10年後の自分を想像できるか?
10年という単位が、人生においてどんな意味を持つだろうか?
個人差はあるが、私ぐらいの年齢(48歳)になると、過去を振り返るのも、先を考えるのも10年単位で思考することが当たり前になってくる。
学生ぐらいまでの若い頃は、時間は永遠であると本気で思っていた。
そんな訳で、私は特に1年先のことですら、余り考えることはなかった。
10代の頃は漠然と早く大人になりたいと思っていたが、それは、農家で生活している自分が嫌だったからである。
20代後半になると、早く30歳になりたいと強く願っていた。
30歳というのが、大人の仲間入りだと本気で思っていたからである。
振り返ってみても、私の若い頃はこの程度しか先のことは考えていなかったと思う。
今の私は、ビジネスのさまざまなシーンにおいて10年単位の考察を前提に、事業の計画や実行、自分の将来の姿を毎日考えている。
「10年ひと昔」とよく言われるが、私が会社をはじめてから、この約20年は特に変化が速いと思う。
しかも、日増しに変化の加速度が増していると実感する。
特に顕著なのが、IT社会の進展や情報化社会の発達だ。
インターネットに始まり、今やスマートフォンで世界中どこでもコミュニケーションがリアルタイムに行える時代だ。
FaceBookも当たり前になりつつある。
恥を承知で言うと、こんな時代が来るなんて夢にも思わなかった。
これから先の10年、20年を考えたら、現時点で私が想像している範囲を遥かに超えることが起こるだろう。
劇的な世の中の変化、新たなビジネス環境の創造、生活の仕組みの進化が起こるのではないかと思っている。
同時に地球規模の問題も増大するだろう。
期待も膨らむが、不安も頭をよぎる。
もちろん、私は今現役で事業をしているので、少なくとも20年先までの変化をある程度予測して、事業を推進しようと常に心がけている。
起こりうるであろう変化に適応していくだけではなく、変化を自分たちが起こしていく役割も果たしたいと思う。
10年後の自分がどうあるかは非常に楽しみでもあり、興味津々である。
当社は、この季節は例年、新卒の採用活動を行う。
会社説明会や最終面接で、私はこんな質問をすることが多くなった。
「10年後に何をしていたいですか?」
特段何かを期待しての質問でもない。
単純にそういう会話が楽しく思うのだ。
そんなたわいのない会話の中でも、その相手の感性や想いは自然と伝わってくるものだ。
何が良い悪いではないのだが、私が気になるのは、相手の人が社会意識があるかどうかだ。
こういうと、最近の若い子はすぐに「ボランティアやNPO」と直結して考えがち。
私がここでいう意味は違う。
簡単にいうと、自分が生活する、働く環境が、10年後にどうなるかに関心を持っているか、である。
例えば、環境やエネルギー問題などは、もっとも顕著な事象のひとつだ。
生活レベルで見れば、それは節電前提のライフスタイルの転換になるだろう。
震災後、にわかにクローズアップされているが、
これをきっかけに地球規模で発生している危機に、日本はようやく気づく機会を得たともいえる。
私の若い頃がそうであったように、10年後の日本や世界の事をすぐにピンと来る若者は少ないだろう。
先のことを掴むためには、昔を知ることが先決だろう。
10年前、20年前を知ることで、先の変化や起こりうる事象はある程度イメージできる。
すでに起こっている予兆に気づけば、先はある程度見えてくる。
10年後が見えてきたら、次は、その時に「自分がどうなりたいか?」をイメージできることが大切だ。
その時代に必要とされる会社とは何か?
その時代に必要とされる仕事とは何か?
この質問の意味が自然と理解できてくるだろう。
実は、これは、経営者にもいえることである。
このご時世、10年後も単に儲けることだけが頭にあるようでは、お先真っ暗としかいいようがない。
(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2011年5月31日に投稿したものです。)