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HKK入院日記 6日目 手術の日その2

ここまでの内容
→38歳(男)がニセコのスキー場にてスノボ中、立木に衝突
→左骨盤を骨折
→入院(札幌徳洲会病院)
骨盤骨折した男の入院日記です。
細かく書き過ぎてるせいか思いの外壮絶で若干引いてるとのお声をいただきました笑

Day6 2019.3.4(月) 手術を終えて

手術が終わり、ベッド上で悶絶しながらなんとか痛みと痺れと怠さと全部ひっくるめたしんどさを耐えていました。眠気はなくてただただ堪えるのみ。

その夜はICUの主任看護師さんが付いてくれました。年齢は僕と同じか少し上くらいで他のICUの看護師さんと比べると物腰が柔らかく落ち着いた雰囲気の男性でした。

主任看護士さん「koni氏さん、ゼリーありますよ。食べますか?」

入院時に妻🐼が買ってきてくれていたウィダーインゼリーがありました。看護士さんはフタを開けて、口まで持ってきてくれました。

一口。ゆっくりとゼリーを吸います。乾いていた喉にゼリーの水分とほのかな甘みが広がります。なんて美味しい

この時自分の喉が乾いていたことにも気づきました。カラカラの喉にゼリーが流れていきます。感動的な美味しさです。

二口、三口とゆっくりゼリーを吸いました。こんなに美味しいウィダーインゼリーがあるのかという美味しさでした。

手術が終わってからずっと傷口と左足の痺れからくる痛みがひどく、痛み止めも内服していたと思いますがなかなか効きません。寝ようとしてもまったく眠れません。

そこで、首につけられていた管に直接投与できる痛み止めをつけてもらいました。
これはいわゆる麻薬なので連続しての過剰投与を防ぐために、ボタン式で一定の間隔を開けないと薬が流れないような装置で管理されていました。

そのボタンは自分で押すことができます。ボタンを押してから10分後にその薬が投薬される仕組みでした。

たしかに、この薬が少し効いている間は体が少し楽になりました。

一晩中このボタンを握っていました。
朝、看護士さんに「お守りみたいですね」と言われました笑

この日はほとんど一睡もできませんでした。眠りについてはしんどさで目を覚ましてしまい、それを繰り返していました。

ICUでは昼も夜もあまり関係ないようでした。忙しなく看護士さんたちがパタパタと動く音会話する音が聞こえてきます。ピッピッピッという心電図と思われる機械音や、なんらかの装置の起動音が一晩中とめどなくゆるやかに部屋に響いていました。

ICUなので、基本的には手術後の患者か常に命に危険のある患者しかいません。僕の隣の患者も意識はないようで、看護士さん達は血圧を見ることで患者の体調を把握していました。

血圧は高い値と低い値を計測します。血は心臓のポンプによってギュッと押し出されています。その時の勢いが血圧なんだと初めて理解しました。血圧が高いということは勢いがあるということです。ポンプなので、ずっと出しっ放しではなくて、放出する間隔があります。勢いがつくときと勢いが無くなるときと。高いときと低いとき。それが血圧の値でありそのリズムが心拍なんですよね。

だから血圧は高い値と低い値があるのだと気づいたのです。当たり前すぎることだと思いますが。実感として感じるというのは大きな気づきです。

そんな風にしてICUでは生きることについて考えていました。

生きているということは、

・心臓が動いていて
・血液が循環していて
・呼吸していて
・意識があって
・自己同一性が保たれていて
・世界と繋がっている

ということなんだな、と。

・心臓が動いていて→血液を送り出すために
・血液が循環していて→体内器官を正常に作動させるために
・呼吸していて→酸素を取り入れるために
・意識があって→脳が機能しているかどうか
・自己同一性が保たれていて→自分自身を認識できているか
・世界と繋がっている→家族、社会の中で生活は回る

入院してからずっと、

血圧、脈拍、心電図、血液検査、血中酸素濃度検査をひっきりなしにしてもらっていたのはどの程度自分が生きているかどうかを確認するためなのでした。

入院して全身麻酔の必要な大きな手術をしてやっと初めて自分がいかに自分の身体のことを知らないかを思い知りました。

身体の強さがないとどんな名医の名手術を受けても助からないでしょう。最後は体の力があるかどうかなんだと思います。つまりは体力です。

私の母は悪性リンパ腫によって数年前に他界しました。

その時、母は骨髄移植の手術後に息を引き取りました。大手術に耐えうるだけの体力が残っていなかったんだと思います。最後は痛み止めの麻薬を投与し、そのまま血圧が上がってこなかったと聞いています。

30代の病気もしていない骨を折っただけの自分ですら、手術後の体のツラさは耐え難いツラさだったのだから。母のしんどさがやっと実感としてよく分かりました。

それでも朝はやってきます。なんとか痛みに耐えている間に朝になりました。というか朝になっていたようでした。

夜間担当してくれた主任看護士さんが交代の挨拶に来てくれました。

看護士さん「では交代しますね」

わし「あ、ありがとうございました」

看護士さん「必ず治りますから。がんばってくださいね」

「必ず治る」そう入院してから初めて言われました。前みたいに歩けるようになるのかすら不安でした。実は怖くて質問もしていませんでした。しんどい夜の終わりに、看護士さんからもらったその言葉は自分にとってものすごく大切で重要な意味のある大きな勇気になりました。

よし、がんばるぞ。

そう強く思いました。

続く

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