今年一年を振り返る 其の弐
私がこの世に生まれい出てよりはや40数年来
今までの人生の中で、したことも考えたこともなかったことがある、としたらそれは
【懸賞事】
ゲームであれ、応募であれ
決められた設定の中で己の幸運値で引き当てるタナボタ的な要素の遊びにまったく興味をそそられたことがないのだ
また、この世に本当にタダのものなど何一つないことも子供の頃から理解していた
でも、自分の手と知恵でするギャンブルは大好きだ😺基本的に戦争事は大好きなのだ
※他人を傷つけることではなく、何かしら自分をわざわざ自分の中での戦いに駆り立てるという意味合いでの話です(笑)
そういうわけで、もし応募するなら100%貰える確定のドラえもんおかしめんの当たり蓋とかチョコボールの金のエンジェルとかくらい😹
そんな私が初めて懸賞的なものに参加したのが
前澤ファンド
参加料10万円で、選ばれた10名にはチャンスを与えよう
という例のあれ
この世の中の大勢が資金繰りに四苦八苦してる時に、金持ちのお遊びは違うなあ…と思ったのが最初の印象
前澤さん(下の名前は今も覚えられないが)にもまったく興味はないし、何者かもしらないし、私にはわざわざ知る理由もない人物
ただ、参加者はわずか4000名ほどだったかな
貰えるとなると10万円100万円でも参加者は数百万人くらい群がるものが、自分の腹を痛めるとなると10億ぶら下げられてもお金遊びに付き合ってくれる人間はたった4000人程度😹まあ、そんなもんでしょうな(笑)
しかし、彼の仕掛けたこのイベントは間違いなく私にとっては人生の転機のきっかけとなった
私は暇つぶしに遊んだりしていたアプリゲームなどは基本的に無課金でしか遊ばずに飽きる派だったのだが、このイベントをきっかけに無課金と課金の大きな違いを自分の心で感じ取ることができた
それをきっかけに本来なら出会うはずもなかった初対面の人たちと現実に触れ、会食したり会話を交わしたり、さらには自らが誰かと約束を取り、落ち合う
などという、普通ならすぐとなり近所で営業されているお店の顔見知りの責任者の方とすら(申し訳ない話だが)行うことも、極めて稀であろう体験を得られる機会を得られた
意気投合できた人たち
それは、ほぼ自分と大差ない人物たち
中には、私などの次元を遥かに超越する人物もいたのかもしれないが、そういう人たちは周りには残らなかったし、私自身の記憶にも薄い
私自身がそもそも、ちょっと変わった人間であると幼少の頃より自覚しているし、まず、相手が誰であれ、人から感銘を受けることがないし、受けたことが事実ない
人は人、自分は自分
いかなる人や関係でも母親をのぞけば、その枠を越えて期待することもなく、望むこともない
なぜならば
人は自分と同じく、自分のしたいことしかしない
自分が必要であれば相手からやってくる
来ないのは自分が相手にとって不要、というわけではなくとも必要というわけでもないから
その根本的なことを幼い頃からどういうわけか理解して生きてきたからだ
だから、誰かに盲信することもなく、誰かを特別な人(例えば恋する人や愛する人といった存在)と思い込むこともなかった
だから、物事に特別燃えることはほとんどなく
(怒りを感じて感情的に熱くなるのとは別物の意味で)
自分に必要なものは自分で用意し、それを用意するに当たって必要なことは全て自分で行ってきた
(そのために人に動いてもらえるように対処することももちろん含まれる)
要は決定も行動も自己責任、人の意見を必要とはしなかったのだ
少なくともこれまでの人生においては
それは結果として
人のことをまったく気にしない、というかまったく気にならない
ゆえに
自分のことを人に知ってもらおうとも思わない、伝えようとしない
実に気楽でわがままで、見る人の感性によっては寂しく哀しい人生を過ごしてきたようにも感じられることもあろう
そんな私だからTwitterをはじめ、このnote InstagramにFacebook
今でも、別に誰かに共感してほしいだとか、いいねほしいとかフォロワー増やしたいとか
もっといえば
たくさん情報を集めたい、知見を得たいとか
そんなものすらあるのかないのかわからない
少なくとも、現在の時点ではそういった欲望の占める割合はとんと低いと思っている
今後はまずその性格とベクトルを変える努力をしていくべきかとは考え始めてはいる
話を戻して
おそらく、彼らと話をしなければ
彼らの語っていることや、言ってることや単語の意味が本当はまったく理解できてないことにもどかしさに似た感覚を感じる機会がなければ、今年もこれらに一切さわることもなく、またそれでいて本来は数多くの未知を学べていたであろう時間
澱みなく容赦なく過ぎ去ってしまい、変化も匂いも感じずないまま、今までと同じような時間として浪費していくだけの時間
そんな時間にすら気づいていなかったに違いないと思う
10万円
私は到底裕福な人間ではない
はっきり言えば貧乏人だ
いかにお金などは所詮、生きるに必要な物を交換するため道具であり、手放すことにたいした執着もない人間とはいえ、決して安い金額だったと言う気はない
しかしながら
あの(事業として次の支払い日の履行に間に合うかという意味で)死ぬか生きるかの瀬戸際に繰り出す気になったのは、今思い返せばまちがいなく天の導きだったと思える
この紙きれ10枚が私にもたらした恩恵はまさしく私の人生にとって値千金であったことは疑う余地もなく、今なお、継続している
あれからはや300日近く経過した
交わした交流の中で己の学習力の怠慢さと不明で理解力が追いつかず、自身の素直な心が感じた悔しさをバネにして
学べば学ぶほど、何かしらが身につけば身につくほど、これから先の私の未来は今までより楽しい世界へと繋がっていくのではないか
今年は、いや今現在はそう思い始め
もっと動けるようになってみよう、方法を考えてみようと素直に思う自分がいる
次回はそれらについて、現在2020年12月末時点での経過と自覚、感じていることを記録しておこうと思う