鶏口牛後の意味と価値を日本の若者は知っているだろうか?
日本は相変わらず大企業志向だ。
特に大学の新卒はほとんどが、大企業志向であることは、もうこの数十年何ら変化がないと思う。
仮に企業で働くとして、中小企業白書の最近のデータでは、企業の数は約400万社、全体の99.7%が中小企業。働く人の70%が中小企業である。
簡単に言うと、全体の1/3が大企業で働いている訳で、多いような少ないような微妙な割合だと思う。
米国では、優秀な大学の卒業生は、起業志向が高いと聞く。日本が流石にこういう姿になるとは思えないが、私はもっと中小企業志向の学生が増えても良いと思う。
最近、少しは事情は変わってきたが、20年ぐらい前は、大抵の中小企業の社長の中には、自社に大卒が入社することを自慢していた人も多かった。それだけ、大卒は中小企業には入社しなかったわけだ。
学生が大企業志向の理由の幾つかは誰でもが想像のとおりである。
安定している。給与が高い。福利厚生が充実している。そして、有名である。大体こんなところだろう。
このすべてを逆にしたのが中小企業の特徴と言えるだろう。
これは事実ではあるが、中小企業を働く場として考えたときに大企業で得れるものと得られないものがある。
変化の激しい時代、人生100年時代に必要な仕事スキルを挙げてみる。
自身の一生に役立つかどうか?
自由度の高い仕事に従事できるか?
変化に適応する力が身につくかどうか?
社会の変化を感じる仕事ができるかどうか?
現場やアナログの本質が体験できるかどうか?
何よりも自立できているか?
これら、全てにおいて、大企業が中小企業に勝っている訳ではない。
まず一つは、人生100年時代、長ければ、60年ぐらい働くわけであるが、仮に大企業に入ったとして、一生同じ会社で働く人は皆無だと思う。
実際、経営陣に上り詰めない限り、今でも60歳を超えると、なかなかな、働き続けることは難しい。
鶏口牛後という言葉を知っている人は多いと思うが、この価値を知っている人はどれだけいるだろうか?
鶏口となるも牛後になるなかれ。とも言うが、この実践者は日本には少ない。
ちなみに、デジタル大辞泉によると、
大きな団体で人のしりについているよりも、小さな団体でも頭(かしら)になる方がよい。
とある。
もちろん、牛頭を目指す人は大でも小でも関係ないし、少数は必ず存在する。
しかし、大企業での現実は甘くない。
私が就職活動する頃。大企業の仕事は歯車の一部になると言う表現で理解している人が多かったように思う。私の場合は、大企業ではないが、一応東証一部のゼネコンに入ったので、それなりの組織がどんなものかは在職4年弱ではあったが、概ね体得は出来た。
実際は、自分の経験と言うよりも諸先輩方を見ていて分かったことが多い。
その後、会社をするようになり、多くの大企業の部長クラスとは仕事する機会がある。
仮らに共通しているのは、確かに仕事は出来る。だから、関わっていても面白い。
一方で、このクラスに達していない人は一体どうなんだろうかとも思う。
どの役職まで極めれば、良いとか悪いではなく、基本的には個人の尺度だと思うが、まだ、社会の事も知らない時に、日本の場合は世の中の流れや世間の目に流される。
大企業に行く理由が明確ではない。
大企業に就職してしまう若者のなかにも、鶏口向いている人は多いと思う。
残念なのはこういう人たちも大企業に就職してしまう。そして、組織に埋没し実社会から乖離する。活躍のチャンスが失われる。社会の損失でもあろう。
何が原因なのだろうか?
大学も就職支援センターと化した感がある昨今、大学の評価が就職率であったり、大企業への就職あっせん力であっても困る。
今更言うまでもないが、大企業が安定だった時代は、もう20年以上前に終わっている。
今はこういう議論の余地はない、混沌とした新時代がすでに始まっているのである。
それにコロナ禍で拍車がかかった。言い換えれば、一人であろうが少人数であろうが、鶏口の時代なのである。大企業の経験を積んでから、中小へ行く選択や起業する選択はもちろんある。
ただ、私としては、中小で若いうちから鶏口となって活躍して、最初は給与が大企業よりも安くても、その分、社会の適応力や現場力が身につくとしたら、安い投資だと思うが、皆さん、いかがでしょうか?
以上