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おろかものとおろかもの 16
季節はもう、夏が終わりに近づいていた。
他国の統治下であろうと何であろうと、この日本の残暑は厳しい。
昼間は蒸し返すような暑さが容赦なく降りかかる。
けれども、夕方を過ぎた辺りから暑さはやわらぎ、秋の風が凪ぎはじめる。
佐々木海斗は、結局高校生にはなれなかった。いや、ならなかった。
本人は別にそれでいいと思った。
惠と流を学校に行かせることが出来て、無事であれば自分はなんとでもなる。もう15歳なのだ。
大人の役割が求められているのならば、自分は家族の為にそれをしなければならない。海斗はそう考えた。
叔父夫婦と海斗たちは、一旦長岡より山奥の田舎の親類を頼って避難した。
いや、これは疎開とというべきか。
北朝鮮軍が来て、街を蹂躙し、合衆国軍が激しい空爆でそれを攫い、整備された街は荒廃した。
一旦分散した北朝鮮軍は長岡からは撤退し、合衆国軍が再び占領した。
人々は、恐る恐る街に戻っていった。
これからは今までの日常ではない。そのことに皆気付きながら。
北朝鮮軍の上陸地点となった新潟は、戦闘の激しい地域の一つであった。
日本海側の良港を抱えた新潟は、歴史的にも大陸諸国との交易が盛んであり、太平洋側へと至る重要な海路の中継地点であったためだ。
一度分散した北朝鮮軍は何度も新潟を奪還しようと合衆国軍に対してゲリラ戦を繰り返したが、北朝鮮が韓国を併合する形で統一朝鮮政権が誕生すると、本国防衛の為に上級将校たちは海へと踵を返した。
下士官以下の兵士たちは、日本侵略の為の作戦計画を明示されないまま、取り残され、あるものは投降し、あるものは中国人民解放軍へと吸収され、またあるものは戦闘を繰り返した。
一個連隊であれば、地方都市を要塞化して籠ることは容易である。こうして北朝鮮、もとい朝鮮軍の一部は日本の地域を実効支配した。
圧倒的な物量差の中で戦争を続けようとする人々というのは、狂信的な軍信望者かヒトの獣としての欲望に忠実な者たち、どちらにせよエゴイスティックなものたちだけだ。
海斗は、そんな日本の状況の中では比較的恵まれたほうなのかもしれない。
親戚としては大分遠いはずの田舎の縁者も、海斗達を比較的穏やかに迎え入れ、叔父夫婦・海斗達にそれぞれ余っている部屋を間借りさせてくれた。自給農家であったため、食べ物にはさほど困らなかった。
海斗は、妹と弟と生活を続けるために、叔父と親類の手伝いをすることを願い出て、働き出した。
親類は農家をやっていた。
海斗の仕事は、野菜の行商である。叔父の圭吾と一緒に、軽トラックに乗り込み、荷台にたくさんの野菜を積んで、片道1時間かけて長岡や三条の繁華街や食料品店にナスやトマト、レタスを運んだ。基本的に街に行き、野菜を売ってくる仕事は海斗と圭吾の仕事だ。
海斗はあの春からずいぶんたくましくなり、日に焼け、背が伸びていた。大人になったね、と周りからよく言われるようになった。
父と母の消息は相変わらず不明なままだった。生きているのかも、死んでいるのかも。
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