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情報は思いよう、取りよう。情報を知っていることの価値を常に考える

今や、インターネット全盛の時代。

何か知りたいこと、調べたいことがあれば、ネットで検索すれば大抵のことは解決する。

ネットがなかった時代であれば、人が知らないことを知っているだけで、頼られたり、物知り博士と言われた。

ところが、現代ではそれが大きく変わってしまった。

わずか数年で、インターネットで何かを調べることは当たり前となった。
昔を知る私にとっては隔世の感がある。

大量の情報から知りたい情報を検索エンジン「Google」ですばやく検索することを意味する『ググる』という言葉まで登場した。

その結果、調べれば誰でも知ることができるような知識や情報を持っていることは、大した価値を生まなくなった。

ビジネスの現場で考えてみると、もっと深刻な事態だ。

昔は、ある会社がサービスを提供する際に、それに関する専門的な範疇の知識をお客様はほとんど知らなかった。

だから、ちょっと調べ物をしたり、人に聞いた話を持っていくだけで、顧客から信頼されることができた。

それが対価をもらうネタにもなった。

ところが、今はそうはいかない。

生半可な知識では、顧客からの信用を失うだけだ。

なぜなら、顧客も簡単に調べるこができるからだ。

インターネット社会の強烈な印象にかき消されそうだが、ビジネスの世界に限らず、紙のメディアの発信する情報量も尋常じゃない。
10年前と比べても、実に様々な情報を紙のメディアから獲得することができる。
社会問題、政治は言うまでもなく、ビジネス情報もその質・量ともに急増している。
特に、ビジネススキルアップものや経営ノウハウは格段に増えた。

専門書も益々バージョンアップしている。

書店に立ち寄れば、大抵の情報は入手できる。

情報センサスという統計資料でこんな面白いデータがある。

これは、一般消費者対象の話ではあるが、なんと情報社会の中、個人が受け取る情報は、10年前の470倍になったらしい。
ところが、一方、人が消化できる情報対応スキルは2倍にもなっていないと・・・。
情報の洪水と例えられる現代。

それも納得できる。

ビジネスに関する情報という観点で言えば、自分あるいは会社が“情報を知っていること”にどれほど価値があるのかを常に考えておかなければ、生き残れない時代になっている。

そういう意味では、情報の中身そのものよりも、情報の調べ方や方法、あるいは誰に聞けばよいか、を知っていることの方がよっぽど価値があると言えるだろう。

これから社会に巣立つ人たちには、是非、情報感度を磨いて欲しい。

では、情報感度を高めるとはどういうことなのか?

今回は、“新興国の環境問題”という事例で考えてみることにしよう。

著しく経済発展が進みつつある中国や、それに続けと工業化を急ぐベトナムなど、共通して環境問題が大きな課題として横たわっている。

環境問題は多岐にわたるので、今回は、会社が環境に配慮しているかどうか・・・という視点で考えてみたい。

メディアを通して、新興国の環境問題は刺激的なニュースとして流れている。

ヘドロのような河川に、大気汚染による鉛色の空。

日本の若者が聞けば、短絡的に「中国・ベトナムはけしからん国」となるだろう。

しかし私の世代は、必ずしもそうは思わない。

日本だって、たった30年や40年前、多くの国民が工場が垂れ流す公害に悩まされていた。
数多くの訴訟も発生した。
社会科の授業だけの出来事でなく、ニュースとしても頻繁に流れていた。

当時、企業も相当なバッシング受け、長年の改善を重ねてきた結果として今があるのだ。
最初から日本企業が世界に誇れる環境対策技術や仕組みを持っていたわけではない。

だからこそ、一方的かつ短絡的に「今の中国やベトナムはけしからん」と言っても何も解決はしない。

所詮、人間のやることである。

どんな国でも、経済発展の犠牲に公害問題、環境問題が発生している。

人間のすることだから本質は変わらない。

だからこそ、協力し合うことができるし、謙虚にもなれる。

こんな風に、時間軸を広げて考えて見るだけで、新たな事実が見えてくる。

つまり、今の日本と今の新興国を比べるのではなく、昔の日本という視点を入れてみるのだ。

逆に中国やベトナムの人達からは、今だけを見ていると「日本はなんとすばらしいのか」となる。
昔は、同じことを繰り返していたのに・・・。

これも美化しすぎた勘違い。

立場変われば、ひとつの情報でも受け取り方が全く異なってしまう。

人間は、受身でいると、自分が関心を持つ情報しか耳に入らなくなる。

メディアや人の話から、伝わってくる情報だけでは、正しい情報というのには不十分だ。
意識的に、バランスよく真実や事実に近い情報を掴まえるために、日頃から継続的に訓練をする必要がある。

今回の事例で言えば・・・
『今だけなのか? 昔からなのか? 日本だけなのか? 他の国でもなのか?』
という具合に。

人の役に立つ情報を掴みたければ、情報にバイアスがかからないよう常に“自分の関心のセンサー”を磨かないといけないのである。

(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2008年12月12日に投稿したものです。)