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苦手な物との和解を試みる 1

体質似合わないとか、自分の味覚がおいしいと感じないとかではなく、
長年口に運ぶことを拒んできたものが、いくつか、ある。
若い頃は、苦手なものが自分を表す個性の一部だと思っていた節もあって、食べられるようになろうなんて、全く思わなかったのだけど、歳を重ねるうちに角がとれたのか、こだわりが薄れてたのか、この夏、和解しようかな、と思いはじめました。

1 鰻との和解
子どもの頃、鰻は割と身近なもので、おじいちゃんはよく鰻を釣りにいって料理していたし、家で出前といえば、鰻のせいろ蒸しが定番でした。家族みんな鰻好きだけれど、幼い頃の私は、骨があるという理由で魚が全般的に苦手で、鰻は口にせず、タレのしみたご飯を喜んで食べていたのでした。

その後、少し大きくなって、鰻はみんなが大好きな高級なごちそうとして扱われていることを知り、それなりに魚も食べるようになっていたので、思い切って一口食べてみました。すると、骨が見事に喉に刺さりました。鰻の味は覚えておらず、ショックと痛みで「鰻は食べない」と心が閉じてしまったのでした。

そんな私ですが、鰻店に対する憧れはあるのです。産地のこだわり、調理の技、お店の伝統、TVなどで紹介されているのを見ると、敬意を感じずにはいられません。その思いは歳をとるにつれて、だんだん強くなっているように思います。また、鰻の漁獲量が減っているというニュースを聞くと、鰻料理は日本の大事な文化で、守って行かなければと思ったりするのです。

そして今年の夏、暑さで体力が落ち、体重も減り、何か栄養価の高い物でも食べなければと思っていたとき、某チェーン店のCMを見たのです。鰻とお肉がのっている丼。なんだが、すごく元気が出そう・・・これなら食べれるかも、食べてみようかな。こだわりが、ふわっと揺らぎました。鰻屋さんはハードルが高いので、このあたりから始めるのはどうだろうか。今なら、和解の席に着くことができるかもしれない!

早速お店を検索。万が一食べきれない時のことを考え、自宅で食べようとドライブスルーを利用することに。購入後の帰り道は、初めて自腹で鰻を買ったことによるドキドキで、異常な緊張を伴いながらの運転となりました。

帰路につき、畏まった気持ちで食卓に着き、鰻と対面。こんな日が来るとは、自分でも驚きです。昔の私に教えてあげたい。一切れをさらに小さく箸に取ろうとして、皮と身が離れてしまう。動揺が箸先に・・・。気を取り直して、まず身の部分を口に運ぶ。ふんわり柔らかい。骨はないみたい。うん、食べられる。次に皮。癖のある味、多分これが鰻の味なのだろうか。そして脂の感じが口に広がる。う~ん。ちょっと苦手かもしれない。残りは身と皮を一緒に食べる。皮目の主張は強いなあ。いきなり、これおいしい!とならないのが、現実なのか。

鰻部分を食べ終え、お肉で正気を取り戻しながら、今後のことを考える。
今度は、骨は刺さらなかった。というか、骨が刺さったのは、私の不注意でもあるので、私が鰻に謝罪すべきであろう。長年の無礼申し訳ない。
味は、食べれないことはなかった。皮は抵抗があるけど。
魚の臭みは皮の部分に多いので、しっかり焼くといいと聞いたことがある。
鰻も皮をもっとパリパリに焼いたら、好みの味になるかもしれない。
鰻は東西で焼き方が違うというし、白焼きとかひつまぶしとか、いろいろな料理もあるし、チャレンジする価値はあるのではないだろうか。
和解へ向けて進展の余地はありそうだ。

今までのような、ただ拒絶するとい現状は改め、歩み寄ろう。
まずは、握手することにしよう。
良き関係の構築に向けて努力すれば、鰻を楽しめる日が来るかもしれない。
道は長いかもしれないけれど、久しぶりに、前向きな気分になれた。

そして、もう一つ、この夏、和解したい相手がいる。
行けそうな気がする。次も頑張ってみよう。


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