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情報共有の大前提は、情緒的なやり取りができていること

 社会人になってまず、仕事を行なう上での基本姿勢として、“ほう・れん・そう”というものを教わった。報告・連絡・相談の頭文字をとったもので、知らない方はまずいらっしゃらないだろうと思う。
 例えば仕事に慣れていない新入社員は、先輩や上司とのコミュニケーションを密にとることで、実務を行なっていく上で何が大切で、何が問題になるのかといったことを覚えていく。一方、上の人間からすれば、教育だけでなく、リスクヘッジ(仕事に慣れていないがゆえの失敗をあらかじめ避けるため)といった意味合いも含まれているだろう。

 つまり一言で言えば、報・連・相は「情報共有の基本」ということである。だからこれは何も新入社員だけでなく、世のビジネスマン全てに共通の基本姿勢なのである。しかし私はいろいろな企業のお手伝いをさせていただく中で、この大切な基本姿勢が、往々にして上辺だけでしか捉えられていない現実を数多く見てきた。そこで今回は、情報共有の基本とは一体どういうことなのか、について考えてみたい。

●管理本位の情報共有は根づかない

 まず、情報共有が上辺だけでしか捉えられていない現実、とはどのような状況なのか。私が業務改善のお手伝いしたあるサービス会社の例でご説明しよう。

 その会社では経営課題として、営業部隊の強化、顧客満足度の向上などが挙げられていた。売り物は形あるモノではなく、目に見えないサービスである。それゆえに一層、営業部隊の強化は、同社の生命線を握っているとも言えた。そしてまず始めに、“報・連・相を徹底すべく”、営業担当者全員に、上司への営業日報の提出を義務付けたのである。その会社は個々の日報から「他の営業担当者にも参考になる情報」や「顧客のニーズ」などを“引き出せないか”と考えたのだ(この場合の日報は原始的な紙レベルのもので、IT導入にはまだ及んでない)。

 これだけを見ると、間違ったことを行なっているようには思えないだろう。非常にオーソドックスな業務改善のアプローチである。しかし当初、この営業日報はうまく活用されていなかった。それどころか、上司・部下の双方から、不要論さえ出されていたのだ。つまり業務改善に役立つどころか、今まで以上のストレスを双方に与えていたということである。これはなぜか。

 私の見るところ、原因は大きく2つあった。まず1つめは、それまでこの会社では、日報の習慣もなく、その日、社員がどういう活動を行なったか、またどういう悩みや課題を抱えているか、お客とどういう話をしたか、といったことは、上司が時間の空いた時に、個別にヒアリングする程度だった。つまり基本姿勢であるべき報・連・相は存在しておらず、また情報も、上司の“気まぐれ”でのみ、共有されていたのだ。そもそも、情報共有の意味や重要性が、全く理解されていなかったということである。

そして2つめは、この営業日報は、部下から上司へ、単に提出されているだけだった。つまり部下は書くだけ、上司は見るだけ、それで終わりだったのである。情報は何の生産性も持たない。これも突き詰めれば、1つめの原因に行き着く。結局、情報の使い方、活かし方を考えないで運用を始めたため、上司、部下の双方共に不必要なものとしか映らなかったのである。

 つまり「情報共有の基本」ができていないのに「報・連・相」を実現しようとした結果、「非生産的な情報」を生み、上司、部下はストレスしか感じなくなってしまったのである。しかしある1つのできごとをきっかけに、この会社の営業日報の持つ意味合いは、大きく変わることになった。

●部下の悩みにつきあうことで、営業日報が機能し始めた

 ある日、ある営業担当者の書いた日報の最後の行に、“今日は気分が乗らなかった…”というコメントがあった。その上司にとって日報は、それまで、目を通して終わりのもの、だったのだが、たまたま帰りが一緒になった時に日報のコメントを思い出し、その部下に声をかけてみた。そうするとその部下は、日報の内容についてだけでなく、その他のいろんな悩みまで打ち明けてきた。上司は自分の部下がどんなことで悩んでいたのか、その時初めて知ったのである。そして自分の経験からアドバイスを与え、部下も悩みの突破口見つけることができた。

 その後、この上司と部下は、お互いの信頼関係が深まったと感じるようになり、さらに上司は日報の“本来の意味”にも気付いた。部下は感動し、堰を切ったように日報の運用が軌道に乗り始めたのだった。そしてそれは他の人間にも伝播して行った。

 皆さんは、この事例のポイントは何だと思われるだろうか。それは言うまでも無く、上司から部下に対しての言葉、である。上司が部下の一言一言に、誠実に返事をしてあげる。これが重要なのである。つまり双方向のコミュニケーションこそ、「情報共有の基本」の基本、なのだ。情報流は一方通行ではダメなのである。情報とは、情けに報いる、と書く。もらった情けに報いるためには、こちらからも情けを提供する必要がある。そうして初めて、心のこもった情報共有が成立するのである。

 相手からの言葉があるからこそ、自ら発信する情報に魂がこもる。受取った相手もさらに魂を込めて、情報を返してくれる。そうした魂のこもったコミュニケーションが繰り返されることで、情報は単なる共有のステージから、活用のステージへと上っていくことができるのである。

 このサービス会社では幸いなことに、1つのきっかけから、上司が双方向のコミュニケーションの重要性に気付いた。今はまだ紙ベースの運用であるが、もっと効率化を図りたいと思ったなら、SFAツールなどのITを導入してもいいだろう。既に「情報共有の本質」は体得している。スムースにIT導入は運ぶだろうと思われる。

 さて皆さんの会社では、情報共有や活用のための仕組みを作ったのだが、どうもうまくいっていない、ということはないだろうか。もしそうした状況にあるようなら、この会社の例と照らし合わせて考えてみていただきたい。情報共有の仕組みが、管理する側、あるいはある特定の人たちの一方的な思惑だけで作られていないかどうか。報・連・相も、情報共有のための仕組みも、決して管理する側だけの便利な手法ではあってはならない。双方向のコミュニケーションを常に図ることこそが、共有された情報をさらに熟成させ、有効活用へのステージへと高めることができるのである。

(本記事は、「SmallBiz(スモールビズ)※」に寄稿したコラム「近藤昇の『こうして起こせ、社内情報革命』」に、「第46回 情報共有の大前提は、情緒的なやり取りができていること」として、2003年3月31日に掲載されたものです。)
※日経BP社が2001年から2004年まで運営していた中堅・中小企業向け情報サイト