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おろかものとおろかもの 5

佐々木海斗の毎日は心躍っていた。
中学校を卒業してすぐ迎えた自分の誕生日で、念願だったiPadを買ってもらったからだ。
回りの友達はもうすでに、自分の携帯電話やアブレット、PCを親から買ってもらって、SNSやメッセージアプリでコミュニケーションを取っている。
世代的には、自分は少し遅いほうだろうか。父親が職業柄保守的な性格なせいか、未成年が情報端末を持つことに抵抗感を感じたようで、小学校高学年でも、スマートフォンを持たせてもらえなかった。
「分別がつくようになったら、持たせてあげるよ」
「ふんべつってどういう意味?」
「ものごとのいいことと、悪いことが見わけられることだよ」
「じゃあぼくはだいじょうぶだよ」
「本当にいいことと、悪いことを見分けるのはすごく難しいことなんだよ」
小学校3年生の時に、回りにスマートフォンを持ち出す友達が増えて、父親に尋ねたことがあった。
父親は警察官で、まだ幼い海斗はおもいっきり見上げないと顔が伺えないくらい大柄だった。
でも、海斗や惠、流にかける言葉はいつも優しく、自分の子供たちはおろか回りの人たちに対して、声を荒げたような姿は一切見たことがなかった。警察官は物静かな人間でも務まる職業らしい。

しかし不思議なことに、父親の声は、いつも低く響いて、何故か彼の言うことは黙って聞かなければいけないような迫力があった。怖いわけではないが、父親の声には、彼の言うことはすべて正しい、という説得力があった。
小学校の頃はそんな形で父親に諭され、スマートフォンやPCを持つことはなかった。

中学校に上がって、陸上部に入った。3年間400メートル走に一心に打ち込み、都内の大会で優勝出来るくらいの成績が残せるようになった。
学校では真面目で優秀な子供だと見なされていた、周囲の評価は高かった、と思う。友達も多かったし、妹の恵と流の面倒もよく見た。
学校で友達に会えるのだから、今更自分専用のスマホなんてやっぱりいらないかもな、くらいに思い始めたとき、唐突に父親が海斗に最新型のタブレットをプレゼントしてくれた。中学校卒業、高校の入学祝いだと言って。
「海斗はもう分別がつくものな」父親は静かに微笑んだ。
「どうだろう、お父さんにそういわれると自信ないなあ」
海斗は少しはにかんで、でも胸からあふれだす嬉しさを抑えきれない様子でそう応えた。
SIMカードは入っていないから、Wi-Fi環境のあるところでしかオンライン接続は出来ないけれど、それでも海斗はやっぱりうれしかった。
高校が別になって離れ離れになる友達とやり取り出来るといった実用的な嬉しさもあったが、何より、父親に認められた気がして心から喜んだ。
自分は分別がつく大人になったのだ。
希望で胸がいっぱいだった。小学校入学を控える流よりも、都立高校入学を控えた海斗がだ。
開志3年、2021年3月28日。海斗は同じiPadを持った親友の雄大に使い方をレクチャーしてもらうと、ディパックにiPadを詰めて自転車のペダルを力いっぱい踏み込んだ。

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koniise
現代版 打海文三『応化クロニクル』を書こうとふと思いたち、書きだしました。支援・応援は私の励みとなります。気が向いたら、気の迷いに、よろしくお願いします。