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「企業的な社会、セラピー的な社会」読書メモ2

チェ・ゲバラの、何だ、「自己実現」?

この「五段階のステップ」は、石を積んでピラミッドを築くように、下から積み上げられていくもので、ピラミッドの上の段階にあることは、それより下の段階が確立されないと、起こらないらしいのでした。(p.19)

そんなピラミッドはでたらめだ、と本書には書かれている。

(3)の愛や、(4)の「社会の中で生まれる気持ち」ーうさぎたちには、「エスティーム」という言葉が気持ち悪いのですーなんか、グラグラしていて当たり前です。マズローさんが「自己実現している」として挙げている芸術家たちだって、(3)や(4)がとてもグラグラしてる時、つまり、愛を感じられなくて、不安で、怒っている時、そんな時だからこそ創ることのできた、美しい音楽や詩があるに違いありません。(p.20-21)

「自己実現」ってなんやねん、そんなに簡単につかめるような「自己」なんてあるかよ、グラグラしてるし分かりにくくてつかめないのが自己の本質だろうよ、といったように受け取った。

太陽と雨のように

だいたい『自己実現』って、どの状況の中の『自己』なのかと思うよ。(p.22)
『自己』なんて、時の中で揺らいでいる。(p.22)
うさぎは、天気は、雨の時があるから晴れた時に気持ちがいいのであって、晴れっぱなしでは晴れていることすら感じなくなってしまう、と言います。(p.22)
「そういう風に、気持ちなんて上がったり下がったりするものなのに、『セラピスト』たちは、『高いセルフ・エスティームを持ちましょう』とか『いつも自分に自信を持って』とか言うようだし、本屋に行けば、『セルフ・ヘルプ』とかいう本の売り場があって、『いつもポジティブに考えよう』なんて題の本が、山ほど売ってる。ああいうのは、天気に例えたら『ずっと晴れっぱなし』ってことなんじゃないの。ずっと晴れっぱなしじゃあ、植物も人も、死ぬ。うん、死ぬね。そして・・・」きららは、もう笑っていません。(p.23)
少女は、少し間を置いて、「そして、おそらく、それを灰色は狙ってる」と言います。(p.23)

「良いこと」「喜び」「晴れ」だけでは、それの価値を認識できなくなってしまう、という話。なるほどなあ。悪いことも、必要なことなのかもしれない。

ジェイムスさんと『セルフ・エスティーム』

人の気持ちは、上がったり下がったりする。ピラミッドの石みたいに、どしっと確立したりするものじゃない。(p.25)

確立しているかのように振舞っている人はこの世に沢山いる世の中だけど、人間はそんなに簡単じゃない、と。

出題者が待っている答え


この『セルフ・エスティーム』というゲームの、裏技を見つける。その裏技は、分母を小さくすること。期待と見こみを、小さくすること。(p.27)

これ、無意識にやっちゃってるかもしれない。私もセルフ・エスティームの図式の奴隷だな。。。

「この、極端に分母を小さくする方法、つまり期待や見こみを、思いこみだけでなく、『練習しない』とか、『怪我をする』ことによって小さくすること。これを基地帝国の心理学者たちは、『セルフ・ハンディキャッピング(自分で自分を動けなくすること)』と呼んでる。」(p.27)
「基地帝国で『セルフ・エスティーム』についてされた研究は、全部で一万八千件もある。もの凄い数だ。その中で、『分母を小さくする方法』は、『セルフ・レギュレイション(自己規制)』、『セルフ・ハンディキャッピング(自分で自分を動けなくすること)』、『セルフ・サーヴィング・バイアス(自分に都合のいいように、現実を曲げてみること。現実を見ないようにすること)』なんて言葉で、一九七〇年代から研究されてる。研究してるのは、帝国の健康省から研究費を貰ってるような、エリート心理学者たちだ。」(p.28)

分母を小さくしようとする心理的働き。その裏技を自分が無意識にやってることに気づいてしまった。もっともっと自分を解放する方向に。マイナスも含めて振れ幅大きく、もっと豊かに生きれるように。。変わっていけるかな。

企業的な社会を設計する

『今日の企業的な社会の設計者』、ピーター・ドラッガーさんを考える。(p.29)
とにかく、ドラッガーさんの本の中では、一九四六年に出た『企業という概念』という本が大きい。いわゆる『ビジネス書』の最初の一冊で、その後に山ほど出た『ビジネス書』の基礎になってる本だ。(p.30)

ドラッガーは大学の授業でも出てきたなあ。NPOの話かなんかで。この本の中でも後でNPOの話が出てくる模様だ。

灰色の手下たちの、おびえた眠り

つまり、『市民権』というのが、社会から恵みを受けて気持ちよく暮らすことだとすると、灰色がつくり出す世界では、『市民権』が与えられる人は一握りで、ほとんどの人には『市民権』が与えられない。『勝ち組・負け組』っていうマズローさんの文章を思い出すよね。(p.30-31)

ほんの一握り、とか、勝ち組・負け組、とか、そういう煽りは思いっきり感じて生きてきたし、モロに影響されて生きてしまって精神を病むレベルにまでなったこともある。おかしさに気づけなかった。そういうもんだと思っていた。

『革命なんて、遠い話だ。自分の住んでる場所では、起こりっこないよ。』そんな風に思うように、『豊かな』国の人たちは厳しくしつけられてるよね。(p.31)

調教されてるね、私たちは。平凡な日常の繰り返しの中で。

『セルフ・エスティームを上げよう』とする人は、どうしても希望を小さくしてしまうらしいんだよ。(p.33)

知らぬ間に、希望を小さく持つように、私たちは調教されているのかもしれない。

基地帝国をはじめとして、どこの国でも、『経営家』が政治家になる。経営学が、政治学になる。(p.34)

トランプ大統領もその象徴なのかな。

経営かあ。政治かあ。何がどう違うんだ?

「社会に予防注射を打つ」と灰色は言う

一九八四年、カリフォルニア州。ただの州じゃない、世界で六番目に大きい経済圏だ。そのカリフォルニアで、『セルフ・エスティームと自己責任・社会に対する責任のための審議会』をつくる法案が、州議会に提出される一九八六年に法令化、一九八七年、八千万円ほどの州予算が認められる。(p.35)

「自己責任」という概念のメリット・デメリット、功績と功罪は、改めて整理して考えたいな。

革命を病気と見て、予防注射を打つ。(p.36)
希望を病気と見て、予防注射を打つ。(p.36)

小沢健二は、私にもわかりやすい言葉で、現代社会のカラクリを教えてくれる有難い存在だ。

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