8冊目:『思えば、孤独は美しい』(糸井重里)
今年の8冊目は、糸井重里さんの『思えば、孤独は美しい』。
思ってたよりいいペースで本を読めていてうれしい。
『思えば、孤独は美しい』(糸井重里)
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糸井重里さんの言葉は、時代を捉えた言葉というよりも、ああそうだよなあ、という真理を捉えたタイムラインに流れていかないような言葉だと思うので、たまに本で摂取したくなり、買っている。
今回の『思えば、孤独は美しい』はヒグチユウコさんによる装丁デザインが素晴らしく、ああこれが書籍を買う醍醐味だよなあと久しぶりに思った。
孤独を乗り越えるというものではなく、孤独を受け容れて、孤独と仲良くしながら生きていく、という糸井さんの姿勢が現れたタイトルも素敵だと思った。魅力的な大人は、みな孤独との付き合い方がうまい。なんでだろう。
エッセイや短い言葉がたくさん載っている本なので、全体を通じて一つの大きな感動などがあるのではないが、ページをめくるたび、ウンウン分かるなあと読み進めながら、読み終わった時に、気づけば優しさと元気をもらうような本だった。
たのしくもなんともない場に、
たのしいことを見つけたり、生み出したりするのは、
よくそれをしている人には、むつかしいことではない。
たのしいことを見つけるというのは、とても大切なことだ。
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たのしいというのは、だれかがくれるものではない。
だれがだとか、なにがだとかといっしょに、じぶんで生み出すものだ。
「たのしい」が雨のように降り注いできたとしても、あなたがたのしくなるとはかぎらない。
「たのしい」はもともとあなたが持っているもので、あなたの「なかに(!)」あるものなのだ。
家に、猫だとか犬だとかが参加してくれて、
運命が変化した人を、ぼくは何人も知っている。
犬や猫は、基本的に「その日ぐらし」である。
明日になにが待っているか、ほとんど心配したりしない。
昨日にどんなことがあったか、あんまり覚えてもいない。
とにかく、今日、とにかくいま。
そういうやつと暮らしていると、ついついそのようすを見ていることになる。
じっと見ていると、うつるんだね。
ちょっとそういう心持ちになっていく。
くよくよしたり心配したりが、いつの間にか少なくなる。
そうすると、ほんとに運命が変わってくるんだよね。
人からすべての光が消えてしまうのは、
いのちを失うときですから、ほっといたら、人は暗くなるようにできてると思うんです。
ほんのりとでも、明るい方向に顔を向けていようと思うのは、生きようとすることそのものなのかもしれない。
明るくあるということは、人が生きる過程で選んだ態度なのかもしれません
明るさも暗さもある人間が、明るさを選ぶということ。
忘れられるはずのない、暗さについては、置いといて、
明るさの方を選ぶという意思が、生きることそのものなんじゃないかと思います。
たまに読み返してみよう。
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