11冊目:『ブルックリンでジャズを耕す』(大江千里)
今年の11冊目は大江千里の『ブルックリンでジャズを耕す』を読んだ。
『ブルックリンでジャズを耕す』(大江千里)
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シンガーソングライターとして日本で活躍していた大江千里が、47歳にしてジャズミュージシャンを志し、単身NYに渡り音楽学校に入学する。そして卒業後、晴れてNYでジャズミュージシャンとしてデビューし、52歳の時には自分の会社を立ち上げる。
そんなドラマチックな生き方をしている大江さんだが、この本で描かれるのは、大きな転換期についてではなく、その1シーンであるNYでの日々の生活。音楽学校の仲間たちと交流したり、大雨に振られる中ワインバーをハシゴしたり。トランジットがうまくいかずに右往左往したり。愛犬「ぴ」と色んなところに散歩に出かけたり。そんな日々のできごとがたくさん描かれており、自分もNYで生活をしているような心地よい気持ちになった。
みんながそれぞれ違って、その違いを楽しんでいる。
行ったことないけど、NYはきっとそんな街なんだろう。
僕自身はもともと目標を達成したいという気持ちが強く、30歳くらいで人間として完成されていて、一人前として自分らしくバリバリやっていきたいと昔から思っていた。でも、いざ30を超えて少したった時、相変わらずたくさん悩んだりもするし、そんなに人間変わるものでもないな、と気づいた。
そんな中、自分より2回りくらい年齢が上の大江さんが、日々NYで新しいことにチャレンジし続けている姿にすごく勇気づけられた。色々うまくいかないこと、大変なこともたくさんあるけど、それらを全部受け入れながら、日々の生活をしっかりと積み重ねていくこと。その過程を好奇心を持って楽しむこと。大江さんのように、そんな気持ちとともに生きていくことが大切なのだなあと思った。
NY、やはり一度は行かないとな。
それにNYの面白いところは、どうしようもないくらい困っているとそっと手を差し伸べてくれる誰かが現れるということだ。根源的な「人を想う力」がこの殺伐として見える大都会には充満している。それと大きな意味でのエンターテインメントの街である。
NYには人生を運ぶ輸送機関がある。地下鉄、バス、船、などなど。そのどれにも人の数だけ物語があるのだろうけれど「NYならではとは何か」と聞かれたら、「外向きのエネルギー」を人が放っているところだと思う。たとえそれが間違った方向だったとしても、NYはそれをあまり責めたりはしない。清濁併せ持った人間という不可解な生き物を受け入れる器があり、それを移動する箱に乗せて楽しもうとする人たちが「ニヤっ」と小銭を今日も入れる。
NYは何から何までスパイスに満ちている。ちょっとレトロでちょっと新しい味。「これはこう!」という決め事や筋書きがない分、自分にその都度選択や責任は任されるが、みなそれぞれ自分のルールで自分のテンポで生きている。その姿勢はどこか、ここのカレーのようにヒリヒリ心地よい。このなんとも「いい加減」(いいかげんで良い加減)な感じ
これからも人生は驚きの連続かもしれないが、「ユーモア」を忘れずに「毛布」に包まらず、裸一貫で立ち向かいたい。ピリピリしたあの美しいピンクの朝日に包まれた瞬間をしっかり心に留めて。変化を恐れるな。孤独を楽しんで。先へ先へ
学生だった5年ほど前、おそらく水星が逆行していた時期があった。何をやってもうまくいかず、先が見えなかった。しかしそのときも「あきめない」で「続ける」となんとか前へ進めた。うまくいってないな、と思うときは焦ってもがこうとせず時を待つ。そして「やめない」ことそうすれば、ある日ひょっこりアメリカの西と東の離れた街に住む僕たちにだってこういう再会がありえるのだ
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