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『シンプルな世界』三

三 
 土日が明けて、大学へ向かった和貴は早速仁を捕まえて報告した。
「行動早いな、和貴」
「善は急げってな」
「善なのか、それ?」
「さあ」
 二人は軽く笑い合ったが、仁は和貴の肩をぽんっと叩くと「ま、よかったじゃん?満更でもなさそうだし」と言った。
「ああ、飯も作ってくれるし、うまいし、可愛いし……動く人形、動く理想だわ」
「うわあ、コイツ、相当ハマってやがる」
 仁はニヤニヤしながら言った。
「でも、やっぱ俺は人間の彼女がいいかな。だって、肉体関係は持てないわけだし」
「はあ?何言ってんだよ。改造してないのか?それかオプション」
「何それ?」
「お前の設定見せてみろよ」
 仁にそう言われ、和貴はアプリから設定情報を彼に見せる。
「身体設定から入って……何だよ、お前。既に性交渉可能に設定しているぞ」
「え?」
 和貴は慌ててスマートウォッチを見ると、確かに性交渉可能になっていた。
「何だ、できるのか。確かに、ニュースで一部の人たちがヒューマノイド恋人との情事にふけすぎて社会問題になっているって話は聞いたことがあったからできるってことはわかっていたんだけどなあ。……で、仁はどうなんだ?やったのか?」
「当たり前よ」
「……で?感想は?」
 鼻息を荒くする和貴に対し、仁は少々苦笑いした。
「俺は人間の女と関係持ったことないから比較できねえけど、多少の機械感は否めないって感じ?まあ、人の感じ方はそれぞれだし、好みによるだろうなあ」
 そういうものか、と和貴はこれまでの経験を振り返りながら聞いていた。
「ま、取り敢えずもう少し様子を見てみるよ。飽きれば返却すればいいわけだし」
「そうそう。それがヒューマノイド恋人の利点だよ。お前、どこ製のヒューマノイドを使っているんだ?」
「ミライ」
「ああ、あの大手ね」
「仁は?」
「俺?俺はね……」
 そんな会話をしながら、彼らは食堂の方へと歩いていった。
 
 大学の講義が終了し、バイトへ向かった。その帰りに和貴はコンビニに寄る。何か冷たい飲み物が欲しい気分だったのだ。陳列されているうちの一つ、炭酸水を手に取り、レジに並ぼうとした際、ふと近くにあったアイスクリームのコーナーが目に入った。愛の顔が頭を過ぎったが頭を振ってそのイメージを追い払った。
(ロボットはアイスクリームなんて食べないじゃないか。)
 そう言い聞かせて、炭酸水だけ手に入れるとその後は寄り道することなく直帰した。
「ただいま」
「あ、おかえりなさーい」
 バタバタと起き上がる音が聞こえて、すぐに玄関口まで愛が迎えに来た。彼が手に持っている炭酸水に目が入ったようだ。
「炭酸水?……趣向に加えますか?」
 以前にも和貴が経験したように、急に人間らしさを失った機械音声に変わる。初めは急な変貌に驚いたが、設定に関わることになると初期設定、つまりロボットらしい動きに戻る仕様なようだ。
「いや、疲れた時に自分で買うから加えなくていい」
「わかりました……で、今日はどうだった?」
「どうって……普通」
「普通って?」
「大学に行って講義受けて、友達と話して、バイトして帰ってきた、それだけって感じ」
「そう、それが普通なのね」
 何だか調子が狂うと思いつつ、部屋に入る。すぐに汗を描いた衣類を脱ぎ捨て部屋着に着替える。今夜は暑い。
(そういえば、熱帯夜だというニュースを今朝見た気がする。)
 迷わずエアコンをつけ、テーブルの上に並んでいる夜ご飯を見る。
「あー、今日作っちゃったのか」
「ダメだった?」
「いや、俺が言い忘れていたから俺が悪いんだ。作ってくれたのはありがたいんだけど、今日はバイトの賄いで晩飯済ませてきたからさ……これ、明日の昼飯にしてもいいかな?」
「勿論。じゃあ、冷蔵庫に入れて冷やしておくね」
 お皿にラップをかけて冷蔵庫の方へ持っていく愛を見つめながら多少の罪悪感を感じた。
「ごめん、次からは言うよ。ご飯の要る、要らないとか」
「謝らなくていいのに。でも、それは助かる!」
 愛は破顔すると、「じゃあ、シャワーを浴びてきたら?」と提案してきた。和貴はその提案を受け入れ、シャワーに入った。シャワーを浴びている間考えていた。
(愛はやはりロボットなのだ。所有者と生活する中で学習能力を高める機能を搭載しているためヒューマノイドではある。だが、人間の学習とは少し違うようだ。はっきりと結果が出て初めて学ぶ。雰囲気とか空気とか、人間の習性を見て察するということはない。そう、察するという機能がないのだ。もし察するという機能がついてしまったら、本当にヒューマノイドと人間の境界は曖昧になるだろう。)
 和貴はそんなことを考えながらシャワーから上がった。髪をタオルでガシガシと拭きながら部屋へ戻ると、エアコンの冷たい風が熱った体にちょうど良い。
「髪は乾かさないと風邪ひくよ」
 頭の先から爪の先まで隈なく視線を巡らせながら愛は言う。体調管理プログラムが作動しているのだ。
「こうやって二十一年生きてきたんだ。今更だよ」
「和貴は免疫力が高いのかも」
「そんなことはない。普通の人間だよ」
 愛が自分の前の床をポンポンと叩いて、和貴に座るように促した。彼も大人しくそれに従う。後ろを向くように言われ、愛に背を向けると、いつの間に手にしていたのか、ドライヤーで彼の髪を乾かし始めた。耳元で轟音を立てるドライヤーに耳を傾けながら、愛の指先に感じ入っていた。
(何となく、懐かしい。ああ、そうか。昔はよくこうやって母親に乾かしてもらったなあ。)
 彼は一人、過去を思い出していた。
「はい、終わり」
 ドライヤーの音が止まり、髪に手を通すとまだ温かかった。久々に他人に乾かしてもらったことを不思議に思っていたが、すぐにハッと気がついた。今、愛のことを人間として認識していたことに和貴は動揺を覚えた。
「心拍数の異常な上昇を検知。どうしたの?熱でもあるの?」
 愛が和貴の肩に手を置き振り向かせようとしたところ、彼は彼女の手を振り払った。
「何でもない。今日はもう寝る」
 素っ気なくそう言い放つと丁寧に折り畳まれていた敷布団を広げて横になった。愛は何も言わずに消灯し、部屋の角に足を投げ出した状態で休止状態に入った。



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