とおりゃんせの十字路(実話怪談)
怪談体験がそこそこにある。
そこにあるはずのないものいないはずのものを見たり、妙な声を聞いたり。
それが幻覚幻聴の類なのかは私にはわからない。
ただ、私が実際に体験したことなのだ。
それだけは確かだ。確かなはずだ。
小学生の時通っていた習い事の教室は電車で十五分ほど先の市街地にあった。
最寄り駅から歩いてさらに十五分。
子どもの足だったから、今なら十分もかからないだろう。
その短い間に信号は四つあった。
うち一つが大きな十字路になっていて、渡りきる時間を確保するためか信号待ちがとても長い。
この信号が原因で習い事に遅刻することさえあった。
真夏のある日も、その信号に引っかかってしまって内心焦っていた。
(はやく信号変わらないと遅刻しちゃうよ……)
パッポーパッポー、と青信号を知らせるマヌケな音がスピーカーから降り注ぐ。
ほかにも車の走行音や街角から聞こえてくる店頭BGM。
どれもがジリジリ日差しで焼ける頭にぶつかってくる。
すると、突然音が止んだ。
まったくの無音というのは、あの時初めて経験したように思う。
何も聞こえない。
車や人は動いてはいる。
ただ、私の聴覚だけが完全に働くのを止めていた。
もちろん不安になる。
キョロキョロとあたりを見回すが、音が消えた以外になんの異常も起こっていないらしい。
周囲はまったくいつも通りに忙しなく動き回っている。
困惑する私に、ひとつだけ音が降ってきた。
さっきまでマヌケな信号音を出していたスピーカーが、別の音楽を流し始めた。
聞いたことのある歌詞、リズム。
それはわらべうたの「とおりゃんせ」だった。
喧騒から突然切り離された雑踏にとおちゃんせだけが響く異質な空間。
私は体の芯から震え上がった。
スピーカーがとおりゃんせを歌い終わるとまた突然世界に音が戻ってきた。
怪談にもなれない、オチの無い体験談だ。
それでも私にとっては真夏の鮮烈な怪体験で、怪談を語る機会があるたびに話していた。
しかし、これは今は話すことがめっきりなくなってしまった。
これをお読みの方は『ぬらりひょんの孫』という漫画をご存知だろうか?
週間少年ジャンプで連載されていた漫画で、大妖怪ぬらりひょんの後継者である主人公が様々な怪異に出くわしたり少年漫画らしくバトルをしたりといった内容だ。
この漫画に「切裂とおりゃんせ」という敵が登場する。
聞くところによると、この敵、交差点に「とおりゃんせ」を歌いながら現われ少女を襲う怪異なのだという。
それが私の体験談と被る。
確かに と思わずにはいられなかった。
切裂とおりゃんせの怪が漫画の作者のまったくの創作なのか、それとも私のような体験談は全国各地で発生しているのか。
どちらにせよ、稀有な偶然である。
これは私が体験した話でもある、それだけは確かなのだ。
(2019.01に発行した個人誌から再録)
(当時手に取ってくださった方、ありがとうございました)