人生回顧〜大学時代③〜
大学4年間を文章にするのは大変やからテーマに基づいて書いてるコレもこれで3つ目。
今のところサークルの話しか書いてない。合計5000字ぐらいあるけど、勉強の話が一切無い。学生の皆さん!学生の本分は勉強ですよ。
勉強の話かー。
まぁまず、俺の大学の成績というと、、
GPAという、0.00〜4.00の指標、わかるかな?
成績はABCDFの5段階。
E無いのおかしいやん!って思うやん。違うのよ。
ABCDまではランクとしての記号で、FはFale(単位を落とす)のFです。どうでもいいか。
例えば、オールAならGPAは4.00。オールBなら3.00ってことね。
私の4年間累計のGPAは、
1.25です!
つまり平均Dちょいってことね
結構やばい
ちなみに、単位をどう取っていくかというと、
俺が卒業した法学部は、
MAXで履修できるのが
1年 40単位
2年 40単位
3年 44単位
4年 44単位
で、4年間の合計で、128単位取らなあかん。という感じやった、たしか。
大抵の人は、3年で120ぐらい取って、4年次ではゼミだけとか。
で、俺の4年間は
1年 24単位
2年 32単位
3年 36単位
4年 40単位
です。
これは大卒の人はわかるよね、やばい。
どうしてこうなったのか。
いや、別に、勉強は嫌いじゃない。むしろ好き。
知識が増え、そしてそれをアウトプットするという一連の快感を知っているつもりではある。
それ以上に、
遊ぶのが楽しすぎた…
典型的なクソ大学生でしたね。
なんかねー、何でもしんどい事は後回しにしがちな性格ではあって、未来の自分が何とかしてくれるだろうと、サボってしまったのよ。良くないよなぁ。
まず、1番の原因は、大学に、全然行かなかったことやね。休みまくってた。
基本的にどの授業も、毎週行って話聞いてノート取っとけば誰でも単位なんて取れるのよ。
それをしなかった。以上。
1回寝坊とかで休んだら、もういいやってなって、次も休んじゃう、の繰り返し。
なんなら、ほとんど毎週行ってたのに、試験の日の前の日に飲み過ぎて試験受けれず落単とかもあったな。酷すぎ。
でもさすがに毎年それじゃあ4年で卒業できひんやん。馬鹿でもそれぐらいは理解してたから、2年目以降はちょっとずつ改善していった。
1年目終わって26/40やから、単純計算で5年かかるのよ。家は金持ちじゃないし、留年なんて絶対できひんってわかってたからね。
まぁでも、2年3年と、フル単なんて取れるわけもなく。
3年終わって92単位。残り36単位。
普通にやばい。
これね、ただ学校に毎週行って真面目に授業受けるだけならええんやけど、、
就活しながら
になるわけですよ
就活編は次の記事で書くから細かい内容は置いとくとして、
とりあえず地獄の1年が始まりました。
あと、
先程、普通は4年生はゼミぐらいと書いたけど
俺は、ゼミには入ってなかった。厳密に言うと途中で辞めた。
ほんまは、超人気の、学長がやってるゼミに入りたかったんやけど、何せ成績が悪いもんで、落選しまして。
結局、誰でも入れるところに仕方なく入ったんやけど。
まーー、楽しくない。
いや楽しいかどうかなんて決め手にすんなよって事なんですけど、無理なのよ、何でも、楽しくないと。勉強もスポーツも、楽しいことがちょっとでも感じれないと、マジでやりたくないのよ。
ほんまにね、ちっとも楽しい部分が無かった(笑)
そもそもゼミというのは、勉強するというよりも、研究をする場所。普通の講義のように教授が一方通行で教えるのではなくて、同じゼミの仲間達とグループで、若しくは個人でも、自ら研究していくという感じ。
仕方なく入ったゼミやったし、研究内容もめちゃくちゃ興味がある物でも無かった。ましてやそれを、大して気が合うわけでもない他人とグループで研究?おもしろくなさすぎた。
ゼミに入って最初の学期は、渋々やり過ごしてなんとか単位も取った。
次の学期、毎週憂鬱でしかなかった中、ふと、履修に関する資料見てみた。するとある事を初めて知った。
ゼミ、必修じゃない。
え、、
やったー!!!!
「それやったら最初から入らんかったらよかったやん」っていう気持ちよりも、「逃げれる!!!」が余裕で勝ってた。
何の躊躇もなく履修中止手続きをとった。
てな感じで"ノンゼミ"となりました。
ノンゼミのほぼ唯一のメリット、それは、
卒論を書かなくていい
マジでコレ。
大学生って卒業するためには全員、卒業論文ってのを書くっていうイメージあるよね。違うんです。それはゼミに入ってる人だけ。
物によるけど大抵10000〜20000字ぐらい。
しかも興味ない事について。そんなん書きたいわけないやん。
「自分の人生振り返り」ならいけるよ。現に今、合計7000字ぐらい書いてるし。
ちなみに卒論出すと10単位分ぐらいになるんやけど、ノンゼミの場合、その分通常の講義で単位を取る。1講義2単位やから、ゼミ入ってる人より4〜5個多く講義を受けるってことですね。
ただ、その通常の講義で、2000字とかのレポートが合計6〜7個あったから、結局卒論ぐらいの文章は書くことになったっていうオチ。
ここまで読んでみたら、こう思うでしょうね。
なんで大学入ってん
たしかにね、学生の本分は勉強やし、大学というのはそれのさらに先である、研究をする場所。
にもかかわらず、サボりまくってサークル楽しすぎて遊んでばっかり。
高い学費払って何をしとねん。そうなるよね。
これに関しては明確に返事できる。
俺は、高い学費を払って、
「学歴」を買ったんです。今後の人生において、同志社大学卒業という肩書きは、かなりのメリットを与えてくれる。その肩書きだけが必要。
だから、卒業さえできれば、その工程はどうでもいいんです。
まぁこう考えるようになったのは単位を落とし始めてからなんやけど(笑)
例えばね、将来、エンジニアになるんやったら、それなりのプログラミング技術とかを大学で身に付ける必要はあるよね。弁護士なら法律の勉強、ファイナンス系なら資格取ったり、それは絶対した方がいいに決まってるよ。
ただ、俺が入ったのは
法学部 政治学科 なんです。
入学した時にチュートリアル的な時にこう言われた
「法律学科の人は、法律家になれます。しかし、政治学科の人は、政治家になれません。」
と。
まぁ極論ではあるんやけど、そういうことよね。
4年間で学ぶ内容は、将来する仕事に直結する可能性が極めて低いということ。
政治家なんてもちろんなりたくなかったし、行政書士とか、国家公務員とか、政治の知識を活用する仕事に全くもって興味無かった。だから、偏差値の高い同志社大学法学部を卒業したという肩書きを全力で取りに行った、ということでした。
じゃあなんでそんな学科選んだんやっていう話は、高校時代の大学受験編で書きます。だいぶ先になるけど。
色々と思考を繰り広げたとて、単位数は変わらない。
36単位を残して4年目突入。
リクルートスーツを着て、1年生ばっかりの大教室で真面目に講義を受ける日々。
まぁ元々学部に友達おらんかった(学部の授業行かずにサークルの人とばっか遊んでたのが原因)から、1人で受けるのは慣れてた。
まずは春学期、、
なんと、大学生活初のフル単を達成!!
感動で泣きそうやったわ
まじですごいと思う。1年春で単位を落としてから、長きにわたるリハビリの末、達成。
しかも同時並行で就活もして、夏休みまでに内定2つ貰って就職も決める。
あとなぜかバイトもしまくってた、15連勤とかしてた。
体力どうなってんねん。
そして8〜9月、人生最後の夏休みを謳歌し、
最後の最後の4年秋学期。
1つも落とせないというわけではなかったけど、その考えがあると複数落としてしまう性格なのはもう熟知してたから、全部の科目を全力で取り組んだ。
実はその中に、必修科目もあって、それを落とすと、合計単位が足りてても留年確定するという恐怖。
「東南アジア地域研究」
今でも覚えてる。
必ず毎週授業に行き(当たり前や)、試験勉強も死ぬほど頑張った。試験は、1つの国を選んで政治システムを解説するという事を事前に知らされていた。めちゃくちゃ優しい。なのであの数ヶ月、俺はマレーシア博士になった。
努力の結果、無事単位取得。
ありがとう鈴○教授、ありがとうマレーシア。
前述の通り、他の科目ではレポートをたくさん書いた。バイトも月18万円ぐらい稼ぐほど働きながら、各科目のレポートの締め切り日を気にする日々。エナジードリンク何本飲んだやろか。
最終的に、秋学期もフル単を達成し、
無事、卒業が決定した。
大学を4年で卒業するのって、わりかし普通の事やのに、周りからの「おめでとう」と、自分で感じる達成感は、異常なほど大きかった。こんなに情けない達成感は人生でもう無いやろうな。
大学4年、人生で最も苦しかった、かつ、最も充実してた1年間でした。
ちなみにバイトしすぎて131万円(所得税かかっちゃう)いっちゃって親に結構怒られました。
俺が同志社大学法学部政治学科の4年間で学んだ事、それは、法律でも政治でも、その他の一般教養でも何でもない。
なんでも後回しにしたらいずれ苦しくなるよ ってこと
みなさんは、
肩書きと教訓が400万円で売ってたら買いますか?
僕は買いました。
さぁ次は就活編かな。
つづく