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婚外は純愛?それとも・・・?
『機能不全家族。』
何かしら機能していない
家族のことを言うらしいが、
誰もが我が身のこととして
感じているからこそ、
自分だけがおかしくないと
信じたくて婚外での出会いに
救いを求めるのかもしれない。
しかし、
家族の仲が良好かどうかなんて
重要ではないし、
正直、関係ないと思っている。
なぜなら、
機能不全なのは
家族ではなく
紛れもなく自分自身なのだから。
子どもの成長と共に
変化してきた家族の形とは別に
夫婦としての機能が
おざなりになっている現実は
思考することでしか解決しない。
今更。
とばかりに
期待する事も
関係構築も望まない関係は、
シェアハウスの住民。
もしくは
オブジェなのだ。
上司と部下のような関係性での
子育てに疑問を持つことさえ
許されないのかもしれないと
自己洗脳する夫婦たちは、
歪な幸せさえも感じることができずに、
子どもに期待し、抑圧させ続け
家族として運営が成り立たなくなる。
こんなはずじゃなかったのに。
と後悔する矛先もわからないまま
ゴールの見えない無限ループを
永遠と彷徨い続ける人生でいいのかと
立ち返るのかもしれない。
家族に不満がない場合だって然り
結局、
自分に不満があるのだ。
なぜなら
自分のズルさを誰よりも
1番知っているからだ。
何かしらの
メリットがあるから
婚姻関係を続け、
今日も
家族プレイを遂行しているに過ぎない。
そして、
こんな欺瞞に満ちた生活に
違和感を覚えるからこそ、
自分の良心がまだあるのかと
確かめたいのだ。
そのためには同じような
リスクがある者同士だと
罪悪感が少しでも軽減される。
誰かを簡単に
愛することはできなくても
インスタントな
愛を手に入れることはできる。
もちろん、
その愛を信じることだってできる。
わたしたちはいつも
愛されることばかりに意識を
向け過ぎているが、
本当は愛することを
拒絶されない関係を
求めているのかもしれない。
婚外恋愛を純愛と呼ぶ必要もないが
不純として扱うこともないはずだ。
人生に必要なのは
婚姻のパートナーだけではなく
その関係も踏まえた上での
パートナーがいてもいいはずだし
ステップファミリーとは、
婚姻だけではなく
進化する家族と捉えて、
ステップアップファミリーとして
進化してもいいはずだ。
行き過ぎたホワイト社会では、
結婚していると言った方が
生きやすく、
離婚してシングルマザーだと
言った途端、
犯罪者の如く扱われてしまう
現状がわたしを復縁婚に導いた。
家族という偽善に不感症であることを言い訳に
今日も家族プレイを貫いている自分に疑問を感じない日なんてないのだ。
一生添い遂げるだけが
家族ではないし
幸せの形でもない。
何か一つの形に当てはめようとするには
選択肢が増え過ぎたのかもしれない。
社会と家庭と婚外恋愛の総合性を
引き続きレポートします。