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「企画書」読書メモ18

Ⅱ.

「仕事心得」

今回は、仕事や商売がテーマの話。私自身、仕事観みたいなものが確立している実感がなく生きていて、素直に、謙虚に、学ぶべき文章が多かった。

お客さま

「お客さまは神様です」と精神では言ってるつもりが、実際はその人たち個人の健康と安らぎの事なんかはおかまいなしの製品を押しつけてきたのが、これまでの商人です。(p.203)

やたらと多機能搭載の、かえってわかりにくい電気製品とか、その最たるもののように思った。使う側の都合を考えてない、生産者の「どうだすごいだろ?」というどや顔感だけがやたらと伝わってくる商品が非常に多いよなあ。もっとシンプルでよいのに。商品1つとっても、日本社会の、日本人の、双方向的でない、一方通行的なコミュニケーションの課題が浮き彫りになってくる。

生産者の精神的態度ってやつは、高度経済成長時代だろうと低成長時代だろうと、本質的に変化した事はまだ、ない。(p.203)

この文章は80年代の話。令和の今、生産者の精神的態度は変わってきているのか?SDGsという言葉がやたら流行ってるけど、なんだか私たちが生きることとつながってる感じがしないんだよな。言葉だけが浮いている感じ。一方通行的なコミュニケーションをまた繰り返すことになる予感が正直ある。

ぼくは、この文章を読んでくれてる人を「お客さま」だとは思わないし、ましてや「神様」なんかにしたくない。(p.203)

普通の、人間、でよいと。崇め奉ることっていうのは、奈落の底に突き落とすかのように見下すことと表裏一体だったりするんだよな。そんなことを最近はよく思う。人間は、人間を、やたらとベタベタ評価するものではない。等身大で、対等で、お互い様で、そういう感覚をもつべきであって、上だの下だのと人間を格付けする行為は下品な行為だ。

仕事覚書

だから、どんなにハデな事業に成功しても、莫大な利益をあげても、その仕事内容に「ぼくらが生きていること」がすこしも入っていなかったら、それは、単なる野心家の遊びでしかありません。(p.204)

生きていること、と遊離した仕事、というものがこの世の中にはまだまだ非常に多いし、そして、それは本質的に「仕事」なんかじゃない、という考え方について、私も共感する。

もう、仕事というものが、とにかくどこでも会社にもぐりこんでしまえば、会社が与えてくれるもの、と思ったら間違いです。(p.204)

ここも当たり前のように共感する。所属組織とお金が発生したら、仕事?・・・んなわけないだろ!?っていう当たり前のことが、もっと当たり前の感覚として浸透してほしいものだ。

ミュージシャンやマスコミ人が、どんどん増えたって、世の中すこしもクリエイティブにはなりません。音楽家が音楽を通して表現することを、パン屋さんはパンをとおして伝えていかなくっちゃ。(p.204)

クリエイティブっていうのは、ジャンルではないんだよな。

商売ということ

現実をひきうける、というのは、何も、偽悪的になって、生活のためにはなんでもやる、なんてことではない。自分の生活、自分が生きていくプロセスと「みんなが必要としている行動」を、いかに接近させようとするか、だ。どうでしょうか。(p.205)

これはなんとなく、特に重要な一文のような気がする。自己満になってもいけないし、自己疎外になっても違う。自他のバランスの取れたところに、「現実をひきうける」とか「仕事」とか「商売」が存在しているのかな。

ロッキング・オンなんて、最初は、みんながアルバイトしたり、子供のころに興味で集めた切手を売りとばしたり、ぼくなんか写植屋になったり・・・・・・してスタートしたけど、「これは必要な雑誌だから、みなさん食わしてくれ」なんて思わんかったよ。絶対、このメディアを維持しつつ、これで食ってやる!と思ってやってたよ。(p.205)

こういう気概が、私には足りないんだな、という課題を感じる文章だった。ロッキング・オン、買ったことないけど、買ってみたくなった!


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