恋は人をおかしくする、食べ物もまた

 ※このnoteはずっと恋人の惚気なので、オタクのそういうのいらないよ~という人は読まない方がいい。
 ※恋愛でポヤポヤになってる他人の惚気読みたいよ~の人は読むといい。
 

 私には、しっかり名前を覚えている異性というのがふたりしかいない。
 いま付き合っている恋人と父親だけだ。
 正直なところ言うといわゆる元彼たちの名前は、あまり覚えていない。
 別れたから忘れたのではなく、付き合っていた当初から覚えられなかった。
 薄情というか、記憶力がよくないので、そもそも毎日顔を合わせるクラスメイトや同僚の正しい名前と顔すら男女問わずほとんど覚えられないのだ。
 そんなだから、歴代の恋人の名前も御多分にもれず……なのである。
 そんな中で珍しく私の脳にしっかり名を刻まれているふたりは、たまたま私と『食べ物を分ける』ことをキーにした思い出がある。

 恋人とは付き合って数年経つ。いまはいっしょに暮らしている。
 とても大きくて、見た目がいかつくて、喧嘩をしたことがなくて人を怒るのが苦手で、つい誰も彼もを甘やかしてしまう。
 そういう人だ。

 父親はというと前科者である。
 頭が良くて、真面目そうな見た目をした、ギャンブル狂の詐欺師だ。
 詳細は伏すが、まぁ、そういう廉でお縄についた。
 その末路の人だから基本的に自分には大甘な人間なのだが、反面子どもにはわりと厳しい……というか、ヘンな接し方の人だった。
 具体的エピソードはいくつかある。
 その中で特に記憶に残っているのが、「肉まん分けっこ事件」だ。
 
 ある時、肉まんを食べていると先に食べ終わっていた弟がまだ欲しいと泣きだした。
 私は「これは私のじゃい!」と我関せずで自分の取り分を食べていたのだが、それを見た父がズンズンと歩いてきて、私のかじっていた肉まんを取り上げた。
 そして、それをムシャムシャ食べたあと、なぜか手のひらにそれを吐き出して「人に物を分けないとは、こうなるってことだ。この食べかすを食えーっ!」と叫んだ。
 私は、自分の肉まんが取られたショックと父親の行動があまりに理解しがたくて怖くなって泣いた。

 書いていて意味わかんなくなってきた。
 父親、怖すぎる。名状しがたい怪異かなにか?
 何が「こうなるってことだ」なんだ。
 殴られるから怖いとかそういう痛みに直結する恐怖じゃなくて、意味わかんなすぎて怖い。
 何がしたいんだ、この人は。
 いや、主題はそこじゃない。父親が怖い話についてはまだ別の機会に。
 とにかく、私がこの出来事で強く思ったのは『人に食べ物を分けるのはかなり怖い行為だ!』ということだ。
 正直言うと上記のエピソードでそういう結論には至らんやろとよく考えたら思えてきたが、恐怖がこんがらがって長いことそう思って来た。
 そういうわけで私の中で、食べ物を分け合うのはわりとハードルの高い行為だ。
 ――なので、私と食べ物を分けっこした人は私に気を許されている。閑話休題。いや、この話ずっと閑話休題みたいなもんか。
 
 「俺の頼んだ味もあげるね」
 それがいまの恋人と付き合おうと思った決め手であった。
 初めてふたりで出掛けた時、昼食のために入った店は、お好み焼きのチェーン店だった。
 価格帯は高校生御用達なくらい安価だし自分で焼くのでソース跳ねや服に臭いがつくのも気になる、ネットでたびたび論争の種になるようないわゆる『初デートに向かない店』だとよく考えれば思うのだが、我々は気にしていなかった。
 おそらく向こうはそういうの気にする余裕もそんなになかったし、私は暢気な性質なのでお好み焼き良い匂いだな~くらいにしか思っていなかったと思う。
 私はそんなどうでもいいことより、むしろ「俺の頼んだ味もあげるね」という何でもない一言を覚えている。
 お互いにひと玉ずつ頼んだのが焼きあがってすぐ、彼はそう言った。
 交換ではない。くれるのだ。この人は、食べ物を人にすっと分け与えるタイプだ。
 そんな単純なことがとても素敵に思えた。
 私はいままでロクな恋愛遍歴をしていないので、殴られヤリ捨てられ追いかけ回され二日間監禁されと散々なのだけど、それらをしてきた人はどの人も最初の印象から悪かった。(自分がどうでもいい時期だったので、自棄になってそういう人ばかり選んでいたのかもしれない)
 だから、最初の印象で「なんだかいいな」と思ったのはほとんど初めてだった。
 この好感触な印象は今もずっと裏切られていない。
 人に食べ物を分け与える、という私の中でハードルの高いことをこの人はとても自然でなんでもないことのようにやっている。
 付き合い始めてからも彼は何かと食べ物を分けてくれる。
「こっちも食べる?」「俺が買った味もおいしいよ」
 いつもそう言って、自分の買った方を私にもくれようとする。
 もちろん私もお返しに一口あげるが、別にその見返りを求めてではなくただ私が喜ぶのを見たくて分けてくれる。
 対価の要求なく『分け与える』というやわらかいこの行為をしてくれた上で友情ではなく恋愛感情を寄せてくれる人と出会ったことはなかった。
 彼も本心では下心や打算があったのかもしれない。
 だが、それをあからさまにしない、いわゆる嫌な感じではない異性と接する機会は私にはあまりなかったので、非常に新鮮だった。

 食べ物をくれる人はいい人だ。

 乱暴に言えば、そういう結びになってしまいそうだが、私にとってはそうだったのかもしれない。
 そこにやわらかな親愛の情があって、食べ物を分け与えてくれる人は、きっといい人だ。
 私は、お父さんからかけられたなんだか怖い呪いの言葉を忘れて、このやさしい人の手からずっと食べ物を一口分けてもらいたい。
 そうして父親の吐いた肉まんでできた体が、やさしいおすそ分けでできた体にすっかり変わればいい。
 いまはそう思う。

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