風呂(実話怪談)
風呂が嫌いである。
若い娘にあるまじきことであるが、嫌いなのものはしょうがない。
別に猫のように体が濡れるのが嫌だとかそういうわけではないのだ。
ただ、温泉は好きだ。特に露天風呂は。
視界を遮る天井の無い屋外の風呂に浸かるのは、ジッとしていても退屈しないし、それに「安心だ」と思う。
つまりに、私にとって内風呂は「安全」に程遠いから嫌いなのだ。
特に自宅の風呂は。
私も以前はそれほど強固な風呂嫌いではなかった。
何かに理由をつけて入浴を拒んだり、烏の行水もかくやという早さで出るようになったのは今住む家に越してきてからのことだ。
家族は、それはこの家の風呂が狭いからだと思っている。
全くの余計噺になるが、うちの風呂は狭く、膝を三角に畳まないと入れない。足を伸ばすなど以ての外だ。体を最大限ちぢこめても肩まで浸かるのに苦労する有様。
しかし、それは大した問題でない。
入るたびにどこかしら体をぶつけて(大きな体と無駄に長い手足では体を洗うのにも苦心せねばならない。)青あざは絶えないが。
私は、家の風呂場という場所そのものが、信用のならない恐ろしい場所に思えているのだ。
ある日のこと。
一軒家(この家の風呂はバリアフリー化を済ませていて広く清潔であったことを併記させていただきたい。私はこの家の風呂がことに好きであった。)から今住んでいるウサギ小屋のようなアパートに越してきてから、一年ほど経った夏の日であったろうか。
夏場はシャワーで済ませることが多いのだけれども、その日は特に暑かったので私は浴槽にぬるま湯を張った。
家人は出かけて一人だったので勿体なくもあったが背に腹は代えられぬ。
熱中症で倒れては元も子もないと迷わず蛇口をひねったのを覚えている。
水に近い湯は熱いそれよりもずっと早く溜まり、私はすぐその中へ飛び込んだ。
風呂に入るというよりかは水浴びのような気持ちだったので、入浴剤の類は入れていない。
透明なぬるま湯の底に私の体の影が映っていた。
足、頭、手。
チャプチャプ揺れる水の中で、それらの影は泳ぐように揺れる。
風呂場に本やスマートフォンの類を持ちこむ質でないので、特に娯楽の無い私はそれをジッと見ていた。
ゆらゆら。影が揺れる。
私が水の中で手を振れば、正方形の狭いスクリーンの中で薄墨色の影も手を振りかえす。
小さな子どもであるまいにそれが面白いはずもないのだが、その年は異常に暑かったせいで私も熱に浮かされていたのであろう。飽きずにずっとやっていた。
次に頭をゆらゆら。影もゆらゆら……。
すると、風呂桶のスクリーンに、別の影がフッと現れた。
私の頭の影の斜め上のあたり。同じような、だが私の物より小さな頭の影が見える。
影が小さいということは、遠くにいる影なのだ。
遠くに。この狭い浴槽の、遠くにある影。
私はにわかに浴槽に溜めたぬるま湯の温度がグッと下がるのを感じた。
なんなのだ、この影は。
頭を振ってみる。近い方の影が揺れる。
もう一つの影は、揺れない。ジッとしている。
湯船の上に棚はない。何も置いていないのだ。影として映るものは、無いはずだ。
私は恐る恐る後方を振り返る。
後ろ、ななめ上。この小さな風呂場の左の隅に何かいるとでもいうのか。
夏とはいえ、こういう話題は御免こうむる。
祈るような気持ちであった。
目をつむったまま振り返り、意を決して開く。
何もなかった。
ホッとした。
単に見間違い、もしくは私の影が多重に映って見えたのだ。
そんなことがあるかは知らないが、私の理科の成績は散々なものだから、きっとあるのだろう。あるのだ。
胸をなでおろして、私は視線をツ……と右にずらした。
そこには換気扇がある。
その隙間、黒い闇の中にポッカリ二つの目。
目があった。
どうやって風呂から上がったか、覚えていない。
ほとんど裸のまま、濡れた体も構わず布団に包まって震えていたのが次の記憶だ。
私は、風呂が嫌いだ。
またあの目と視線がかち合ったらと思うと、内風呂は気が気でないのだ。
風呂場はまこと「安全」でない。
(おわり)