小説「神速(三枚)」
悠然と構えている「陵(みささぎ)の主」として、一生を全うする。
このように自分を定義づけ、総括することで悦に入っている人間の傲慢さに、「彼」は言いしれぬ憎しみを抱かずにはいられなかった。
ついばむ獲物や、生暖かくのどを潤す御陵の水に「生」を感じることと、自らの鋭利なくちばしによって貫かれるであろう喉元への「死」の宣告は「彼」に取っては同義であった。
「言葉を持ち得ぬ」ことへのもどかしさ、そして、であるが故に純粋な「思い」を「一極」に集中させ、自らの生命を炎と散らす日が必ず来ることを信じている人に取っては、「彼」は唯一の仲間といえる存在かも知れなかった。
8月のある朝、「彼」は「対岸」の道路にいる一人の人物を発見した。
三脚を立て、自分の方向に向けて「照準」を合わせている男の目論見は明かである。すなわち、長遠な時間の一断面を持って、自らの滑稽さといじらしさと、けなげさを拡大解釈しようとしていること、そして本来、新鮮であるべき切り口を、のっけから腐臭にまみれたものへと貶めようと企てていることである。
「彼」は長年住み慣れた陵の枝を蹴って飛翔を始めた。自らの「目的」を遂げるには、より高いところまで「歩み」を進めなくてはならない。
重力と真夏の太陽と、意志を持った肉塊たらんとする衝動とが入り交じった時間がいかほど経過したであろうか、下界を眺めた「彼」は「その時」が来たことを直感した。
凄まじい速さに達したのは、降下を始めた直後のようでもあり、さらにターゲットの姿を視認できる高さになってからとも感じられた。
男はどうしているのか、最後の瞬間まで「彼」を照準に捉え続け、運命をともにしようと覚悟を決めているのか、「彼」の意志を動物的な直感で察知し、逃げ惑う醜態をさらそうとしているのか、それとも生と死を分かつ物への想像力を知り得ないまま、「その時」を迎えようとしているのか。
男と相対した「彼」の眼に映った物は、のんびりと流れていながらも、決して留まることを知らない小川の様な佇まいであった。
長年自らが眺めてきた、緑色によどんだ御陵の水とは、明らかに違う存在に「彼」の中で後悔の念がわき起こってきた。
「知りたい。しかし、もう身をかわすことはできない……」
直後、何物かが目の前で砕け、美しい火柱と轟音と血しぶきに彩られた羽毛とが、烈日の大地に散華した。(了)