発達障害の当事者会に参加して
自分のかかえる、二次的障害のうつ状態も、症状の波はあるが良くなりつつある。
…気がする。
何度か、発達障害の当事者会に参加する機会があった。
僕の住んでいる地域や県全体を調べても、なかなか当事者会というのは開催されない。
当然、そうなると隣県まで行って参加することになるのだが。
何度か参加してみて感じたことがある。それは、
当事者会にも自分にとって、向き不向きがある
ということ。
最近、障害者手帳を取得した。
改めて、僕は障害者(発達障害)なのか…と認識する。
世の中には
「私もいろんなことミスするから、発達障害かもしれない!」
とか
「君が発達障害なら、みんな発達障害だよ!気にしない、気にしない!誰にでもあるよ。そういうところ。」
とか
「発達障害グレーゾーンに近いかもしれない。」
という言葉を言い放つ人もいるらしい。
僕も親しい友達に、そして、最初は実家でも同じことを言われた。
何か、甘えを得ようとしているし、ミスしても許してねという共感を得ようとする魂胆を感じてしまう。卑怯だよ。
自分が発達障害かもしれない…というのなら、心療内科や精神科を本気で訪ねてみたことはあるか?我が身を案じて、診察に行こうとしたことはあるか?
障害者手帳を手にした時、どんな思いがめぐるか、ご自身は想像できますか?
先の言葉を聞いた発達障害の人が、どんな思いをすぐにするのか…あなたは想像できますか?
きっと、想像できないと思います。
だって、健常者は発達障害者ではないんだから。
自分自身、「もしかしたら発達障害なのかもしれない。どうしよう…。」と恐れをいだきながら、医師の所へ通っていた過去があります。
今思えば、この感情は障害者に対する先入観に近いものがあって、大変失礼な感情だったと思います。それを深く反省し過ぎて自責の念にかられ、うつの状態がひどくなりました。
「あなたは障害者です。」
この言葉、
先に言い放ってた人にそのまま言ってあげたい
くらい。
言われた時、きっといろんな心配ごとが脳内をかけ巡る。
そして、自分自身と今からの将来を心配することになるだろうし、今後希望があるのか…との思いさえ湧くんじゃないかな。
当事者会の話に戻るが、
以上にあげた様々な思いや感情、辛い経験などを抱えた当事者が一同に集まる当事者会は、多様な人達が集まる。
そして、発達障害の他に、二次的障害をかかえていて参加している人も多くいる。
当事者会は知る限りだと、
なぐさめ合いやあるある事を話し、共感し合う場にもなる。
一方的に話し続たい人もいるし、ただ聞いている人もいる。
自分にとって向いているな!と思った当事者会は、
【発達障害はあるけれども、社会で活躍し生き生きとしている人と接することができた】当事者会。
当事者会といっても、
結局、建設的な意見や尊重し合う中でも、次への一手を投じるきっかけを見つけ出さない限り
最後には
現代社会の住みにくさをグチる
だけで終わってしまう。
現代社会の社会制度、障害者雇用の枠の少なさや、希望する事と社会の受け皿がマッチしないなど、批判や問題を出し続けてもキリがない。
結局、何がしたいのか?どうして生きたいのか?
これを考えて実行しない限り、先は進まないし、現状維持になるし、最悪自己否定にも繋がりかねない。
障害をかかえている人にも、たくさんの性格の人がいた。
物事を最初から
否定的に見るのか、
肯定的に見るのか。
そして、僕は、どう考えて、どう動くのか
当事者会に参加して、これを学習した。
未来志向の当事者会
なら、次も参加したいなと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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