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『シンプルな世界』一

 刃となった陽光が、柔い生地を切り裂いた。懐かしい思い出たちが、ドロドロとチーズが溶けるように流れ出た。


 さわさわと新緑が生い茂る夏。二人の男子学生は古びた食堂にて向かい合い、何やら難しい顔をして話していた。
「だから、俺はヒューマノイドの恋人なんて御免だよ。人間じゃないから、所詮疑似恋愛の域を出ないじゃないか」
「じゃあ、お前はヒューマノイドの恋人を作ったことがあるのか?」
「それはないけど……」
「だったら、お前にとやかく言われる筋合いはないな。俺に文句を言いたいならヒューマノイドの恋人を作ってからにしろ、和貴」
 和貴と呼ばれた男はすっかり黙りこくった。
「確かに、仁の言い分は最もだな。一回使ってみて、それからお前を存分に批評させてもらうよ」
「ああ、そうしてくれ。それなら、俺もお前の話に耳を傾けられるってもんさ。じゃあ、俺はこれからデートなのでお暇するよ」
 仁は鞄を持つと、そそくさと食堂を後にした。これからヒューマノイドの恋人と待ち合わせだという。和貴ははあ、と深い溜め息を吐くと頬杖をついて蝉の鳴き声にぼんやりと耳を傾けた。

 一人暮らしをする学生マンションに帰ると、早速ヒューマノイド恋人を派遣する大手会社「ミライ」のホームページを開いた。「あなたの理想を身近に実現」という謳い文句が真っ先に目に飛び込んできた。和貴は何とも言えない気分になりながらも新規登録を済まし、ヒューマノイド選択画面に移った。そこには多種多様なヒューマノイドが出現した。男性から女性まで表示されており、時代に則して恋愛対象に対する配慮がなされている。和貴の性対象は女なため、絞り混み検索で女のみ表示を選択。すると、表示件数が半分になった。どれを選べば良いかと困惑していると、ポップアップ画面が現れた。そこには、「新規会員様限定!カスタマイズヒューマノイドを特別価格で提供中!」と書かれていた。彼はその画面をクリックし、特設サイトへ飛んだ。特設サイトを読んでいると、カスタマイズすればするほど月額料金がオプションで高くなっていくシステムだということがわかってきた。だが、現在は新規会員限定でカスタマイズヒューマノイドを通常の七◯%オフで利用可能ということだった。通常ヒューマノイドでは髪型や顔の造形を細部まで弄ることはできず、会社が用意したテンプレートからしか選べないが、カスタマイズヒューマノイドではその点、自由に指定することができた。また、口調や癖、性格などもカスタマイズヒューマノイドのみ可能なオプションだ。和貴は迷わず、カスタマイズヒューマノイドを選択した。黒髪ロングヘア、目はぱっちり二重、通った鼻筋、少し厚い唇。身長は一五七センチで、胸は小さめのBカップ。体重は四五キロと平均的なもの。その他の細部も細やかに指定し、結局は月額二万円となった。通常ヒューマノイドよりは若干高いが、これだけ指定してこの値段だったら概ね満足だろう、というのが和貴の感想だった。注文確定ボタンを押し、「注文が確定しました。発送までしばらくお待ちください」というメッセージがすぐに会社から送られてきた。
「ついに俺の理想が身近に、か」

 彼は暫くスマートウォッチをじっと見つめ、段々と画面が暗くなっていく様子を観察していたが、気づくと自分自身も暗闇にいた。彼は身体を動かし、自分の手足があるかどうかをまず確認した。御体満足なことを確認した和貴はひとまず安堵のため息をついたが、すぐにここはどこかという疑問が生じた。
(つい先ほどまで、確実に自室にいた。そこからの記憶がない。きっと眠ったのだろう。とすれば、眠っている間にどこかへ連れ去られたのか。)
 頭の中を様々な可能性が過ぎるもののどれもピンと来ないでいた。すると、前方の方から差し込む光が見えた。淡く橙色に輝いていたが、段々と発光が強くなっていく。とうとう目も開けていられぬほど眩しくなり、腕で目元を覆うと、目の前に仁が座っていた。
「仁。おーい!」
 仁に和貴が両手を挙げて振ってはみるものの、彼は一向に気づく様子はない。それどころか、全く見えていないようであった。ふと辺りを見渡すと、見覚えのあるファミレスだった。よく二人が来る馴染みの店だ。
「あまり重くならずに聞いて欲しいんだけどな」
 仁が和貴よりやや視線を左にずらして話し始めた。おかしい、と思い和貴は仁の視線を謎って自分の右隣を見やると、そこには和貴に瓜二つの人物が座っていた。
「俺の父親がDV男だったんだ」
 その一言を聞いた途端、和貴はこれが自分の記憶だということに気がついた。過去の出来事を追体験しているのだ。仁は眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
「子どもの頃、何度も殴られた。俺を庇った母さんも殴られて、身体中痣だらけだった。酒を飲むとダメだったんだ。日々にうんざりして、自殺しようかと思っていた矢先、父親が大病を患ってな……。医師に禁酒を命じられてから、殴られることもなくなったよ」
 そこで仁は言葉を区切って、水を飲んだ。過去の和貴も黙って聞いている。
「俺にはあの父親の血が流れているんだ。いつか、俺も親父みたいに女性を殴ってしまうんじゃないか、酒を飲むと豹変してしまうんじゃないかって未だに怖いんだ。それが足枷となって、言い訳かもしれないが、今まで恋人一人、できたことがない。いい感じになっても、俺が怖くなって途中で逃げ出すんだ。そんな男に、誰が惚れるって話だよな。俺が父親と違うって自信が持てる機会があればな……」
 その言葉を最後に、景色が急速に色を失っていき、気づけば先程までいた暗闇に再び和貴は戻っていた。全身が重く、瞼を開けられそうにもなかった彼はそのまま意識を手放した。




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