『シンプルな世界』二
二
ピンポーン。インターホンの音が六畳の部屋に響き渡る。どう考えても広さの割に音が大きすぎる。
「はい」
「タケル運送です。株式会社ミライからのお届け物です!」
「今、開けます」
オートロックを解除後に再びインターホンが鳴った。扉を開けると、運送業者の若い男が胸元くらいまである大きな箱を抱えて立っていた。割れ物、精密機器、天地無用といったステッカーが貼られているのがちらりと見えた。
「東雲和貴さんでお間違い無いですか?」
「はい」
「判子は不要ですので!お運びしましょうか?」
「いえ、ここで大丈夫です」
「わかりました!ありがとうございました!」
若い男は帽子をとってお辞儀をすると、白い歯を見せながら笑顔で去っていった。和貴は残された段ボールを一瞥した後、部屋に運び入れた。存外重く、汗を掻いた。和貴は先程の爽やかな青年を思い浮かべた。年の頃はそんなに変わらないのに……と自分に酷く落胆しながらも、荷物の開封作業に移った。カッターでガムテープの封を切ると、白い発泡スチロールが前面に敷き詰められていた。その上には説明書が置いてある。それらを全て取り除くと、ヒューマノイドが姿を表した。死人が棺に入っているかのように、手を腹のあたりで組み、目はしっかりと閉じられ、口元は微笑を称えている。朝日が差し込んでいるせいか、幾らか神々しく思えた。説明書を取り上げ、電源ボタンを探す。
「右耳裏、右耳裏、右耳裏……っと、ここか」
右耳裏に電源ボタンを見つけ出した彼は、早速押した。すると、ピロンという軽快な音共にロボットの瞳が一瞬震えた。次の瞬間には、大きな目を瞬かせて天井を見つめていた。
「Hello!你好!Bonjour!…… ようこそ!これから設定を行います。お使いのスマートウォッチに指定の専用アプリをダウンロード後、同期させてください」
ロボットは天井を見つめながら淡々と所有者が最初にやるべき作業内容を告げる。和貴はスマートウォッチを腕前に出してアプリをダウンロードし、同期を終了させた。そのまま画面の表示に従って、設定を進めていく。
「言語は日本語ですね。私に名前をつけてください」
「名前……そうか、つけなきゃいけないのか」
なんだかペットのようだと思いつつ名前を考える。特にこれといった名前が思いつかない。その時、「ヒューマノイド恋人と愛を育もう」という説明書に同封されていたパンフレットが目に入った。そのまま彼は、彼のヒューマノイド恋人を愛と名付けた。
「愛ですね。登録が完了いたしました……ご注文時にご指定された設定でこれより運用を開始いたします。よろしいですか?」
和貴は迷わず「はい」と答えた。
「ねえ、和貴。この箱から出たいんだけど、足下の固定、外してくれない?」
急に人間らしい、好みの声で話しかけられた和貴は放心した。しかし、彼女が怪訝そうに運搬中にずれないようにと箱に固定された足下を見やったのに目がいくと、我に返った。
「ああ、ごめん。今切る」
慌てて手元にあったハサミでプチンとプラスチック製の紐を切ってやると、愛は立ち上がり、伸びをした。
「んー、窮屈だった!」
箱から出るなり、和貴の前に仁王立ちした彼女は「ところでお腹空いてない?」と屈みながら微笑んだ。時計の針は悠にてっぺんを通り過ぎていた。
買い出しに行ってから半刻ほどすると、「ただいま」と愛が玄関口の扉を開ける音がした。迎えに出てみると、両手いっぱいに荷物を抱えた「彼女」の姿があった。
「こんなに買ってきたのか」
驚きつつ、彼女から袋を取り上げて冷蔵庫の中へ突っ込んでいると、靴を脱ぎ終わった彼女が折り畳まれた段ボールの上に腰掛けた。まだ段ボールの残骸を捨て切れていないのだ。
「男性の一週間分はこのくらいってデータにあったから」
そこはロボットらしい、と思いつつひたすら袋から食料を取り出し冷蔵庫に入れる作業を続ける。
「これは?」
高級アイスクリームを見つけて掲げてみせると「人間はそういう趣向も時に必要らしいから」と淡々と答えた。和貴は甘党というわけではなく、スイーツというものを自ら買うことはない。これは教えていかなくちゃな、と頭に入れつつ冷凍庫に突っ込む。
「俺は別に甘いものは自分で買わない人間なんだ」
「わかりました。これから気を付けます」
急に機械音声になったことに驚きつつも、和貴は全てを冷蔵庫に収納し終えた。
「結局もう一時ね。パッパと作れるもの作るね」
彼女はそう言って、先程閉まったばかりの冷麺の素を取り出した。台所に立って、お湯を沸かし始める。和貴は追い出されるようにして布団の上に寝転がった。段ボールが足に当たる。
「俺、段ボール捨ててくるわ」
「はーい」
愛は麺を菜箸で解しながら生返事をした。和貴は黙って段ボールを小脇に抱えてゴミ捨て場へ向かった。ゴミを捨てて、帰ってくるとムワッとした湿気の後に、麺を茹でた後の独特の匂いが部屋中に充満していた。
「おかえり」
愛が冷麺を器に入れてちょうど拵えているところに帰ってきたようだ。彼女が振り向きざまに和貴を迎え入れた。その際、彼女、妻、家族といった単語が彼の脳裏を過ぎった。
「どうしたの?」
じっと扉の前に突っ立っている和貴を不審に思った愛は首を傾げる。
「なんでもない。昼飯、ありがとう」
「いいえ。さ、食べて。記念すべき私の初めての手作り料理!プログラム通り作ったはずなんだけど」
愛は心配そうにしながら冷麺を啜る和貴の前に座っている。
「うん、うまい」
正直に彼が答えると、愛は花が咲いたような笑顔で「よかった」と安堵感を表した。
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