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おろかものとおろかもの 2

日常の平穏な生活は突如として崩れ去る。2021年3月28日もそうだった。
東京オリンピックが終わり、好景気に沸いた日本は、種々の問題を抱えながらも、世界の他の先進国と同じように、発展していた。
経済はまあまあの推移を見せ、周辺国との政治・外交問題においてお互いの主張を繰り返しながらも、その状態は20世紀後半から続いた「多極化」する世界の中では、ごくありふれた「心地よい」緊張状態である、というような理解でよかった。
喫緊の課題は山積みだった。外国人排斥や国防問題などの極端な右派思想の盛り上がり
、日本憲政史上初の憲法改正を目指した国民投票を控え、マスメディアやウェブ界隈では連日賛成/反対派による喧々諤々の議論が続いた。天皇譲位は恙無く取り仕切られたが。
それでも国民の関心は低い。おそらく投票率は前回の選挙と同じように50パーセント程度だろう。たった半分の人間で、全体の総意が決まる。それもで構わない。自分の生活はどうせそんなに極端には変わらない。
その程度なのだ。この国の人々は。今も昔も。
そして、だれしもが自分たちの国、日本に関して、そう思っていた。

ここから先、10年以上も東西に分裂し、今も銃火の音が日本全国に鳴り響く内乱が勃発してしまうなど、いったい誰が予想したのだろう。
未来の歴史家たちは、あれこれ理屈をならべて当時の戦争を振り返るかもしれない。あの時こうしていれば、あの時の判断が誤っていた、等々。
そんなことはどうでもいい。問題は。この戦乱状態が多くの人命を奪い、資本を奪い、未だに日本は混乱した状態で、しばらくそのままだ、ということだ。彼らにはこの歴史は変えられない。
勿論私たちにも。あんなに、文字通り自らの血を流して勝ち取った日本統一は、道半ばである。

開志3年、つまり2021年3月28日,私、佐藤直樹は東京に出張に来ていた。
関西の大学を卒業して、何度か転職を繰り返したが、私は相変わらず大阪に住んで暮らしていた。同じ年の妻と、2人の子供にも恵まれて。
東京で月に一度開催される全社会議の為、始発の新幹線に乗り、都内の本社について議事堂で会議の準備をしていた。
会議室には全国かた集まった同部門の人員が約300名、それぞれのセクションで思い思いに過ごしていた。
本社ビルの500人収容の会議講堂中に、突然不快なアラートが鳴り響いた。
300人分の社用スマートフォン・、個人のスマートフォンから不快感と焦燥感を掻き立てる音が一斉に鳴り響いた。あの甲高い、ウーウーという音だ。
大手携帯キャリアに搭載された、周辺近隣諸国からのミサイル発射の警告音。液晶の画面には、高層ビルからは離れること、地下鉄などに避難すること、屋内で退避出来ない場合は直ぐに臥せることなど、が書かれている。
鳴りやまない携帯のアラーム音。戸惑う上司、同僚。
総務の役職者が会議室にいる人間を避難させようとする。全員が、一応それに従う。だが、『東京都内中に中距離弾道ミサイルが発射』され『福島第一原発、美浜原発にも核搭載のミサイルが発射』された状態で、一体どこに逃げろ、というのだろうか?まあ、10階建ての商業ビルで、約00人の男性が一同に会していても何もいいことはないというのはたしかだろう。
全員が順番に、しかしある種の不安を表情に浮かべながら、ビルの複数の出口から脱出していく。ミサイル着弾まであと10分。ディスプレイには、どこの国から、というのは書かれていない。
チームのメンバーや顔なじみの人間とははぐれてしまった。私はいつもそうだ。自分から知らず知らずのうちに、一人になろうとする。半蔵門のビルを出て、人の流れは各々分かれている。ただ、皆何とはなしに、皇居に向かおうとしているようだ。東京都内の中では、空間があるほうだ。ビルの下敷きになることはなさそうだ。
人が多すぎる。走ろうにも、人の波で走れない。流れに乗るしかない。

自分の進む方向とは反対側、皇居のお堀が見え始めたころ、暖かくなる少し前ごろの霞がかった空の上に、紅い閃光が走った。おそらく千代田区のほうだろう。轟音が立て続けにに鳴った。地震が起きた、その時はそう思った。すべてミサイルだった。


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koniise
現代版 打海文三『応化クロニクル』を書こうとふと思いたち、書きだしました。支援・応援は私の励みとなります。気が向いたら、気の迷いに、よろしくお願いします。