さよなら、私の青い鳥
X(旧Twitter)のメインアカウントが凍結した。
2024年2月25日19時ごろのことである。
凍結したのは2011年4月に最初のアカウントを開設してから初めてだ。
凍ったのは2代目アカウントだが、初代アカウントと併用して使って来たので付き合いの一番長いものになる。
実に13年近くこのアカウントでやってきた。
私の人生の半分とは言わないが、多くの時間を共にした。
ショックじゃない奴おるか。
こんなん、ショック覚えん奴の方が少ないだろ。
少なくとも私は大ショックだよ。
13年積み重なって交流してたフォロワーもいっぱいいたし、そうでなくてもミニブログとして大いにいろいろ垂れ流してきたのだから。
そう、いろいろ垂れ流してきた。
凍結の原因というのは基本的には知らされない。(と、私は思っている)
だからこれは仮説にすぎないのだが、私の凍結原因って……?
もしかして過去の大暴れ時期の過激なツイートにあったりするのか?
大いに精神を病んでツイートが過激だった時期があるのは事実だし、そうでなくても過去にかなり内容がハードな妄想ツイートをしていたことも。
時代のせいにするわけではないが、今よりもインターネットシーンは混沌としていたし、私自身も精神的にも実年齢も非常に若かったのだ。
今はもうそういう時代ではないから自分なりに考えて過激さを抑えて……、なんならツイート自体も差し控えていたのだが。
しかし、今回の凍結の原因がもし私の過去ツイートにあるのだとしたら。
つまり、引用したディアボロのセリフの通りということになる。
今回の件は過去を消し去らなかった私に罪があるということなのだろうか。
しかし、言い訳させてもらうと私は「過去なくして現在の自分は存在し得ない。故に、過去の過ちや若気の至り的なツイートをそのままにしておく」という自分なりの軸を持ってやっていたことなわけで……。
いや、もう何も言うまい。
ただ私は自分自身を正当化し、13年連れ添ったアカウントが凍結したことのショックを和らげたいだけなのだ。
だから、今回に限っては厳しいお言葉はどうかご容赦願いたい……。
飴ヌ、顔を上げろ。
ディアボロはこうも言っている。
この凍結はひとつの試練なのだ。
誰だろうとわたしの永遠の絶頂をおびやかす者は許さない。
私はこれからも、便器にこびりついた染みのようにしぶとくXに居残ってやる。たとえここが、沈みゆく泥船だとしても。
それはそれとして、多分ボスは前向きな意味で引用セリフを言ってない。