情報は共有しすぎると逆効果
今どき、仕事を円滑にこなす際は、何らかのやり方で、仕事に必要な情報を共有する。
これは、すでに日本のビジネスパーソンにとっては当たり前のことである。
ところが、この情報を共有するという行為は、実にさじ加減が難しく、適正で効率の良い情報共有と言うのは、なかなか実現できないのが実情だ。
実際、仕事を離れても、私たちは日常で情報に触れている。言い方を変えれば、情報を欲している訳である。それは何のためかと問われれば、生活を豊かにするためであり、仕事であれば、より効率よく楽するためでもある。
この辺りは、業種や仕事の種類によって、千差万別なので、別の機会に譲るとして。
今回は、情報共有で、ここ20年ぐらい当たり前になって来た電子メールでのCCの使い方について考えてみる。最近では、これに近いのが、SNSなどのメッセージ機能のグループ化だろう。
単純化するために、そもそものCCの機能について、おさらいをする。
10年以上前に、電子メールの使い方というタイトルの書籍を出版した。ヒューマンブランドシリーズの一つだが、詳しくはここに書いている。
CC機能は、今でも日常で使っている人が多い。
私も、社内や外部の人とのやり取りで、CCを入れるのが日常だ。BCCというのもあるが、これはほとんど使わない。
CCはカーボンコピー、複写の意味であり、要するに、メールをCCに入れた人に共有しますという意志表示だ。
メールが登場した頃は、この機能一つでもおっかなびっくりで使っていた人が多かった。簡単に言えば、人とコミュニケーションする際に、会議で面と向かって集まる以外、複数の人に同時に要件などを伝える方法と言うのはなかった。
だから、インターネットの登場と共に、このメール機能は一気に使われるようになった。これは、いわゆる電子メールでも、社内のグループウェアと連動するメールでも同じようなもので、便利なあまり、一気に拡がった訳だ。
この20年間の変遷を見ていて思うのだが、この機能を使い始めた時、とても慎重にCCの相手を選んでいたのではないかと思う。
ところが、今や世の中の多くの人がこの機能を当たり前に使って仕事をしている。CCが付かないメールにお目にかかるのは稀で、それこそ、セールス関係のメルマガなどだけである。
私も実際に、お客様や外部の人、社員とのやり取りで、CCは多用する。
具体的にはこんな感じだ。
Aさんとアポイントのやり取りを始める。ここに私のアシスタントを同報する。それと同時に、Aさんと付き合いがある社員のYさんも同報する。
こうすると、このメンバーには、私が面会をしようという段取り、実際にアポが確定されると、その予定が共有できる。そして、関係者は資料の準備をしたり、私に対して会社としてのAさんとの付き合いの現状などを報告したりするかもしれない。
こういう期待感をもって、こんな感じで使うととても便利である。
一方、こういう時はやっかいだ。
何か意見やアイデアを求めようとしたときに、意見をもらいたい数人をCCで同報する。スムーズにいけば、ほどなく、全員から意見が返ってくるはずだ・・。
ところが、そうそう理想通りには事は進まない。
それはなぜか?CC多すぎ症候群になっているからだ。
これは、全員をTOの宛先に入れても結果は変わらない。つまり、誰かが返事をするだろうにハマっている訳である。
これは、人間の本能的なものである。
バスを降りたいときに、誰かがボタンを押すだろうと待ってしまう様に近い。誰かが返事すると思うと、自分のアクションは後回しにしたり、自分はいいやと思ったりする人が必ずしも出てくる。
こういう時の対処療法的な対処としては、単純に一人ずつメールをする。CCを使わない。あなただけに送っているという意思表示であるが、これはとても面倒である。
私は、こういうことを解決するツールをAI君を使って開発したいといつも思っている。
以上