見出し画像

「あなたがいないとできなかった」と言われて考えたこと

あなたは、周囲にこんな言葉をかけられたことはあるだろうか。

「あなたがいないと本当にできなかった。ありがとう」

おそらくは、言われれば誰もが喜ぶ言葉だろうと思う。
他でもない私も、差し詰めそう言われたいがために努力していた気すらする。
1年前までの私なら、確実に喜んでいた。しかし、今は違う。
そう言われると、「ああ、またやってしまった」と思うのだ。

集団で動く場合、誰かが先頭に立つのは自然な成り行きである。
多数決であろうと立候補であろうと、集団はリーダーを決めてから動き出す。
「社長」「会長」「委員長」など、表現は様々だが、この世はリーダーにあふれている。
ただ、その人がいないとまわらない状況は果たして正しいだろうか。
その人がいたからこそできることは、その人がいないとできないことだ。そこまで1人に依存する状況を作ることは、良いことなのだろうか。
私がいないと成り立たない状況にして、それが私の本望だったろうか。

ひとりひとりが、その人にしかできない役割を担って動いているのは、一種の理想であると思う。だが、全て頼りきりで、その人がいないと立ち行かないほど寄りかかっているというのは、チームを構成するにあたって必ずしも良いことではないと思うのだ。


私はこれまで、様々なリーダーを経験してきた。
小学校では、学級委員をやった。中学校では、部活のリーダーをやった。高校では文化祭のリーダーを2年間やったし、大学生になった今も、複数の組織でリーダーを任されている。
その多くで、私はその集団を「私がいないと立ち行かない」ものにしてしまった。

高校生の時の話をしよう。私の高校では、2年生は教室を使った出し物、3年生は食べ物の出店と決まっていた。当時クラスの副委員長を務めていた私は、学級委員長だった人が仲のいい友人であったことから、成り行きで文化祭リーダーを一緒に務めることになった。その時の状況は、高校生にしてはなかなか過酷だった。大学進学を目指す特進コースに所属していたため、7時間目まで授業がある日はざらだった。加えて、海外語学研修委員でもあった(副委員長が入る決まりだった)ため、文化祭の2週間後に出発を控えた語学研修に向けた準備もあった。もちろん、洋服など海外に持っていくものの個人的な準備もある。さらに、私たちが語学研修に行っている時期に、学校では中間テストが予定されていた。その時にはニュージーランドにいる特進コース2年生は、予定を2週間前倒しして、授業内で中間テストを実施することになったのだ。つまりは、「7時間目までの授業」「文化祭準備」「語学研修委員」「語学研修準備」「中間テスト」この5つが同時に私を襲っていたのである。

まあ、今の私が言えることは、「あほか」である。
それだけだ。
若干の成り行きを含んでいたものの、自分で自分の首を絞めていたのだ。
ぎゅうぎゅうに。


自分で自分の仕事を増やし、みんなに頼られていると勘違いして悦に浸るのは、何という害悪だろう、と思わずにはいられない。
もしかしたら、皆さんの上司や友人にいるかもしれない。

リーダーとは、そういうものだと思っていた。
「その人がいないとうまくいかなく」なるべきだと思っていた。
それだけ重要な役割だと、そうあるべきだと思っていた。
自分は有能だと思っていたし、実際ある程度はそうだったと思う。
しかし、自分「だけ」が有能だと思うのは違うのだ。

周囲を信頼できていないかったことも、原因の一つだろう。
あの時、私は2時に寝て6時に起きる生活をしていた。
もっと周りに仕事を分配すべきだったし、できないのなら教えればよかった。そうすべきだったし、そうしなければならなかった。
集団で動くとは、そういうことだ。



あなたがいてくれたから、と言われるのは嬉しい。
だが、あなたがいないとだめだ、と言われると、何とも言えない気持ちになる。
嬉しい反面、それだけ自分が動いてしまっているということを自覚する。
それだけ、自分で物事を決めてしまっていた。
それだけ、ひとりごとにしてしまっていた。

集団で動いていれば、どこかで我慢し、どこかで不本意な決定をしなければならない。
だが、それがチームだ。
できないことは教えてもらい、辛いときは助けてもらうべきだ。

何かしらの組織に所属しているならば、集団のなかの一個人であることを忘れてはならない。そのチームは、あなたの所有物ではないからである。

よろしければ、サポートしていただけると嬉しいです。いただいたサポートは、海外留学の夢のためにつかわせていただきたいと思っています。