかったのかが不在になる。
物質的豊かさ・自由を求めることで返って不自由になりかねないジレンマをたえず感じていた私は、1つ1つの物の質に目を向け始めた。
初夏の部屋事情は、量より質の段階に入っていた。
同時に起こったことは、デジタルデバイスとの距離の調整だった。
スマホあるいはPCで流していた自然の音色は窓から聴こえ、映画より森を観るようになった。
デバイスの捉われから抜け出ると、本来自分が好きだったこと=暮らしの質を高める行動が見えてきて、量より質への移行を後押しした。
質にこだわりつつ、自然素材やシンプルさという意趣を織り込んでいくことが課題となった。
部屋の安定と精神の安定
試行錯誤を重ねた現在。
室内の鉢植えは5鉢、ボトムスは通年2着、トップスはワンシーズン2着、書籍は箱一列に入る分だけ…など、ある程度ルールを設けてから、自由を求めた逸脱によって結局苦しくなる現象は無くなった。
確かに服の数が少ないことに時々不安になるが、それでも一週間、一か月生きていけたという実証が自分を勇気づけ、買い物の頻度も激減した。
また「代用可能性」にも意識を向けた。
使わないマグカップは小物入れになり、自家製テーブルとIKEA製スツールは、両方が収納棚にも机にもなる。
このように、違う角度から物を見ることは、部屋はもちろん、自分の頭も育成したように思えた。
こうして安定飛行に入った現在だが、終わりではない。
この先誰かと同居して家主になることはあり得るし、小屋暮らしー衣食住とお金を切り離したらどうなるかーをやってみたい、などの目標もある。
次のフェーズではどんな暮らしになっているか、自分でも楽しみにしていたいと思う。
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